はじめに タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok- インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi- ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan |
《8月16日(第38日)》
約50分でKathmandu(カトマンズ)着。Taxi(18Rs)でPark G.H.へ行きましたが、あまり芳しくないのでヤメ!! 飛行機の中で会った吉田のおばさんにP.G.H.へ行くと言ってあったので、少し悪いとは思ったのですが、Taxi Driverの知り合いがやっているHotel Mountain Viewに行くことにしました。1泊50Rsを30Rsにまけてもらいました。とにかく落ち着いてホッとします。部屋の中をボーイがひっきりなしにうろつくので少し閉口。10才くらいと思われるのに、タバコをスパスパ!!
しばらく休んでから、ロイヤル・ネパール航空のOfficeにPokhara(ポカラ)行きのReturn Ticketを買いに行きます。$20、ついでにThaiで買った(\4000くらい)チケットをキャンセルしてきました($23)。Officerのサインをもらったりして、わりと面倒くさかったのですが、少しもうかったような気がします。
New Roadをぶらぶらして、Paras Hotelのレストランで夕食。ここで働いているNabin Shrestha(ナビン・シュレスタ)と友人になりました。6:30にNabinの仕事が明けたので、Night Marketに連れていってもらいました。Nabinの家も見せてもらいました。兄弟が5~6人いて、本当にせまい、きたない家でした。You can see now.と言って、彼はそのきたない小さい家を見せてくれました。何故か結婚した姉さんの家まで行ったりして!! 彼とコーヒー飲んで、途中で会ったもう一人の友人も加わり、長いこといろいろ話しました。あとはシャワーを浴びて寝るだけ。
《8月17日(第39日)》
8:00にモーニング・コールを頼んだのに、7:00頃からチャイはいらんかね~とノックするのでもうたまらんワ!! とにかくモソモソ起き出して何をするともなく例によってボーッとする。さかんにボーイが遊びに来るが、英語が通じないのでアキマセン。
10:00にNabin(写真:上左)とParas Hotelで待ち合わせだったので、9:00にホテルを出てUnityというコーヒー・ショップ(すぐ近く)でブレックファストをとっていると、9:30にNabinがUnityに現れました。しばらくゆっくりしてからKathmanduの町を案内してもらいました。それからNabinの恋人と彼女の友達(二人)をさそって(来なかったもう一人の娘がえらくカワイかった。写真:上右)Patan(パタン)までIndian Movieを見に行きました(写真:下)。映画はNabinがおごってくれました。
えらく長い映画で疲れ果てました。内容は、ドタバタ喜劇とLove Storyと勧善懲悪ものとアクションと悲しい悲しい物語をミックスしたようもので、まあ何ともいえませんな。何がものすごいといって、観客の反応のすさまじいこと!! 口笛はふくわ、泣くわ、わめくわ、立ち上がってバンザイするやつ等々、本当これは見ものです!! 例によって映画館は薄明るいのですが、今回は屁をかますやつがいなかっただけよかった。本当によかった。
Patanの町(?)をすこしぶらぶらして、TaxiでNew Roadに向かいます。途中で女の子を降ろして(高くつくので)Nabinと二人で食事にします。4:00からNabinは仕事だそうで、レストランで別れます。夜またホテルに来るそうです。少し煩くなってきました。
ホテルに帰ってシャワーを浴びようと思ったら、ポンプが壊れていて水が出ません。アタマにきて明日の荷造りをすることにします。荷造りが終わって、絵ハガキを書きました。心はもうPokharaに行っています。そのうちNabinが来て、少しバカ話をしたんだけど、疲れてるみたいでわりと早く帰る。絵ハガキの残りを書いてオヤスミ。
《8月18日(第40日)》
インドにしてもネパールにしても、こっちの連中は男同士でも手をつなぐ。Nabinは友達になったシルシなのだろうが、時々手をつないでくる。気持ち悪いことこの上ない。しかし、ムゲに断るわけにもいかないし、半袖だからトリハダを立てるわけにもいかない。まあがまんするさ!!
今日はいよいよPokhara。心がさわきます。10:00にNabinとUnityで会います。コーヒーとケーキの朝食をすませてPost officeに向かいます。途中でNabinが "今日は休みじゃ" と言い出しまして、ヤメ。New Roadも休んでいる店が多いとか。ロイヤル・ネパールへ行ってKTM -> BKKのチケットのリコンファメーションをします。ここでNabinと別れます。Nabinはいったい何をしに来たんだろう。かばん屋さんをのぞいてから、またUnityへ向かいます。ここでアシュラムでCenteringを一緒にやったオーストラリア人と会います。一時間くらい話したかな? なかなかストーンwithout drugした女性でした。彼女と一緒にUnityを出て、途中でbye-bye。旅の途中で会う人は、気安く深い深い話ができて、そいであっさり別れられます。なかなかいいもんです。ロイヤル・ネパールへ向かう途中、カモシカ皮の店に寄って、$90のコートを$50まで値切れるだけ値切ってきました。
