はじめに タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok- インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi- ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan |
《7月20日(第11日)》
0:10(インド時間)、Delhi(デリー)発。もうなんだか眠たくてたまらない。インドに入ったら飛行機の操縦があらくなって、着陸のときの急降下はマジで耳がわれそう。鼓膜がバリバリいっております。1:40、Bombay(ボンベイ)着。何だか本当に何とも言えない雰囲気です。
どっかの会社の社員さん2人とImigrationで会う。2人は英語が全くだめで、我々がいなければとても出してもらえない状態でした。彼らの立場は全くないのです。"最近の若いモン" に彼らは助けられてしまったのです。空港の外に出るとこれが本当にモノスゴイ。少しビビッてしまいます。オッサンたちは我々にすがるばかり。何とか居場所(空港内のベンジョの横のいす)をみつけて腰を下ろしたのですが、通行人や、その辺でごろんと寝ころんでいる人の視線の圧力に耐え切れません。それからロビーに移動することにしたのですが、ここがまたモノスゴイ。様々の国の人々がゴッタガエシテいる。真夜中だというのに。回教徒の女性たち、そしてその子供たちは信じられないくらいファシネーティングです。飛行機を使っていてもやっぱり彼らは移民なのです。彼らのすわり方は何とも言えない。ポーターに金をばらまいているアラブ人もいました。そして沢山沢山の得体の知れない、何をしているのやら、何の用があるのやら見当もつかない人たち!! それから我々もまた純粋な外国人なのです。結局オッサンたちにつきあってここで一夜を過ごすことになりました。オッサンたちはカンシャカンゲキ!! そのうちオッサンたちがBombayで落ち合うはずの大洋漁業の何とかさんがやって来ました。一緒にレストランへ行ってコンチネンタル・ブレックファストを食べました。助けてやったのにおごってくれませんでした。何度言っても彼らは荷物のことを忘れてしまいます。Bombayを出るまでに彼らの荷物はなくなってしまうでしょう。彼らは南イエメンに行くそうです。
7:00にBombayのAirportからTaxiに乗って、約40分でIndian Gateに着きました。35Rs。即、Do you like to smoke? の声がかかりましたが、健全にもことわりました。雨がふりだしました。YMCA(何故かYWCA)をさがしてOfficeに行ったのですが、9:00までラウンジで待たなければなりません。窓の外はインド的景色で一杯です。Bangkok(バンコク)行きのバスから疲れがずっとたまってきて、ここで一気に爆発したという感じでネムリコケました。ボーイに起こされて部屋に案内されました(その前に登録したかな?)。部屋に入って即シャワーを浴びて、またもネムリコケました。四人部屋のドミトリーでしたが、一人いたはずの相棒はネムリコケている間にいなくなりました。14:00頃に起き出して、ボーイにThums Up(タムサップ:インド版コーラ)を持ってきてもらって、スカット飲みました。ボーイはBeter(ビター)というヤツで、Photoをとってやったら大ヨロコビ。3回くらい出たり入ったりして、"ワイはBeterいうねん。ワイは1枚Photo持っとるゾ" と言って行きました。しばらくすると、友達のボーイを連れてきて、"コーヒー飲ましたるからPhotoとったってくれ" と言いました。インドは変なところです。
そのうち目がさめてからT.I.C.へ行くことにしたのですが、何せアタマがボケてるもんで、右と左をまちがえてえらい所へ行ってしまいました。しかし、おかげでAir Indiaの本社へ行って帰りのチケットの予約ができました。ここは本当にインドなのです。GovernmentのT.I.C.をさがしたのですが、これがまた超人的に大変でした。インド人は皆さん親切です。人がいうほどコワクナイ!! しかし、親切すぎます。道を聞くと、例え知らなくても教えてくれます。それでワケのわからん所へどんどん行ってしまうわけです。結局YWCAの近くまで帰って、何故かSを買って、TaxiでOfficeへ行きました。きれいなサリーを着たきれいなオネエチャンが、ややワケのわからん英語で教えてくれました。両目でウインクしたら、ニッとわらってくれたりなんかして!! Officeでいろいろ地図なんかもらってきました。YWCAに帰って、やっと一安心。ボーッとしているうちに、"まだIndian Gate見てへんやんけ!!" ということになって、まずメシを食いに行きました。ここでインドのBeerとカレーライスとチャイの初体験!! わりとうまかったのです。我々はひょっとしたら基本的にインド的人間なのかもしれない。さて 、Indian Gateへ行くべか!!、というわけでブラブラ歩いて行きますと、変なインディアンおっさんがやってきました。15Rsで絵ハガキいらんケ? と寄ってきたので、"高いワイ!!" と言ってやりました。カジュラホの絵ハガキなんかほしかったんで、がんばって3Rsで買いました。それから、おっさんが "レンズとかカメラ持ってへんケ?" と言いだしたので、Conicaを$500なら売ったるデとフッかけました。とにかくIndian Gateを見物することにしました。何故かこのおっさんがGuideのPassなんか持っていて、タダで案内してくれました。タジマハール・ホテルはものすごかった。YWCAにもどって、Nikonを置いて、Conicaを持って外に出て、さっきのおっさんの兄貴と4人で "ボス" のところへ行きました。インドでは "ボス" でないとカメラ屋さんはできないのです!! 変な横道へ入っていったので、少しくこわかったのですが交渉の結果、1,070Rsでめでたく商談成立。襲われないうちにそそくさと、サモサを買う寄り道だけして、YWCAに帰り着きました。今日はシャワー以外に何もすることがありません。相部屋にJohn(ジョン)というオーストラリア人が来ていました。どこかでMeditation(瞑想)をやっているとか。今日はBombayに電線を買いに来たそうです。何のこった? インドにはいろんな人がいます。でも、だいたい4種類くらいかな? ホンマのお金持ち、わりときれいな格好をしている人、きたない労働者、こじき!!
今日はおやすみ。涼しくて、カイテキ。こんなときにインドへこないやつはバカです。今日は長い長い一日でした。
《7月21日(第12日)》
朝ゆっくり起きて、荷造りして、10:00頃にVictoria Stationに行きます。T.O.でいろいろ聞いたのですが、よく分かりません。とにかくPoona(プーナ)までTicket(10Rs)を買って、フラフラしていると、おっさんが来て(ターバン巻いてる)、ワイが席取ったるけん10Rsずつくれ!! と言いました。OK。それでホームに腰を下ろして2時間キシャを待つことになりました。おっさんといろんな話をしたのですが、なかなかおもしろい!! しかし、キシャが来たときのおっさんの働きのすごかったこと!! キシャが入ってくると同時にオレ達の荷物(かなり重い)を両手に持ち、走るキシャに飛び乗って席を取る。おかげでオレ達は無事すわってPoonaまで行くことができたのでした。
Poonaまでは4時間の車中旅行でしたが、2ndクラスでして、これがなにしろものすごい。荷物は心配だし、手足を動かすこともほとんどできません。しかし、インド的風景はなかなかでした。貧民窟からジャングルまでなにもかもものすごい。この辺りのインドの山はどちらかというと平たい感じがして、何層もの平行な土の "縞" からできています。その横腹の最上段から真下までずっと滝になっているのなんかは、"豪快" を通り越しています。このジャングルにはトラさんがいっぱいいるとか。車中にはいろんなものを売りにきます。母娘で民族音楽を踊るこじきもいます。それはなかなかものすごい。
インドは大変な国です。例えばこじきに1Rsやることはできても、それ以上のことはできません。この国で一番大きな役割を果たしているのはきっと "時間" なのでしょう。本当に先の長い国です。
Poona着は17:00頃。駅でMapを買って、広げて見ていたら、またも、いつの間にか我々のまわりはインド人だらけ。何がめずらしいのか、全く変なやつらです。その中でも特に変なおっさんが、G.T.I.C.を教えたろか、と寄ってきました。結局このおっさんと2時間ほどうろついて、やっとホテルに落ち着きました。Poonaはホテル難です。おっさんに5Rsあげました。You helped me. Now, I have to help you. It's my duty. なんて一所懸命ホテルさがしてくれたわけです。とにかくChoice Guest Houseに落ち着いて、メシ食って、後はシャワーを浴びるだけ。