13:00にロイヤル・ネパールのOffice前からAirport busが出ます。Domestic airportでいろいろの手続きを済ませて、PokharaのCollegeで数学を教えているというアメリカ人などとボチボチ話していると、何とFlightがキャンセルになったりするじゃないですか!! せっかく行く気になったのにアジな真似をしてくれる!! 仕方がないのでその先生と相乗りをしてOfficeに逆戻り。明日のOKを取ります。ホテルで一休みして、フリーク・ストリートに出かけてみます。ガンジャ売りの声がなかなか秘密っぽくて、それでいて公明盛大でよろしいですね!! "ガンジャなんか買いませんでした" とここで神に誓って宣言します。いろいろ店をひやかして、結局タイガー・キー2個と便箋を買いました。Coffee shopで一休みしていると、何とあのあのあのTomyが例のニヤケ面でニコニコ笑いながらやって来るではないですか。ボカッとたたかれても、僕はあまりの偶然にびっくりするばかり。フト気を取り戻すと、Tomyが素敵な女性を連れているので嫉妬してみたりもする。少し話して別れました。しかし、ここはフリーク・ストリート、Tomyがいても何の不思議もありません。何故かガンジャ売りの兄ちゃん達とお友達になりました。その一人の兄ちゃんの家に何故か例によって上がり込みまして、日本人と結婚したという姉さんの写真を見せてもらいました。そのうちかなり年上の兄貴が二人ばかり友達を連れてやって来たりして、一時は大騒ぎにになりました。お茶だけいただきまして "今度はメシ食いに来い" という兄貴の大きな手と握手して、ガンジャ売りの兄ちゃんの小さくてキタナイ家を後にします。兄ちゃんと食事してから、タバコを買ったりして、See you.とばかりにお別れしてホテルに帰ります。イップクして寝る。
《8月19日(第41日)》
今日こそはPokharaに行くぞとばかりに元気よく朝おそくベッドをぬけ出します。カメラ屋なんかをのぞきながらフリーク・ストリートまで歩いてみます。例のコーヒー・ショップで朝食、スイス人の二人の女性とお話。美人でございました。フリーク・ストリートの写真をとってから少し店をひやかして、ガンジャ売りの兄ちゃんたちと楽しく話します。初めて象皮病の患者を見ました。ガンジャ売りの兄ちゃんたちと再会を期してギュッと握手してから、いさましく力車をひろうのでした。"お~い力車、郵便局までやってくれねえかい?!!" しかし、元気なのもここまで。Post officeは人でいっぱい。彼らはインド人同様列をつくらないから、いつまでたってもStampなんか買えそうにない。諦めてOfficeの前でレモン・ソーダの屋台に立ち寄ってみる。まあ、まずいことまずいこと。全くすることがなくなったので、例によってブラブラ、ボーッとする。
再度、今日こそはPokharaへ行くぞ!! とRNACへ向かう。昨日と同じ要領でAirportへ!! 今日は順調。昨日の数学の教授も来ています。定刻通り14:15に離陸。約40分のFlight。高度があまり高くないようで、景色は期待していたほどではありません。20人乗りの双発機ですが、フワフワとよく飛びます。Pokhara空港に着くとすさまじいスコール。しばらく雨宿りしてから、フランス人夫婦と相乗りしてFewa Hotel(フェワ・ホテル)に向かいます。フランス人夫婦は僕同様 "骨休め" に来たんだそうで、しかしFewaではとても休めないといって何処やらへ行ってしまいました。僕はいったいどうなるの? 人種がちがうとでもいうのけ?!! 全く!! Fewaはいいホテルです。湖はすぐ近くだし、人はいいし(Twinで40Rsを30Rsにまけてもらう)、もう最高。Cold drinkないかいな? と聞くと、冷蔵庫からビールびん入りの水が登場しました。シャワーを浴びて、一休みしてから近くのレストランへ行きます。しかし、ひどいスコールです。レストランのおやじは親しい日本人がいるとかでアルバムまで見せてくれました。しかし、帰りが大変でした。道は川だし、まっ暗で何も見えないし、久しぶりにジャボジャボと気持ちよくやってみました。どうしてまっ暗かというと、街灯なんてあるわけないし、もしあったとしても今日は16:00から電気がきていないのです。停電じゃなくて、電気がきていないのです。キャンドルの下で姉貴に手紙を書いて、何故か今夜は異常に気持ちよくおやすみ。
Fewaは湖から150mくらいのところにあって、対岸にはすごく切り立った山が見えます。その山の中腹にすてきな別荘風の建物が見えます。その山のまた向こうには、雲さえなければMachhapachhare(マッチャプチャレ)が見えるはずです。でも、ここの景色がどれくらいのんびりしていてすてきかなんてこれ以上書いても同じことです。
《8月20日(第42日)》
10:00頃モソモソ起き出して、おもむろにカーテンを開けますと、そこにはチベット野郎がボケーッとこっちを向いて立っているではないですか。本来ならかなりびっくりすべきところを、なにしろ寝起きで頭がボケているので何故かチベット野郎とお見合い状態。そのうち "これいらんかね。あれいらんかね" と言い出したので、ドアを開けて商談開始!! しかし、こっちは寝起きだからかなり条件が不利。ここで、何故か少年が一人登場します。こいつが堤さんに聞いていたGire。結局アンモナイトのいいのを一つ買って(バンドエイドおよびマンダラ・ブローチと交換)、オマケにブレスレッドをもらいました。
突然ですが、Pokharaにもマングースがいるんですね。Taji Mahar(タジ・マハール)でも見ました。マングースってのは、いったいこういうところに住んでるんですかね?
Gire(ジレ)と一緒に朝メシを食って、自転車を借りに行きます。5日で50Rs。ホテルに帰って今日の仕事は完了。Gireが祭りに着る服がないので金がいると言います。母親も服がいるとか。仕方がないから、50Rsでマッシュルーム・パウダーを買ってあげます。今はフレッシュなのが手に入る時期なのですが……。昼過ぎからスコール。本格的にすることがなくなりました。夕方のSecond flightで隣の部屋にユーゴスラビア人がやって来ました。全く変なおじさんで、Yes, yesばかり言ってます。例えば、僕がI think it's difficult to…なんじゃかんじゃと言いますと、Difficult, difficult, yes, yes, difficult.なんて言ってるんです。なんだかいつもストーンしてるみたいなおじさんです。しかし、晩メシおごってもらったから悪口なんて決して言いません!!
夜はユーゴスラビア人のYes, yesおじさんと僕とボーイ君とネコ君で討論会。おじさんはシガレットを2本もすって、目をボーッとさせてNothing, nothing to me.なんてほざいています。何でも2回言うんですね、この人は。しかし、2本すってnothingのわけないやろが、バカ!!
夜は最初ネコ君と寝ていたのですが、アホタレがベッドの下でクソをたれたので、仲良くしないことしました。僕の愛の重さを知るべし!! もうビスケットなんかやらへんゾー!! というわけで、クサイのをがまんして寝る。
《8月21日(第43日)》
朝おそく起きてドアを開けますと、待ってましたとばかりにユーゴちゃんが立っているではないですか。ユーゴちゃんとはあまり遊びたくなかったので、歯も磨かず、朝メシも食わず、町まで出かけます。
ホテルの人に聞いたら、Post officeまでは "歩いたらちょっと遠いけど、自転車なら近いもんや!!" などと気軽に言うので、僕も気軽に出かけたんですが、これが遠いのなんのって、足はつってくるは、息は切れるわで銀行(※)に寄ってPost officeに着いたら12:00。出かけたのは11:00。こっちの人の "近い" は当てにならない。P.O.ではみんな列なんかつくらないのでまいりました。ネパリたちよ、お前たちはインド人になるな、と神の言の葉を残してP.O.を立ち去ったのでした。10Rsのスリッパを買って、ハガキ買って、Nepali(ネパール語) -> Japaneseのポケット・ブック買って、さて帰ろ!! と思ったら大スコール。寒いのなんのって、身体は震えるわ、メガネはよう見えんわでひどい目に遭いました。レストランで食事してから飲んだ熱い甘ったるいmilkyインスタント・コーヒーが最高にうまかった。ホテルに着いたのは15:00。もう何もかもビショビショ。とにかくシャワーを浴びて、蒲団にくるまります。ガクガクガク……と震えながら手紙書き、ノート書き。
ユーゴちゃんが話したそうに入ってきたので、適当に遊んであげました。Yes, yes, yes。また、スコールが強くなって、夕食は取りやめ。今日は電気のこない日なので、キャンドルの下で "山の音" なんか読んでみます。久しぶりにふれた日本の情緒になんか懐かしい安心感を覚えました。知らない間にオヤスミ。
※Pokharaに銀行口座のある日本人はそう多くないはず。いくら預金したか読みとれないし、利率も覚えていないが、20年近く経つし、銀行さえ存続していれば相当な残高になっているかもしれない。いつか確かめに行かねば。
《8月22日(第44日)》
朝起きたらGireが待ってました。ちょっと滝を見に行こうというので、朝メシ食ってから出かけました。今日も歯を磨くの忘れました。しかし、Water-fall(Davis's fall)見て、チベット・キャンプ見て、これがやっぱり4.5時間におよぶ一大Tripなのでした。この辺りの "ちょっと" は気軽に信用してはいけない。牛に引かれて何とかでもないが、Gireのようなやつにそそのかされて、あんな小さな滝をはるばる見に行ったやつが18438人(写真)もいるかと思うと何だか楽しくなる。
ホテルから1kmのところまで来ると、日本人二人に会いました。Nepalに入ってから日本語を使うのは初めて。でもしゃべれるもんですね、ヤッパ!! 最初は一人だと思ったんです。もう一人の人が "これどう思いますか?" ってヘンテコなアクセントで言うから、僕は絶対ネパールいやいやチベット人だと思って、Do you speak Japanese? なんてつい口走ってしまいました(こういうのに限って福井県出身だったりする。何もNepalまで来て訛る必要はないんじゃないの?)。僕は何故か土産物のAuthorityになってしまい、僕が "これはあんまりようないで" と言うと値段がドッと下がってしまうので、チベット人諸君に悪くなってしまいました。彼らのいた茶店で一休み。
例のレストランの大木の下でハッシシュ売りの兄ちゃんとダベリング。彼らと別れてホテルで一休み。シャワー。レストランで夕食。ボーイたちと楽しくお話し大会。日本でゲンコツ、ネパールでバチカイドゥン。これがバチカイディンに聞こえます。"あほかオマエ、タタイタルゾ" が "バーチカイディン、バーチカイディン" になります。ホテルに帰って読書。9:30頃からボーイ君(そのうち名前を聞かねば!!)とお話。ネパールの酒と肉の佃煮みたいのをご馳走になります。ボーイ君は23才。僕は彼がとても好きです。酒がまわるにつれて二人ともいろんな話を始めます。彼の悲しい話も聞きました。8才の頃、飢饉があって食いもんがなかった。彼は頭にロープをまわして石を運ぶドカタをしました。ハイスクールは制服や本がいるから行きませんでした。ペンは細い竹で作りました。紙はホテルで使い走りをして外国人にもらいました。何年か前、このFewaが建ったときもここでドカタをしていて、そのままボーイになりました。つらいつらい人生でした。二ヶ月前結婚しました。母が老い、働き手がいるのです(父は飢饉のとき亡くなりました)。でも、彼は妻を心から愛しています。
僕はボーイ君が大好きです。だから言ってやりました。君はステキだよ。ヨーロッパや日本へ行ってごらん、そのことがよくわかるよ。先進国にいるから何か持ってると勘違いしてるヤツもいるけど、それは幻想なんだ。君は十分持ってるよ。OKなんだよ…… とそのうち頭がボーッとしてきて、ボーイ君は帰り、僕は知らぬ間に寝てしまいました。
《8月23日(第45日)》
例のチベット野郎が鳴らす心地よいチーンというシンバルの音に、頭にきて目を覚ます。チベット野郎は、僕の寝起きばかり襲って商売しようとしてるんでしょうが、そうは行きません。今日は何んにも買ってやらないのです。しかし、コイツ、なかなか愛嬌あんのよね。
Gireに連れられて、眠い目をこすりながらレストランへ行く。例のマッシュルーム入り特性オムレツを食べました(Gireも)。Gireはフワフワと僕の自転車をネコババしてどこかへ行ってしまいました。Gire、14才。フレンチ・ヒッピーと少しお話。女性の方はフリークにしとくのはもったいない。
というわけで、一人ホテルに戻り(途中でネパール娘にシガレットを1本ゴウダツされる)、シャワーを浴びて写真とり。ノート(4日分)を書いていたらもう夕方。夕食にしたいのだが、またもスコールで身動きがとれない。今夜は電気がこないから、せいぜい読書とハガキ書き。
スコールは本当ものすごいんです。しずくの群集がドアにぶちあたって部屋に浸入してきました。僕がワイワイ騒いでると、赤いきたなめのサリーを着た女性が水をかい出しに来てくれました。大げさなようですが本当なんです。"Thank you。ありがと。ハッハッハ" と言って彼女は豪快に出て行きましたが、どうしてなかなかの美人なんですよ、これが。掃除婦はカーストが低いんですが、彼女は自分のカーストに満足しているフシがあって、どうも気に入らない。