《7月22日(第13日)》
昼少し前にChoice G.H.をチェック・アウトしてAshramへ向かいます。AshramのOfficeでいろいろ聞いて、Ashramの食堂へ行ってみたのですが、ここは全く異様な所です。皆オレンジ一色で、キリストみたいなヤツらが五万といて、全く全く異様なのです。
一人の日本人サンニャーシンと知り合いになって、我々も早速そのキチガイたちの仲間に入るべくM.G.(マハトラ・ガンジー) Roomへ行って、上下を買ってきました(plusオレンジのスリッパ)。ヤンキードゥードゥルという店でColaとアイスクリームを食べてAshramに帰りました。うろうろしてみましたが、別にすることもないので、ホテルさがしに行くことにします。これがまた大変でRitz Hotelで一室みつかっただけ。きたない部屋で40Rsもぼられました。Gをすこしやって、別に何もすることがありません。Choice G.H.へ明日の予約をしてみたのですが、うまくいきません。Ritzのおやじは、ケチでおもしろくない。おやすみ。
《7月23日(第14日)》
Ritzは早いこと出ることにする。10:00頃、Choice G.H.へ行って交渉。無理して一室(#106)空けてもらう。11:30、Choice G.H.入場。ちと落ち着く。ヤギューはお湯のシャワーに大感激。午後はAshramへ行く。何もすることがない。変なおっさんにつかまって、変な話を1時間ばかり聞かされる。夕方からシャクティーで誰か(忘れた)のBirthday Partyがあるとかで、とにかく行ってみる。途中で青少年と会う。PartyはFree Chargeでなかなかゴウカ!! 会食の後のDance Party(屋上)は飛んでいました。日本のどのディスコへ行ってもあんなすごいのはきっと見られへん!! 100人ほど日本人が集まりましたが、こんな変なヤツらがこんないっぱいいるんかいな、という感じ。変な外人たちもいっぱい来ました。もう言葉では表せないモノスゴサです。明日からCentering。
《7月24日(第15日)~7月30日(第21日)》
Centering。
《7月31日(第22日)》
今日はお休み。ぐっすり寝て、朝から何もすることがない。Yokoとお友達になったのは、はたして今日なのか? いやいや昨日の夕方、ダルシャンをけられたときでした。私は、昨夜数分間Yoko共に恋をしたような気がします。
夕方、Chinese Roomでたらふく食べる!! 今夜からIntensive。蚊にさされて一睡もできず、片足だけで30は喰われた。もうたまらん。
《8月1日(第23日)》
5:20に起き出して、ねながら下痢ぐそをする。6:00からDinamic Meditation。アホらしくてやる気がせん。ヨーロッパ人のお遊びにはようつき合わんという感じ。帰ってすぐ問答{(5+5)x4}x2。ドイツのおばさんは泣きながら話してました。アホラシ!! オレはすぐDrop Outを決め込みました。
Bank of Indiaで$200 Encashして、何故か15.5RsのIndia Kingsというタバコを買ったりする。Choice G.H.に帰って午睡。夕方、Greenfieldsへ行って、ポテトとエッグを食べる。腹の調子がよくない。吐き気がする。熱がある。死む~。
ホテルのおばさんに薬をもらうことにする。二家族でさんざん協議してくれた結果、3つぶ丸薬(2ケは小黒、1ケはカルミンみたい)をもらう。これが何と下痢で一晩寝られんハメになるとは知らずに、インド人はいい人ばっかし!! と薬を飲み込む。
下痢をなおすというよりは、下剤で悪いものを出してしまうという発想のようです。
インド式水洗便所(写真)にトイレット・ペーパーはない。水で洗うのは上手になったが、今もって正しい便器の使用方法が思いうかばない。何をするにもどうにも中途半端だ。
《8月2日(第24日)》
下痢のおかげでエネルギーは "0"。ピーッ、パピーッ。午前中はただただくたばるのみ。