スコールのあとの山々の景色はめっぽうきれいです。レストランに行くとき、自転車をこぎながらそう思いました。そしてレストランの帰り、夕焼けがあんまりきれいなので、ホテルへ帰ってからすぐ湖の方までPhotoをとりに行きました。ふと後ろを振り返ると、雲かいな? と見えたのは何とアンナプルナ連峰。そしてMachhapuchhareが青くひかってます。そこだけは少し青味を帯びた風景なのです。高い山です。本当に高い山です。雲は朱色に染まっています。やはり、それは神聖なものに見えました。けものの歯のようにも見えました。そこだけが全く別世界に見えました。もしかしたら、あそこがテンジクなのかもしれません。そうだとしても、何の不思議もありません。
《8月24日(第46日)》
昨夜は、ホテルの使用人の女性が誰かに打ち明け話をしていたのですが、泣くわ笑うわの大演出ぶり。山を見て興奮していたせいもあるし、その声が窓のすぐ外で聞こえたので全然寝付けなくて、本当に眠りについたのは21:00過ぎだと思います。そして、起きたのが5:00。僕は睡眠不足で死んじゃうんじゃないかと、我ながら心配になりました。昨日見たのはMachhapuchhareではありませんでした。Annapuruna(アンナプルナ)Ⅱ、Ⅳ、そしてもう一つ何か。きれいでしたね。別に名前はいいんです。見えなくなるまで山を見て、部屋に戻って、この感激を伝えるべく家に手紙を書きます。しかし、まだ7:30。早く起きちゃったもんね!! 何もすることはないし、ハラは死ぬほどへるし、レストランは開いてるかいなと8:00に出かけます。自転車パンク。オムレットとトーストとコーヒーの朝食を済ませ、自転車屋さんでパンクをなおして、Coffee shopで一休み。ホテルへ帰ってまた一休み。洗濯をしようと思ってやめる。日向ぼっこをして、シャワーを浴びて、読書。別に何のヘンテツもない一日なんですが、本人はすごーく満足しています。日向ぼっこは気持ちよかった。なあーんにも考えてないもんね。自分ながらふとバカかと思うほどボケーッとしてるんです。仰向けに日向ぼっこしてるネコみたいなもんです。ネコ君も何も考えてなかったと確信してるわけです。
突然ですが、オーイというその言い方はNepalでも日本でも全く同じなんです。だからレストランのおやじがオーイなんておかみさんを呼んでいると何故か京都の中島食堂を思い出してしまうのです。トロロ(私) - トロロです(カウンターから厨房へ)。卵入りですか? - はい - 卵入れて下さい - 野菜天 - 野菜天ネ - ナスデン - はい、ナスのでんがくです - ライス小 - はい、ごはん小にして下さい、お名前は? - 北山です - はい、えー450円です。数分後。北山さーん(厨房から) - はあーい、とまあメシにありつけるわけです。
突然ですが、インドでもネパールでも、注文した "そのもの" が出てきます。例えば、レモンソーダ(まあレスカ)を注文するとレモン汁にソーダ・ウォーターを入れたのが出てきます。決して砂糖なんか入ってきません。しかし、これに自分で砂糖をぶち込むと必ずテーブル中アワだらけになります(冷えてないの)。トマトを注文するとトマトが出てきます。決して切ってありません。Milk coffee with sugarを注文するとあまいあまいmilky過ぎるインスタント・コーヒーが出てきます。しかし、これが最高にうまいこともある。
レストランでこのノートを書いています。17:00。さっきコーヒーとバナナ・パイを食べたところです。スコールがはじまって帰れません。パイはサクサクしてた方がいい、と僕は思う。しかし、歯が折れそうになるほどではいけない!! レストランのコックが出てきて、壁に貼ってあるPolitical Map of Indiaをボーッと見て帰っていきました。きっと毎日見てるだろうに、よくもあんなにめずらしそうに見れるもんだな。横に三人のフリークがやってきました。どうもイケスカン感じがします。すてきなフリークってなかなかいないんだよね、実は。スコールがやまないので、Limcaとスパゲッティ・トマトソースwith much vegetableを注文。カレッジで経済学を勉強しているというネパール少年と少し話をしました。日本はコミュニストだったことはないのかと驚いていました。でも、マルクスもレーニンも知らないそうです。Officerになりたいそうですが、ちょっと心配。でも、僕にはどうすることも出来ない問題です。
ここPokharaにいるからのんびりできる。雲の向こうにMachhapuchhareがあるから、湖のほとりで日向ぼっこできるからのんびりできる。これも事実。でも、リラックスできているのは僕自身で、Pokharaにいること、そして他のどんな事実とも関係がない。これもまた事実。となりのフリークたちはフランス人です。よく笑います。理由なんかないけど、彼らにAsiaの静けさは理解できないような気がします。
電気がつきました。18:15。でも、11:00までの命なのだ。まあ、ものすごいスコールです。何にも見えません。画面全体が夕焼け色にぼんやり光って見えるだけです。これじゃホテルに帰れん。スコールがだんだんきつくなってきたので、レストランのボーイに送ってもらうことにしました。1Rsチップを渡す。こいつには1Rsと50Pの硬貨の重さが敏感にわかるんだろうなとふと考えながら硬貨を手渡した。
ホテルのボーイ君の名前がわかりました。Ram-Prasad SHRMA君(ランプラサッドゥ・シャーマ)です。彼と少し話してから、今日は電気があるので "山の音" の続きを読む。
《8月25日(第47日)》
例によって用もないのに5:30に起きる。今日は山は見えない。腹が減るのをがまんして7:30までボーッとする。Taxi(乗り合いで10Rs)Airportまで向かい、またヒマつぶし。Planeは約1時間遅れで9:50に離陸。PlaneからAnnapuruna Ⅱ、Ⅳが見えましたが、席が反対側だったのでPhotoは取れませんでした。フランス人がニクイ!! 邪魔になるのは大抵フランス人なんだから。
このニクイ フランス人と乗り合いでTaxi(12Rs)に乗りUnityで朝食。Hotel Mount Viewで一休みしてからフリーク・ストリートに出る。ガンジャ売りの兄ちゃんたちとダベリング。前にタイガー・キーを買った店のガキとカメラを売りに行く。6700Rsなんて言うからいやんなっちゃった。フリーク・ストリートのコーヒー・ショップは今日は2度目。ビンはコーラのビンですが、中身は77(ダブルセブン)。今日は土曜日でお店は休みのところが多い。お金もないし、だいいち本質的にすることがない!!
ここフリーク・ストリートは本当にフリークが多い。このコーヒー・ショップでも下手な笛を吹きまくっているヤツがいる。どこかのアパートからロック・バンドの練習が聞こえてくる。もう、うっとりするほどヘタクソ。
フリーク・ストリートではいっぱい顔見知りができてしまって、少し歩くととまって立ち話を始めなければなりません。楽しくもあり、めんどくさくもあります。
今日はネパールの女性のためのお祭りだそうです。Taking bathして身体を浄めるそうですから、ひょっとしてと舞い上がったのですが、土産もの屋のおネエさんに聞いたら既婚者専用だそうで、気合いが抜けました。
Tomyが彼女と一緒にコーヒー・ショップに入ってきました。しかし、あのニヤケ面はなんとかならんのか? 全く!! Tomyと話しているうちにNepaliおっさんが割り込んできました。世界中いろんなところに行っているおっさんで、好きなタイプではないが、インド人ほどいやな感じはしません。帰りにオレンジ・ジュースの缶詰を4本買いました。1本6.5Rs。いま飲んでみたらホントまずい。何と、中華人民共和国、中国??(米編に良)油食品進出公司監制、北京なんだワ。しかし、ネパールはカン・ジュース一つよう作らん国なんかね、しっかりせいよ!!
というわけで、Unityで夕食。自家製アイスクリームの入ったミルク・シェイクに感激。スパゲッティの少ないのにゲンナリ。でも、かなりおいしかったので満足。
Unityにフランス人夫婦出現。きらいなんだよな、全く。Do you speak English? なんてえらそうに聞くんですよ。日本人が英語話したら悪いんけ? と思ったけど、国際問題になるといけませんから、a little bit と穏やかに答えてやると、あんたが食べているのはスパゲッティか? なんてつまらんことを聞くんです。見てわからんもん、聞いてわかるか?!! と言いたかったのですが、あいにくこんな下品な英語は知りませんから、上品に "これはスパゲッティというものです" と答えてやる。すると、Thank you.でそれっきり。あんたはいったい宇宙人か? と思ったけど、どうせフランス人だからと澄まして店を出ようと思ったら、ドアのところでコケそうになった。笑うなバカ!!!
Yak(シガレット)を買おうと思ったが、何処にも売ってません。Kathmandu中品切れだそうです。本当かよ? Black marketなら7Rs、8Rsであるとか。バカバカしい。仕方がないから両切りタバコを買う。言い忘れたけど、KTM -> BKKはTomyも彼女も同じFlightだそうで、全く奇遇です。
ホテルに帰って、預かってもらっていた荷物を部屋に運ぶ。Hot showerを注文し、"お湯が来ましたよ" とボーイが言いに来たので、勇んでシャワーを浴びたのですが、冷たい冷たい水が出て来るばかり。Kathmanduの水は今日も冷たかったと、へんに納得する。
"山の音" の最後の章を読んでから手紙書き。"山の音" はよかったけど、何を感じたのか自分ながらよくわからない。今日は、女性のためのお祭り。なんとなく街中が活気づいているような気がする。やっぱ、こうでなくちゃ!!
《8月26日(第48日)》
今日は朝からはりきってカメラを売りに出かけたのですが、9:00では店が開いてないんですね。僕の場合、こういうことが時々ある。結局、カメラは6800Rsで売れました。ストロボ、その他抗生物質など、もう必要ないものもあげました。次回はフィルムをインポートしてほしい、なんて頼まれました。ガンジャ売りの兄ちゃんから$250を時計と3100Rsで買いました。少しお金持ちになって、いい気分です。日本では手に入らないと思って、ヒマラヤの地図をいくつか買って、今フリーク・ストリートのコーヒー・ショップにいます。ガンジャ売りの子分の中の親分が登場!! 今日は二度目。昼寝してきたとか。それはよかったね。しかし、それから4時間、僕は彼と話し続けるハメとなりました。最初1時間はいろんな話。ガンジャ売りでもいろいろと考えてるんですね。ネパールに寄せる愛情は大変なもんです。ネパールにはSeaportが必要なんだ、なんてすごいことを言ったりするわけです(でも、海ないよ)。確かに、インドと戦争したら負けるに決まってます。だって、インドを通らないと石油運べませんから!! 親分がんばれよ。でも、親分の眼は焦点がボケてます。頭もそれほど早くは回転しないみたい。
親分はインド人がきらいです。カルカッタで一度金をだまし取られたとか(何となく親分にも落ち度があったような気がする)。だから、インドとネパールのボーダーで何度もケンカをしたことがあるそうで、彼がCUTと言っているのはKilledの意味なんじゃないかと思います。ボルカ・ナイフなんかさげて、本当はコワイ人なんですね。No problem for me.なんて気楽なこと言ってますが、それから1.5時間、日本語を教えてあげました。するとIt's my duty.なんて言って、ネパリとネワリをさらに1.5時間、みっちり教えてくれました。僕はずっとウンコを我慢してたんですが、後ろの席の人も長居しているので、屁もできません。最近の僕の屁は臭いですから。
18:00にホテルに帰ります。Raju(ラジュ)がドル買わへんけ? と言うので(レート:14Rs)、$100買うことにしました。そして、ボチボチ話が始まります。これがまた4時間も続くことになるとは思いも寄らなかったのです。お陰でシャワーも浴びられませんでした。でも、結構面白かったからいいか。Rajuの名文句があります。昔ハッシをすいながらボーッとしていて、ふと思いついたんだそうで、American life, Japanese wife, Chinese foodっていうんです。どこかで聞いたことがあるような気もするのですが、確たる証拠もないのでRajuオリジナルということにしておきましょう。
Rajuの悲しい物語もよかったね。7才までは銭持ちの家で父の深い愛情のもとで育ったのですが、7才で父を亡くし、母が再婚。新しい父にはえらく嫌われて、まるでServantのように扱われたので、それ以来Rajuは一人で生きてきたのです。如何にも頭のキレル人です。アルファベットは子供が書いたようですが、すごい英語使いです。彼の潔癖主義みたいのは聞いていて心地いい。そのうちKrishna(クリシュナ)を加えてラム酒大会が始まりました。ラムはおいしい酒だけど、効くんですね、後で!!