Chung-faでCrub Okayo(おかゆ)を食べて、M.G.を散歩。Choice G.H.に帰って、長い長い手紙を書きました。Gulub(グラブ)と話す。午睡してしばらくするとヤギューもDrop Outして帰ってきました。となりの家では結婚パーティー。知らない間に寝てしまいました。
《8月3日(第25日)》
今朝、オレは快調、シャキッ!! ヤギューはグタ~。
午前中はボーっとして、昼またChung-faへ行って "Okayo" とラーメンを食べる。隣の本屋で葉っぱに絵の書いてあるのを買う。スコールがすごいのでChoice G.H.に直行。今後のプランなど立てる。
夜はVegetarianへ行く。ヨーコおばさんと知らない青少年が来ている。Mashroom Pieを食べて、長いこと話す。帰って手紙を書いてから、"存在の詩(うた)" を読む。ヤギューはもう寝てます。
《8月4日(第26日)》
9:30に起きて、チャイ、ブレッド、リムカの朝食。堅いウンコが出るかと思ったら、またもLoose Bowel。
オレはPoonaで少しだらけています。早くこの町を出たいような気がします。でもヤギューの調子がよくないみたい。早くどこか新しい知らないところへ行きたい。
11:30頃、Ashramへ行って、あずけてあったものを全部持ち出してくる。Aerogrammeを3枚買ったら、何故か4枚あったりして、得をしました。Air India Officeへ行って、ヤギューのDelhi -> LondonのReservationをとる。OfficeにはCulcutta(カルカッタ)で荷物をなくした日本人が来ていて、通訳をしてあげました。それから、Indian Airline Officeへ行って、いろいろ変更があった末、Poona -> Bombay -> Delhi -> Agra(アグラ) -> Varanasi(バラナシ or ベナレス)のチケットを買う($80.55 each)。Greenfieldsで昼食。バス・ターミナルへ行って、明日のAurangabad(オーランガバッドゥ)行きの時間を聞いてくる。映画でも行くべか!! ということになって、スコールの中をWest-Endという映画館へ行って "O'Men" を見たりなんかする(3.3Rs)。今、同じモロディナロードにあるコーヒーハウスで夕食。London Pilsner(8.5Rs)というBeerがとてもうまい。今日はメニューまでは書きません。ビールのつまみに出てきた乾燥ラーメンみたいなやつは、食べても味がしませんが、飲み込むと辛い。トマトスープは本当の "トマト" スープでした。
インドの映画館は真暗になりません。途中で客がいっぱい来ると、画面が白けたりするのです。プロジェクターの光量も足りなくて、目が疲れました。インドの客は礼儀知らずです。頭はジャマになるし、隣のやつは死ぬほど臭い屁を二発もするのです。ホンマ臭かった。
明日はAurangabad。また心が騒ぎます。しかし、荷造りはきわめて面倒で、うんざりします。とにかく荷造り完了!!
《8月5日(第27日)》
7:30頃,もそもそ起き出して、シャワーなど浴びて、チャイ・ブレの朝食。ヤギューは下痢でしんどそうですが、オレはとにかく動いた方がいいと思う。チェック・アウトに少し手間取りましたが、9:30にはShiuajinagar(シワジナガリ)のバス・ステーションに着きました。さて、席取りが大変。我々はチケットの買い方も知らないのです。結局、3つ席をぶんどって、Reservationをもらいました(1席15Rs)。荷物を通路に出せと言うインド人もいましたが、We have three tickets.で丸くおさまりました。インド人は席取りなんかにエネルギーを使ってるからいつまで経っても進歩しないのです。Aurangabadまでは5時間と聞いていたのですが、7.5時間ほどかかりました。デカン高原の景色は緑がいっぱいで本当に美しい。美しいけれど何時間走っても同じ景色なのです。でも、初めてあの平たい山の上に行けて感激!! 平たい山の上に行ってしまうと、そこは平原です。そして、また次の平たい山々が見えてくる。インドはどこまでじれったい国なのでしょうか!! インド人のかわいい女の子とバスの中で遊びました。子供のくせに全くいろっぽい目つきをしています。負けそう!! インドの女性の愛らしい目はたえられないほど愛らしい!! でも、きたないやつはどこまでもきたない。