Krishnaは絵の名人で23才(Rajuは22才)。4ヶ月後に結婚とか。Kingの似顔絵を誰よりも精密に書けることが認められ、Governmentのお金で世界中どこへでも絵の勉強に行けるとか。でも、Krishnaは空手が習いたいんだと。Half bottleを空けたころ、味噌汁大会開始。みそスープの人気は大変なもんです。
彼らにとってカンフーの魅力はもう並大抵ではありません。RajuはカンフーがStrongestだと言います。何故なら、カンフー使いはビヨーンと飛ぶからです。どうもブルース・リーの映画を真に受けているようです。僕は、ホンマは空手の方が強いんやで、と言い張るほど日本びいきでもないし、ヘラヘラ笑ってました。
調子に乗ってさらにQuarter bottleを空けてしまいました。僕はそのうち大金のことも忘れてネムリコケてしまいました。今日は晩メシも食べてないから酒が効くはずです。RajuとKrishunaが帰ってから最高に効いてきました。朦朧とした頭の中で英語が渦巻いています。一日中話してたもんな、今日は。
《8月27日(第49日)》
例によって何もすることがないのに朝早くからお目覚め。時計がないから何時かわからないけど、とにかくまだ早い。ベッドでチャイを飲んで、ボーッとして、ボチボチ歯磨いて、長いクソ(クソが長いのではありません。下痢ですから体積は測れても長さを測ることはできません)してから階下に降りると案の定まだ8:00前。これだからいやなんです。
まだお店も開いてないから、Unityで暇つぶし。2時間くらいチョロイもんです。
ふと道の向こうの四階建てのビルディング(?)を見ますと、一階は床屋さん。New Shankar Sailoonと書いてあるのです。Saloonではないでしょうか? えらくいい髪型の青少年がイスに座っていたので、わりと上手いんやなあと感心していると、これが散髪前。散髪後はカリアゲでひどい出来。この青少年は何のために床屋に来たんだろう? 二階は何とTyping Training Centre。こういうところに世界一のタイプの名人がいたりするのではないかと、ちょっと疑ってみました。何といっても生活がかかってるんだから、並大抵のタイプではないような気がするのです。こっちで職がないっていうのは本当にみじめなんです。三階はわりときれいなきたないアパートメント。かわいい女の子が右の鼻の穴を押さえて、左の鼻の穴から鼻汁をぶっとばしました。手についたのは窓の外の壁になすりつけていました。四階は屋根裏部屋みたいで、ほんとビンボタレのアパートメント。もう10:00はまわったみたいだから、そろそろ出かけようかな。今日のマンゴ・ジュースは今までで最高でした。
何軒か店をまわって、どの店でも店中の商品を全部ごったがえしにしてきました。これはなかなかに面白い。Art Palaceという店で買い物して、店の主人と長話(2.5時間)。彼があんまりカシミール(彼の出身地)がいいって言うもんだから、僕も行きたくなりました。ただで泊めてくれるそうです。ガール・フレンドも紹介してくれるそうで、誠にうれしい話です。明日、カシミールの写真を見せてくれるそうです。
フリーク・ストリートの方にボチボチ歩いて行きます。Coffee shopの前の露店のボウスに鎖付きのカギをやって、セカンド・ハンドのウォーター・パイプをもらいました。もうけたのかどうか分かりません。でも、おそらく向こうが一枚上手でしょう。ガンジャ売りの兄ちゃんたちと少し話して、またも買い物に!! やっと見つけた2Rsのネックレス。10本買いました。
露店のボウズがみんなにカギを見せびらかしています。ほしそうだったもんな。ひょっとしたら、今回のBusinessは僕の勝ちかもしれない。
ガンジャ売りの子分の親分登場。映画を観てきたとか。僕は買い物してたんだから、二人して正午に会う約束を忘れてたわけです。よくあることです。かれのアパートメントに行って1時間ほどお話。29日にまた会う約束をしてインドラチョークへ。便箋(10Rs×5 -> 40Rs)とカレンダー(15Rs×4+25Rs×4 -> 120Rs)を買ってブラブラとUnityまで歩きます。マンゴ・ミルク・シェーク。おいしかったネ!! Unityに日本人が三人やってきたので、少しだけお話。Kathmanduに三ケ月いるとか言ってたけど、あまり面白いやつらではありません。
ホテルに帰ってシャワーを浴びてから、少しパッキングを試みていますと、RajuとKrishnaともう一人Youngおじさんが入ってきて、"今日はもう一人増えた!!" なんて言いながらまたもラム酒大会。123号室にテーブルがあるとかで場所替え。タブラ(太鼓)なんか持ち出して、みんなで歌合戦。これは楽しかったネ。ラムは昨日で懲りてるからホドホドに。チキン・チリはうまかった。全部Rajuのおごりみたいだけど、いいのかな? なんて考えているうちに、見知らぬ若きインド人登場、Rajuと口論が始まりました。Rajuはインド人が嫌いな上に、この口論は根が深そうだからきっとすごいもんになるぞと思っていたら、本当にすごいもんになってきました。英語で口論してたから、聞こうと思えば聞けましたが、いやだったのでやめました。Why don't you speak Hindi(ヒンドゥー語)? なんてインド人が言ってたような気がしますが、何語でも、喧嘩っていうのは大体よく似たもんです。そのうち、Youngおじさんが、I don't like cheating men. All cheating men.と言って、"行こう" とばかりにチキン・チリのプレートとラムのコップを持って僕の部屋に運んでくれました。Lock your door. Passanger is my god.なんて、どこかで聞いたようなことを言い残して、自分は喧嘩の渦の中へ帰って行きました。僕がいなくなると、案の定ドタバタと本格的な喧嘩が始まりました。やっぱりいい気分はしないもんですね。酔いも醒めちゃったことだし、再びパッキングなんかしてみると、意外とこじんまりと納まったので少しだけ機嫌がよくなりました。もう喧嘩も散り菊の雰囲気です。ボーイがチキン・チリのプレートを取りに来ました。同時に背の高いいい男の若きインド人が顔を見せました。May I use your lighter? と彼が言います。僕は、彼のタバコに火をつけてやります。I'm sorry for disturbing you.なんて言いながら右目のところを押さえています。僕はRajuの友人ですが、ケンカに関してRajuの見方をすることもないので、少し同情のニュアンスを込めてDon't worry.と言って彼と別れました。Rajuがヤバイことをしていることだって大いに考えられますから!!
"山の音" を読み返してみます。文学書を二度読むというのはこれが初めてだと思います。
しばらくして、ボーイがごはんの乗った大きなプレートとカレーの乗った小さな小皿を運んできました。これが約束のお祭りのご馳走です。Rajuが気を遣ってくれたんです。ごはんの方がキジュリで、カレーみたいのがアルモタです。アルモタはまあカレーの一種でしょうが、キジュリは少しきな臭くて、お粥の少しかたいのに卵を溶かし込んだような感じです。きな臭いから、黄粉のおはぎを食べてるような気もします。あまりおいしいものではないし、Rajuの親切にはもう一つ素直になれなくて、全部たいらげることができませんでした。プレートと一緒に水差しを渡したら、ボーイ君が勘違いして一階(ここは四階)まで水くみに行ってしまいました。ボーイ君は、廊下に出したプレートの上で水差しから少しずつ水を出して親切にもコップまで洗ってくれたのです。Drinking waterかどうか分からないけど、これじゃ一口も飲まないわけにはいかないでしょ?!! 死んだら出てやるけんね!!
"山の音" の続きを読みながらいつの間にか寝てしまいます。ドアなんかも開けっぱなしだわ。
《8月28日(第50日)》
Unityにいます。時計がないから何時に起きたのかわかりません。パッキングを直して、出かける準備をして、下に降りたのが9:00でした。前のビル(少しきれいな方のきたないアパートメント)の三階の窓で、ガキが勝手にテレながら道に向かって歌っています。歌手きどりです。でも、こっちの歌手はケタ違いに大スターだもんね!! そう言えばRajuもかつてシンガーだったんだわ。
Art Palaceに行って3時間も話し込む。何を話したかなんて書いても仕方がない。明日、夕食をご馳走してくれることになったが、何が出てくるのかちょっと心配。昨日も今日も、何んにもしてないようで、結構いろんなことがあったように感じる。この辺が旅のいいところなんでしょう。何故、何でもない一日にすごく満足できるんだろうと考え始めたが、本人がいい気持ちなんだから理屈なんてどうでもいいわな、と結論に至る。
Bal KrishnaKarjeet(バルクリシュナ・カージェート)がやってきました。とても疲れたように見えます。お金のことで父親に会ってきたそうですが、うまくいかなかったみたい。悲しそうにも見えますね。結局、また2時間も話し込んでしまいました。彼は商売で1万Rsもすってしまったそうです。だまされたのはカルカッタ以来2度目(Bal Krishnaに落ち度はなかったんでしょうか?)。9月には祭りがあるそうです。2週間続きます。この間は、コジキも食べ物に不自由しないそうです。それはそれは楽しいそうです。その楽しさを一所懸命伝えようとするBal Krishnaが、とても悲しいような気がしました。彼は遠くにいて、それを懐かしんでいるみたいに見えました。彼は、どう見てもチンピラなんですが、考え事をするとときは河へ行くそうです。なかなかロマンチックじゃないですか。
Bal Krishnaと別れて、ホテルに帰り、シャワーを浴びてUnityで夕食。今夜は贅沢にもFried chicken。手紙書き、ノート書き。
YoungおじさんBadri(バドゥリ)が来たので、お話大会。昨日の喧嘩のことなんか聞かせてくれました。喧嘩の原因はあまりにもバカげたことで、若きインド人が二階から通りの女の子にちょっかいを出したのをRajuが見ていて、バカタレやめんか、なんて言ったことから始まってるみたい。まあ、Rajuもインド人ですから、例によってインド的大口論が始まったわけです。アホラシ!!
夜は "山の音" を読みながら知らぬ間に寝てしまいました。
《8月29日(第51日)》
今日は空がきれいに晴れ上がっていて、外が明るい。Bal Krishnaとの10時の約束に遅れたかと思って、急いで用意をして下に降りたら8:00。少し気が抜けました。今日はいっぱい人に会わなければならないのです。そして、明日は日本に向けて出発。少し胸がはずみます。
ボチボチとBal Krishnaのアパートへ歩く。途中、露店のボーズ(一日一食)と少し話して道草。行ってみるとアパートが分からなくて、モナリザで待つことにする(9:20)。10:05になって彼がやってきました。彼のアパートへ行き、お面3枚と便箋とすてきなネパリ・キャップと神様のポスターをもらいました。Bal Krishnaのようなやつから神様のことを説明され、政治のことまで教えてもらいました。大統領はKingが選ぶんだそうで、これじゃデモクラシーじゃないというんで、今Fightしてるんだそうです。一つ前のKingは30何人かの二号さんを持ってたそうで、30何号さんまでいたということになります。外国から援助があると、50%はKingが取り、25%はGovernmentの取り分で、25%が国民にまわってくるとか!! 今のKingはネパリで、ネワリには辛くあたるとか!! まあ、そんなとこですか。それから彼と食事に出て、Nepal人専用のレストランでネパリ(タリ)・ディッシュをご馳走になりました。再会を期してbye-bye。彼にしては本当上出来の別れ方でした。
Unityで信用借金していたので、コーヒーを飲みに行きました。I believe you.と言われたらワザワザでも払いに行かざるを得んわな!! I believe you.のお兄ちゃんとは別のお兄ちゃんが住所教えてくれなんて言うから教えてやりました。外国に友人がいっぱいいるなんて言ってましたが、僕がボーイ君の友人なら、そりゃいっぱいいるでしょうね!!
ホテルでパッキングしてシャワー。パッキングは上出来で気分ヨロシ!!