17:30頃、Aurangabadに着きまして、さてどこに泊まろうかなとうろうろしてますと、さっきの女の子のおとっつあんが来まして、Y.H. (Youth Hostel)があるよ!! というので、ナンジャクにもすぐY.H.へ行くことにします。Y.H.ならワイが連れてったる、と変なおっさんが出てきたので、力車のDriverだと思ってついて行くと、これが何と馬車!! くさそうなので断って、力車に乗りました。インドのY.H.はあまりに健全です。Y.H.ではインド人の少年少女がダブルスのピンポンを楽しんでいました。ヘタなことこの上なし!! ドミトリーのベッドは蚊帳付きでなかなか快適そうですが(5Rs)、荷物が心配!! 他に日本人が一人、その他はインド人みたいです。晩めしの予約をしてから、ホリデー・キャンプというところへ明日のEllora行きのバスのチケットを買いに行きます。Officerは何故か日本語を少し話します。Y.H.のDinnerをキャンセルして、二人のOfficerにお茶と晩めしをおごってもらいます。インドの宗教のことなどいろいろ聞いたあと、何故か商売の話になりました。Y.H.の前でBusinessしました。ヤギューは腕時計を売りました。オレは明日目覚まし時計を売ることにしました。22:00ギリギリにY.H.に戻って即ベッドに入ります。でも寝られません。でも寝なければなりません。
《8月6日(第28日)》
何故か6:00から起こされて、頭がボーっとしています。Y.H.なんてロクなところじゃない。博多で八百屋をしているという日本人と話をしたりして、少し時間をつぶす。9:00に迎えにくるはずのM.T.D.C. Busが来ません。これは、インド的遅滞であって、如何ともしがたい。11:00になってようやくオムカエ!! バスには何とBombayから四人の日本人が乗っていました。先生らしい二人のネエチャンオバチャン、高校の先生をしている40近くの山本のおっさん、小学校の先生らしい正体不明・年齢不詳のツツミさん。Ellora(エローラ)のことは書きません。
ホリデー・キャンプに帰って、昨日のインド人二人と商売!! 時計160Rs。その後、日本男子四人でめし食って、彼らのホテルへ乗り込んで、インド・ウイスキーのタムサップ割りを飲みながら一服する。ツツミさんは話し出したら止まらない。インド・ウイスキーはアルコールそのものでした。残りのタバコをもらって、22:00少し前にY.H.に帰ってCommon Roomでインド人とBombayの話などする。22:00、ベッド・イン。
《8月7日(第29日)》
8:00に来るはずのBusは、それが当然であるかのように10:30にやって来ました。Ajanta(アジャンタ)までは3時間のバスの旅。ヤギューと歌合戦をしてヒマつぶし。Ajantaのことは書きません。
18:30頃Y.H.に着いて、映画(ソビエトのオリンピックに関するもの)を熱心にインド人たちが見ている横でめしを食う。久しぶりのシャワーが何とも言えません。ドイツ人君にBombayのG.H.のことなど教えてやる。彼とロビーで話していると、インド人のインテリ君がやってきて四人で大討論会になる。インド的諸問題:政治、宗教、産児制限等々、やっぱり10:00に寝る。
《8月8日(第30日)》
今日はPoonaへ帰るだけ。チケットのことで少しもめ事がありましたが、何とかなりました。デカン高原の景色はやっぱりすごい。昨夜は下痢と蚊で寝られませんでした。下痢のおかげでバス旅行が身体に堪えます。6時間のBus Ridingで18:00にPoonaに着きました。Choiceに部屋が空いていて本当によかった。
Chinese Roomで夕食。のどを通りません!! 下痢がひどい。ふらふらになってChoiceに帰って即おやすみ。
《8月9日(第31日)》
ぐっすり寝ても下痢は治らない。ハガキなど書く。ヤギューはIndian Airlineと銀行へ行く。オレは洗濯。昼メシはミルクのみ。午後一服して、ヤギューとバカやって、そのまま昼寝大会。19:00まで寝て、Chung-faで夕食。ラーメン。あまりうまくない。日記書き。
《8月10日(第32日)》
昨日の昼寝がたたって今朝は7:30から目が覚める。何もすることがないというのに!!
手紙を書いて、シャワーを浴びる。気持ちよか!!
10:00、明日7:50 Poona発の飛行機に乗るにはChoiceを何時に出るべきか、ヤギューと検討したりする。今日は映画でも見に行くべかな?!! 下痢はまだなおりません。
Indian Airlineのオフィスに行くが、Delhi -> AgraのOKが出ません。映画はやめて、ホテルでお休み。飲食なし。夜はホテルの皆さんとなごりを惜しんでヨモヤマバナシに花がさくのでした。
《8月11日(第33日)》
5:30でいいと言ったのに、Gulubのバカタレが5:00から我々をタタキ起こしたのでした。Coffee & Breadの朝食をすませて、6:20にホテルをあとにします。少年は力車まで見送ってくれました。
力車のおっさんはAirportのありかを知らなくて、空軍の飛行場まで行ったりして、危うく乗り遅れるところでした。7:50発の飛行機は当たり前のように8:10頃出発。何だかわけのわからない小さい小さいプロペラ機。約45分のFlight。Baggage Climeのモタモタしたところなんかとてもインドらしかった。BombayでもDelhi -> AgraのOKは出ません。井上さんという人と友達になりました。彼もDelhiまで行きます。Agraへは日帰りするとか!! 12:00にチェック・インして、はっきり時間はおぼえていないけど、かなり遅れてDelhiに着く。遅れが気にならなかったのは、飛行機があまりにもキレかったから。Air Bus A300とかなんとか。
Delhiの空港はなかなか落ち着いていていい!! Bombayとは大違い。かなりがんばってFlightの1.5時間くらい前に ->AgraのOKが出る。またまた遅れてDelhi出発。今度はすさまじくオンボロの飛行機。ホンマ飛ぶんかいな? しかし、夕焼けがすさまじくキレ!! 今日はBombayもDelhiもAgraもスコール。本当すごいスコール。スコールがやんでいたのはDelhiの夕焼けが見えたときだけ。何とかグラグラAgraに着く。何となくGrand HotelのA/C(エアコン) Roomに落ち着く(75Rs)。なかなかいい部屋です。食事をしてバタンと寝る。マンゴ・ジュースがうまかった。そうそう、Delhi -> Agraの飛行機でお金持ちの日本人からMild Sevenをいただきました。ナマステ!!
《8月12日(第34日)》
まずはナマステ!! 9:30くらいまでぐっすり寝て、部屋でブレックファストを食べたはずなのですが、何を食べたのか記憶にありません。11:00にTaxiをチャーターして、まずマーブル・ファクトリーに行きます。ここはGovernmentの店で、学校も兼ねています。失業対策とか。でも、学校といってもきたないもんです。先生からいろいろ教えてもらいます。ちなみに "あそこ" は "ジキジキ" といいます。何でそんなこと教えてくれるんでしょう? この先生はとたんに商売人にも変身します。ファクトリーの陳列室には本当にきれいなものがいっぱい!! 2~3時間いろんなものを見せてもらって、ヤギューはクリシュナとキャンドル・スタンドと小物入れを買いました(135Rs)。オレは大理石のチェス・ボードと駒を買いました($140)。
それから隣のシルクの店に行って、また長々と商談。オレはサリーとスカーフ5枚と大きめのスカーフ1枚を買いました(350Rs)。次は宝石屋さん。本当どの店もいいものばかり置いてあるのです。ブラック・スターという石をネックレスに作ってもらって、明日ホテルまで持ってきてもらうことにしました(75Rs)。次はシタールの店。いいミュージックを聞かせてもらいました。ヤギューはシタールとタブラを買いました(975Rs)。次にブラス・ショップへ行きましたが、ここのおっさんは日本語をしゃべるので何も買いませんでした。タバコを1本もらって、屁を一発してきました。ようやくTaji Mahar(タジ・マハール)の近くのレストランまでたどり着きます。ここでTaxiには帰ってもらいました(50Rs)。今日は、本当Big Shoppingでした。Taji Restaurantで久しぶりに食欲がわいて、チキン・カクテルをハンバーガーと共に食したのでした。ヤギューのバカが、いやしくもハンバーガーを追加注文したので、危うく夕日に間に合わないところでした。ここでTajiの夕日および夜の星を見ます。Tajiのことは書きません。そういえばAirlineのOfficeにも行ってきました。OKが出ていたはずのAgra -> VaranasiはOKが出ていない。誰がこんなもん出したんか? なんて言い出します始末。全くわけが分かりません。気持ちよくシャワーを浴びておやすみ。
《8月13日(第35日)》
5:00起床。健全そのもの。6:00にはTajiに到着。Tajiの朝日。何も書きません。
力車をひろってホテルへ!! ヤギューが途中で "銀行" と叫んだのですが、何と時計を見たら7:30。銀行屋さんはまだ開いてないのです。何とも健全。ホテルで食事。手紙書き。ダベリング。ジャム・セッション。何となくストーンしてるみたい。停電!! アハハ!!
昨日クリーニングに出しておいたジーパンが出来てきました。何とアイロンでおりめなんかつけてあって、ホント、バカカ!!
停電でA/Cのきかない部屋でモンモンとお昼寝。昼寝から目覚めるともなくモゴモゴ夢の中でうごめいていると、銀行から帰ってきたヤギューがシタール屋さん行かへんけ? なんて言うのです。オレはうやむやのままおやすみ。スカット目覚めたのは16:00頃。ヤギューは、シタール屋さんでシタールの先生とタブラの先生のすごいセッションを20Rsで聞いてきて大興奮!! オレも行けばよかった。遅い遅い昼食。
Indian Airlineのオフィスに18:00頃行きました。OKが出ていたIC407便は去年の10月から廃便になっているとか。無責任な話です。オレとヤギューはかなり頭にきて、どなりちらして、明日の便に何とか乗れる "チャンス" だけはもらいました。本当ムチャクチャな話です。こんないい加減なことばかりやってるからインド人はダメなのです。今日のインド観は最低です。ホテルに帰ってから二人でボロクソにインド人の悪口を言いました。夕食はチキン・マヨネーズとビール!! チキン・マヨネーズはマスタード・マヨネーズがとてもすてきでうまかった。ひょっとしたら、インドで食べた中で最高かも。ヤギューは今、眠たそうに荷造りをしています。オレはもうおわってしもた。おやすみ。
《8月14日(第36日)》
朝7:00にモーニング・コール。8:00にTaxiを予約しておいたのに、何故かインド人のカップルが相乗りしてきたので、大分遅れました。Driverはかなり気にくわないヤツ。8:30頃にAirportに着いて、さて戦闘開始!! 空席待ちだけでもロビーはいっぱいの人人人人人。日本人も3人いました。我々のWaiting Numberは102と103。これでは見込みなし。しかし、昨日ゴネたカイあって、いざCallingになると我々はNo. 1と2。ハハハハ!! そしてBoeing 737が着いて、席の確認が済むと、空いている席はMaximum 2。結局、我々2人だけが乗れることになったのでした。
昨日のイケスカナイOfficerは、今や少しはマシなヤツに見えるのでした。しかし、全くスレスレ旅行です。Boeing 737は、今日は心なしか快適。1時間のFlightでVaranasiに着きます。空からはガンガ(ガンジス河)と広い広い緑の平野が見えました。この辺の緑は、田んぼの緑が多いようで心強い。空港で会った客引きに言われるままにHotel Himalayaに行くことにしました。Varanasiの町並みは、聞いていたほどきたなくはありません。でも、町らしい町も見あたりません。ちょっと埃っぽい町です。コジキがあまりいないみたいでホッとしました。Himalayaでは、Robert(ロバート)と友達になりました。彼は働き者のボーイ兼ガイドです。なかなか頭がキレます。日本語を勉強したがってます。2日間80RsでTaxiを借り切りました。ガイドはRobertがFree Chargeで引き受けてくれました。Robertとは違うダテ男がまずIndian Airline Officeに連れていってくれました。それからRobertが、初めてシャカがNepalを出て、五人のお供と一緒に座ったという場所へ行って、シャカSchoolなんかも見て、疲れて帰ってきました。Himalayaには小野沢という日本人が泊まっていました。彼と一緒に食事して、彼の部屋でパイナップル・パーティーをして、コテンと寝ました。シャカSchoolはなかなかオモロかった。
《8月15日(第37日)》
4:30起床。ガンガの朝日を見に行きました。わりと晴れていたりして、感激。ガンガのことは書きません。死体を焼いているところも見ました。Photoもとりました。
いくつかお寺を見て、軽い朝食をとったあと、昨日立ち寄ったシタール・ショップへ行きます。Crown Silk CornerのShopkeeperのおじさんの家でIndian Breakfastをご馳走になりました。フライド・チャパティにカリーにジャム。なかなかいけます。長い長い商談の末、何も決まりません。いい加減チャイ腹になってきました。いいシタールは見つかったのですが、少し高いし、もっとたくさん見たい気もするし、久保田に500Rsもするシタールを買って行くのもどうかと思うし、というわけで12:00頃一度ホテルに帰ることにしました。シャワーなんか浴びて、一休みして、Indian Airlineへ行きます。ここからが大騒ぎ!! 20日の席はありません。みんなフレンチ野郎が悪いんです。バカカー!! 22日のリクエストとロイヤル・ネパールのリクエストを出してもらいます。しかし、汽車でPatna(パトナ)まで行くのも大変ですよ、こりゃ。何せ、インドなんだから。というわけで、ホテルに帰ったんですが、例のダテ男が明日なら二人とも飛べると言い出したので、またまたナンジャクにもホイジャそうするべかということになりました。ダテ男がOfficeへすっ飛んでくれました。1時間くらいして帰ってきて言うには、オレはOK、ヤギューはAgraまでOK、Agra -> Delhiは75%でOK。
とまあ、一段落して、断食してるモスリムのShopkeeperのもとへ小野沢さんとRobertの四人で再度商談に出かけます。結局、1000Rsと500Rsのシタール、300Rsのタブラplusふえplus Boxで1750Rsということになりました。小野沢さんもかなりナンジャクな人で、つられて800Rsのシタールなんか買ったりして。ホテルで小野沢さんを含めてパーティー。こんなに早くヤギューと別れてしまうとは、思いもしませんでした。ビール2本、インディアン・リカー(30Rs)。インディアン・リカーは1/3も飲めませんでした。残りはRobertたちにあげました。大喜び!! そうそう、Robertに日本語のハンドブックをあげたときには大変な喜びようでした。全く!!
明日から離ればなれになって一人一人で旅を続けるというのに、別に特別な話もありません。二人とも酔いにまかせて寝てしまいます。
《8月16日(第38日)》
朝6:00から目が覚めました。例によって何もすることがないので、下へ降りてRobertと話をしました。オモロカッタ。7:30からPackingを始めて、9:00にI.A.Officeへ向かいます。チケットは空港で受け取ることになりました。ヤギューは11:00にもう一度Officeへ行かなければならないことになったので、我々はホテルで別れなければならなくなりました。お金はダテ男が渡してくれることになりました。ここは信用することにしましょう。10:00にホテルを出ました。男同士の別れは本当にあっけないもんです。この別れは、ヤギューにとってもオレにとっても、決して重要でないものではありません。我々は、やっぱりお互いの道を行くべくここVaranasiで別れて行くのです。オレは目頭が少し熱くなるのを禁じ得ませんでした。まず、シタール・ショップへ向かいます。パッキングにかなり時間をとりましたが、Taxiを飛ばして11:00にAirportに着きました。Taxiの中でダテ男といろいろ話しました。彼自身のこと、インドのこと、何と彼の月給は200Rs。悲しいことです。きれいな服はみんなGiftだそうです。途中ラビ・シャンカールの家が見えました。空港での手続きはかなり面倒でした。みんなダテ男がやってくれました。オレ一人では、おそらく30分でこの手続きをこなすのは無理だったでしょう。チケットはほぼ$50もしました。さらに、Excess Baggageに30Rs、Airport Taxが32Rs。T/C(トラベラーズ・チェック)を現金化して、1550Rsをシタール・ショップに、1200Rsをヤギューにとダテ男に渡しました。彼にはチップとして40Rs渡しました。彼にとって決して小さいお金ではないでしょう。12:20、無事Varanasi発。
はじめに タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok- インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi- ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan |
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