いよいよKathmandu最後の夜です。何もすることがないから、イップクしてUnityへ行きました。ケーキ二つにコーヒー。UnityのボーイにせがまれたのでPhotoをあげました。いらないのに彼もPhotoくれたりなんかして(何故かブロマイド風)。
18:00過ぎにArt Palaceに行きます。コーヒーをご馳走になりながらお話。20:00に店を閉めて、店の主人と彼の友人と彼のServantと共に彼らの家に向かいます。フリーク・ストリートの大分向こうにあるダウンタウンです。もう、家に着いたら驚き。大マンションですよ。平屋ですが、部屋が8つばかりあって、屋上ではスポーツも楽しめます。庭がまた広くて、もうたまげました。家賃は月2,000Rs。高くないですよね。それにServant(Cook)が四人もついてるんです。リビングの絨毯なんか1枚$1,000もんです。そんなのが無造作に何枚も敷き詰めてあるんです。小さな土産物屋をやっている彼らは、きっとビンボタレに違いないと決めつけていましたから、本当びっくりしました。
夕食もすごかったですね。僕のために羊のミルク煮を用意しておいてくれました。すごいご馳走。断食開けとはいえ、しかし、彼らのよく食うのには驚きました。僕の3倍は食べます。来年はカシミールに連れていってもらおうかな。少なくともお金の心配はいらないでしょう。ホテルの近くまで送ってもらいました。きれいな別れ方でした。
ホテルに着いたらラムでお別れパーティー。Rajuがはしゃいで僕に飲ませるのです。何回ラスト・チェスをしたことか。
Kathmandu最後の夜は、コテンと寝ます。
《8月30日(第52日)》
いよいよ僕の旅もおしまい。でも、いい旅でした。
ちょっと興奮気味で6:00に目が覚めました。パッキングを直して、7:00にロビーに降ります。皆さんとチャイを飲みながらお別れ。さみしいね、全く。ホテルを出るときは、花輪なんかくれたりして、少し大げさだとは思ったけど、うれしくないわけはない。
8:15、Airport着。即、チェック・イン。荷物は40kg。20kgオーバー、1kgが45Rsなんてバカみたいな値段を言うので、10kgオーバーにまけてもらいました。Tomyも来ています(with彼女)。Flightは1時間くらい遅れましたが、サービスはなかなかヨロシ!! RN401, Boeing 727。
Bangkokに着いたのはいいけど、荷物の多いのには閉口しました。レストランにたどり着くまでどんだけシンドかったか!! Tomyと彼女がいるので、いい話し相手ができて助かりました。二人とも今日のFlightはOKが出てないみたいです。Tomyは友人のところに預けてある荷物を取りにBangkokの街へ出かけました。彼女と二人で話ができてちょっとHappy。でも、6フィート以上あるんだよね、彼女。美人とは言えないけど、すてきな目をしてます。彼女はヒマ潰しにChiangmai(チェンマイ)で買った少数民族衣装の取れたビーズを縫いつけています。女らしいね。糸をなめて針穴に通すのは万国共通らしい。爪切りを借りようと思ったら、ハサミしか持ってないとか。二人ともハサミを英語でどう言うのか思い出せなくて、しばらくお見合いしてたら、横の見知らぬおばちゃんがScissorsだって言うんだけど本当かな? ハサミで爪なんか切れないと言うと、私はいつも噛んで切っちゃうのよ、なんてきたないようなかわいいようなことをぬかす。6フィートもあるのに!!
Bangkokはやはり文明のニオイがする。だって、コカ・コーラが飲めるんだから。ダブル・セブンには全くアキアキしてたから、本当コーラがうまい。レストランで、久しぶりにブラウスから透けて見えるスリップのビラビラを見ました。心から興奮しました。
20:44、Tomyと彼女はスイス・エアーに挑戦すべく出かけて行きました。
ここで飛行機に乗ってしまえば日本かと思うと、少しあっけないような気がします。心の中でうれしさと悲しさが同居しています。Kathmanduを出るときは小雨が降っていました。ちょうどそんな具合です。
ノートを書くのも疲れてきました。このノートが、僕の経験したことのどれほどを伝え得るのかと考えると無力感を覚えます。もちろん、書かないよりはましだったでしょう。でも、どちらかと言えば、考えたこと感じたことは手紙にしてしまいました。100通くらい書いたような気がします。気が向けば、また思い出して書くこともあるでしょうけど、僕が考え、感じたことは、既に僕の混沌に受け入れられてしまっているわけですから、別に何もする必要はありません。
21:06、二人とも帰ってきました。大きい荷物抱えて、本当にご苦労さん。二人とも少し悲惨な感じ。彼女が一つ大きなくしゃみをしました。6フィートもあるとくしゃみもでかいですね。悲しさも一緒に吹き飛んでしまえばいいのにと心から思いました。空港で落ち着けないのは本当にいやなもんです。彼女の声が涙声に聞こえます。どうか泣かないで下さい。
22:00、今や彼女はTomyの膝に頭をのせておネンネ。6フィートの女が5.5フィートの男に抱かれて眠るのもまたNaturalなんですね。そういえば、14:30に着いてから8時間近くも時間をつぶしたことになる。AI304は3:10発。あと、もう少し。
《8月31日(第53日)》
もう、31日になってしまいました。ロビーに降りてみるとFlightは4:30に遅れました。Air Indiaですから、これくらいの遅れはアタリマエと言っていいでしょう。1:00にチェック・イン。Tomyの彼女はHanthacraftに乗れることになりました。Tomyとも少し話してからbye-bye。楽しいやつらでした。チェック・インのとき少しもめましたが、excess baggage chargeを7kg分にしてもらいました。何といっても1kgがB129なんだから!!
$100をバーツに替えていたから約B1000余ってしまいました。Customを通ってみると銀行はしまっていました。日本でバーツを替えるのはほとんど不可能でしょうから、Tax free shopのおねえちゃんを起こしてウィスキーを2本買いました。そういえば、今日はボディ・チェックが全くありません。こんなことなら...........
Air Indiaは1回目の遅刻の定刻通りに4:30に出発。東に飛んでるから夜明けが早い。もう、まる一日寝てないから、頭がボケてきました。フラフラしながらBreakfast。Hong Kong(ホンコン)までのFlightは約2時間。Hong Kong着は9:00(Hong Kong時間=日本時間)。ここで45分間休憩。みなさんはロビーへ、僕はPlaneの中で一寝入り。10:00、いざ出発というときになって、エンジンの点検。さすがはAir India、粋なことを。仕方がないから僕もロビーへ。サンドイッチとコーラでだまされて、13:15まで待たされることになりました。こんなことなら、いっそHong Kongで一泊するのも悪くないなと思い始めたころ、エンジンの修理も完了し、14:30離陸。日本間でのFlightは約3時間。機内食がわりとうまくて、少し機嫌が直ってしまった。
日本に着いたのは18:00少し過ぎ。日本は空から見ても日本です。大阪の街はやっぱり大都会です。税関で1時間くらいかかりました。みなさんはほんの1分。やっと日本に足を踏み入れますと、そこはアジアの一つの街でした。みんな少しきれいな服を着ているだけ。
誰も迎えにきていません。冷たいやつらです。最終の "雷鳥" も行ってしまいました。家に電話するとイカのサシミとアジのタタキが用意してあるとか。死んでも帰るもんね。
Airport busで高速を走ります。日本はすごい、バスがキレ!! 新幹線で京都 -> 米原。新幹線はまるで飛行機。45kgの荷物を抱えて、米原のホームを走って走って "加越" に乗りました。汽車もピカピカでキレ!! 福井に着いたのは10:39。もうすぐHomeです。
イカのサシミにアジのタタキ..... これで僕の53日間の旅も終わりました。本当に終わりました。
はじめに タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok- インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi- ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan |