1979年9月1日土曜日

私のアジア紀行 = ネパール偏(第38日~53日)

はじめに
タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok-
インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi-
ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan

《8月16日(第38日)》

約50分でKathmandu(カトマンズ)着。Taxi(18Rs)でPark G.H.へ行きましたが、あまり芳しくないのでヤメ!! 飛行機の中で会った吉田のおばさんにP.G.H.へ行くと言ってあったので、少し悪いとは思ったのですが、Taxi Driverの知り合いがやっているHotel Mountain Viewに行くことにしました。1泊50Rsを30Rsにまけてもらいました。とにかく落ち着いてホッとします。部屋の中をボーイがひっきりなしにうろつくので少し閉口。10才くらいと思われるのに、タバコをスパスパ!!

しばらく休んでから、ロイヤル・ネパール航空のOfficeにPokhara(ポカラ)行きのReturn Ticketを買いに行きます。$20、ついでにThaiで買った(\4000くらい)チケットをキャンセルしてきました($23)。Officerのサインをもらったりして、わりと面倒くさかったのですが、少しもうかったような気がします。

New Roadをぶらぶらして、Paras Hotelのレストランで夕食。ここで働いているNabin Shrestha(ナビン・シュレスタ)と友人になりました。6:30にNabinの仕事が明けたので、Night Marketに連れていってもらいました。Nabinの家も見せてもらいました。兄弟が5~6人いて、本当にせまい、きたない家でした。You can see now.と言って、彼はそのきたない小さい家を見せてくれました。何故か結婚した姉さんの家まで行ったりして!! 彼とコーヒー飲んで、途中で会ったもう一人の友人も加わり、長いこといろいろ話しました。あとはシャワーを浴びて寝るだけ。

《8月17日(第39日)》

8:00にモーニング・コールを頼んだのに、7:00頃からチャイはいらんかね~とノックするのでもうたまらんワ!! とにかくモソモソ起き出して何をするともなく例によってボーッとする。さかんにボーイが遊びに来るが、英語が通じないのでアキマセン。

10:00にNabin(写真:上左)とParas Hotelで待ち合わせだったので、9:00にホテルを出てUnityというコーヒー・ショップ(すぐ近く)でブレックファストをとっていると、9:30にNabinがUnityに現れました。しばらくゆっくりしてからKathmanduの町を案内してもらいました。それからNabinの恋人と彼女の友達(二人)をさそって(来なかったもう一人の娘がえらくカワイかった。写真:上右)Patan(パタン)までIndian Movieを見に行きました(写真:下)。映画はNabinがおごってくれました。

えらく長い映画で疲れ果てました。内容は、ドタバタ喜劇とLove Storyと勧善懲悪ものとアクションと悲しい悲しい物語をミックスしたようもので、まあ何ともいえませんな。何がものすごいといって、観客の反応のすさまじいこと!! 口笛はふくわ、泣くわ、わめくわ、立ち上がってバンザイするやつ等々、本当これは見ものです!! 例によって映画館は薄明るいのですが、今回は屁をかますやつがいなかっただけよかった。本当によかった。

Patanの町(?)をすこしぶらぶらして、TaxiでNew Roadに向かいます。途中で女の子を降ろして(高くつくので)Nabinと二人で食事にします。4:00からNabinは仕事だそうで、レストランで別れます。夜またホテルに来るそうです。少し煩くなってきました。

ホテルに帰ってシャワーを浴びようと思ったら、ポンプが壊れていて水が出ません。アタマにきて明日の荷造りをすることにします。荷造りが終わって、絵ハガキを書きました。心はもうPokharaに行っています。そのうちNabinが来て、少しバカ話をしたんだけど、疲れてるみたいでわりと早く帰る。絵ハガキの残りを書いてオヤスミ。

《8月18日(第40日)》

インドにしてもネパールにしても、こっちの連中は男同士でも手をつなぐ。Nabinは友達になったシルシなのだろうが、時々手をつないでくる。気持ち悪いことこの上ない。しかし、ムゲに断るわけにもいかないし、半袖だからトリハダを立てるわけにもいかない。まあがまんするさ!!

今日はいよいよPokhara。心がさわきます。10:00にNabinとUnityで会います。コーヒーとケーキの朝食をすませてPost officeに向かいます。途中でNabinが "今日は休みじゃ" と言い出しまして、ヤメ。New Roadも休んでいる店が多いとか。ロイヤル・ネパールへ行ってKTM -> BKKのチケットのリコンファメーションをします。ここでNabinと別れます。Nabinはいったい何をしに来たんだろう。かばん屋さんをのぞいてから、またUnityへ向かいます。ここでアシュラムでCenteringを一緒にやったオーストラリア人と会います。一時間くらい話したかな? なかなかストーンwithout drugした女性でした。彼女と一緒にUnityを出て、途中でbye-bye。旅の途中で会う人は、気安く深い深い話ができて、そいであっさり別れられます。なかなかいいもんです。ロイヤル・ネパールへ向かう途中、カモシカ皮の店に寄って、$90のコートを$50まで値切れるだけ値切ってきました。

13:00にロイヤル・ネパールのOffice前からAirport busが出ます。Domestic airportでいろいろの手続きを済ませて、PokharaのCollegeで数学を教えているというアメリカ人などとボチボチ話していると、何とFlightがキャンセルになったりするじゃないですか!! せっかく行く気になったのにアジな真似をしてくれる!! 仕方がないのでその先生と相乗りをしてOfficeに逆戻り。明日のOKを取ります。ホテルで一休みして、フリーク・ストリートに出かけてみます。ガンジャ売りの声がなかなか秘密っぽくて、それでいて公明盛大でよろしいですね!! "ガンジャなんか買いませんでした" とここで神に誓って宣言します。いろいろ店をひやかして、結局タイガー・キー2個と便箋を買いました。Coffee shopで一休みしていると、何とあのあのあのTomyが例のニヤケ面でニコニコ笑いながらやって来るではないですか。ボカッとたたかれても、僕はあまりの偶然にびっくりするばかり。フト気を取り戻すと、Tomyが素敵な女性を連れているので嫉妬してみたりもする。少し話して別れました。しかし、ここはフリーク・ストリート、Tomyがいても何の不思議もありません。何故かガンジャ売りの兄ちゃん達とお友達になりました。その一人の兄ちゃんの家に何故か例によって上がり込みまして、日本人と結婚したという姉さんの写真を見せてもらいました。そのうちかなり年上の兄貴が二人ばかり友達を連れてやって来たりして、一時は大騒ぎにになりました。お茶だけいただきまして "今度はメシ食いに来い" という兄貴の大きな手と握手して、ガンジャ売りの兄ちゃんの小さくてキタナイ家を後にします。兄ちゃんと食事してから、タバコを買ったりして、See you.とばかりにお別れしてホテルに帰ります。イップクして寝る。

《8月19日(第41日)》

今日こそはPokharaに行くぞとばかりに元気よく朝おそくベッドをぬけ出します。カメラ屋なんかをのぞきながらフリーク・ストリートまで歩いてみます。例のコーヒー・ショップで朝食、スイス人の二人の女性とお話。美人でございました。フリーク・ストリートの写真をとってから少し店をひやかして、ガンジャ売りの兄ちゃんたちと楽しく話します。初めて象皮病の患者を見ました。ガンジャ売りの兄ちゃんたちと再会を期してギュッと握手してから、いさましく力車をひろうのでした。"お~い力車、郵便局までやってくれねえかい?!!" しかし、元気なのもここまで。Post officeは人でいっぱい。彼らはインド人同様列をつくらないから、いつまでたってもStampなんか買えそうにない。諦めてOfficeの前でレモン・ソーダの屋台に立ち寄ってみる。まあ、まずいことまずいこと。全くすることがなくなったので、例によってブラブラ、ボーッとする。

再度、今日こそはPokharaへ行くぞ!! とRNACへ向かう。昨日と同じ要領でAirportへ!! 今日は順調。昨日の数学の教授も来ています。定刻通り14:15に離陸。約40分のFlight。高度があまり高くないようで、景色は期待していたほどではありません。20人乗りの双発機ですが、フワフワとよく飛びます。Pokhara空港に着くとすさまじいスコール。しばらく雨宿りしてから、フランス人夫婦と相乗りしてFewa Hotel(フェワ・ホテル)に向かいます。フランス人夫婦は僕同様 "骨休め" に来たんだそうで、しかしFewaではとても休めないといって何処やらへ行ってしまいました。僕はいったいどうなるの? 人種がちがうとでもいうのけ?!! 全く!! Fewaはいいホテルです。湖はすぐ近くだし、人はいいし(Twinで40Rsを30Rsにまけてもらう)、もう最高。Cold drinkないかいな? と聞くと、冷蔵庫からビールびん入りの水が登場しました。シャワーを浴びて、一休みしてから近くのレストランへ行きます。しかし、ひどいスコールです。レストランのおやじは親しい日本人がいるとかでアルバムまで見せてくれました。しかし、帰りが大変でした。道は川だし、まっ暗で何も見えないし、久しぶりにジャボジャボと気持ちよくやってみました。どうしてまっ暗かというと、街灯なんてあるわけないし、もしあったとしても今日は16:00から電気がきていないのです。停電じゃなくて、電気がきていないのです。キャンドルの下で姉貴に手紙を書いて、何故か今夜は異常に気持ちよくおやすみ。

Fewaは湖から150mくらいのところにあって、対岸にはすごく切り立った山が見えます。その山の中腹にすてきな別荘風の建物が見えます。その山のまた向こうには、雲さえなければMachhapachhare(マッチャプチャレ)が見えるはずです。でも、ここの景色がどれくらいのんびりしていてすてきかなんてこれ以上書いても同じことです。

《8月20日(第42日)》

10:00頃モソモソ起き出して、おもむろにカーテンを開けますと、そこにはチベット野郎がボケーッとこっちを向いて立っているではないですか。本来ならかなりびっくりすべきところを、なにしろ寝起きで頭がボケているので何故かチベット野郎とお見合い状態。そのうち "これいらんかね。あれいらんかね" と言い出したので、ドアを開けて商談開始!! しかし、こっちは寝起きだからかなり条件が不利。ここで、何故か少年が一人登場します。こいつが堤さんに聞いていたGire。結局アンモナイトのいいのを一つ買って(バンドエイドおよびマンダラ・ブローチと交換)、オマケにブレスレッドをもらいました。

突然ですが、Pokharaにもマングースがいるんですね。Taji Mahar(タジ・マハール)でも見ました。マングースってのは、いったいこういうところに住んでるんですかね?

Gire(ジレ)と一緒に朝メシを食って、自転車を借りに行きます。5日で50Rs。ホテルに帰って今日の仕事は完了。Gireが祭りに着る服がないので金がいると言います。母親も服がいるとか。仕方がないから、50Rsでマッシュルーム・パウダーを買ってあげます。今はフレッシュなのが手に入る時期なのですが……。昼過ぎからスコール。本格的にすることがなくなりました。夕方のSecond flightで隣の部屋にユーゴスラビア人がやって来ました。全く変なおじさんで、Yes, yesばかり言ってます。例えば、僕がI think it's difficult to…なんじゃかんじゃと言いますと、Difficult, difficult, yes, yes, difficult.なんて言ってるんです。なんだかいつもストーンしてるみたいなおじさんです。しかし、晩メシおごってもらったから悪口なんて決して言いません!!

夜はユーゴスラビア人のYes, yesおじさんと僕とボーイ君とネコ君で討論会。おじさんはシガレットを2本もすって、目をボーッとさせてNothing, nothing to me.なんてほざいています。何でも2回言うんですね、この人は。しかし、2本すってnothingのわけないやろが、バカ!!

夜は最初ネコ君と寝ていたのですが、アホタレがベッドの下でクソをたれたので、仲良くしないことしました。僕の愛の重さを知るべし!! もうビスケットなんかやらへんゾー!! というわけで、クサイのをがまんして寝る。

《8月21日(第43日)》

朝おそく起きてドアを開けますと、待ってましたとばかりにユーゴちゃんが立っているではないですか。ユーゴちゃんとはあまり遊びたくなかったので、歯も磨かず、朝メシも食わず、町まで出かけます。

ホテルの人に聞いたら、Post officeまでは "歩いたらちょっと遠いけど、自転車なら近いもんや!!" などと気軽に言うので、僕も気軽に出かけたんですが、これが遠いのなんのって、足はつってくるは、息は切れるわで銀行(※)に寄ってPost officeに着いたら12:00。出かけたのは11:00。こっちの人の "近い" は当てにならない。P.O.ではみんな列なんかつくらないのでまいりました。ネパリたちよ、お前たちはインド人になるな、と神の言の葉を残してP.O.を立ち去ったのでした。10Rsのスリッパを買って、ハガキ買って、Nepali(ネパール語) -> Japaneseのポケット・ブック買って、さて帰ろ!! と思ったら大スコール。寒いのなんのって、身体は震えるわ、メガネはよう見えんわでひどい目に遭いました。レストランで食事してから飲んだ熱い甘ったるいmilkyインスタント・コーヒーが最高にうまかった。ホテルに着いたのは15:00。もう何もかもビショビショ。とにかくシャワーを浴びて、蒲団にくるまります。ガクガクガク……と震えながら手紙書き、ノート書き。

ユーゴちゃんが話したそうに入ってきたので、適当に遊んであげました。Yes, yes, yes。また、スコールが強くなって、夕食は取りやめ。今日は電気のこない日なので、キャンドルの下で "山の音" なんか読んでみます。久しぶりにふれた日本の情緒になんか懐かしい安心感を覚えました。知らない間にオヤスミ。

※Pokharaに銀行口座のある日本人はそう多くないはず。いくら預金したか読みとれないし、利率も覚えていないが、20年近く経つし、銀行さえ存続していれば相当な残高になっているかもしれない。いつか確かめに行かねば。

《8月22日(第44日)》

朝起きたらGireが待ってました。ちょっと滝を見に行こうというので、朝メシ食ってから出かけました。今日も歯を磨くの忘れました。しかし、Water-fall(Davis's fall)見て、チベット・キャンプ見て、これがやっぱり4.5時間におよぶ一大Tripなのでした。この辺りの "ちょっと" は気軽に信用してはいけない。牛に引かれて何とかでもないが、Gireのようなやつにそそのかされて、あんな小さな滝をはるばる見に行ったやつが18438人(写真)もいるかと思うと何だか楽しくなる。

ホテルから1kmのところまで来ると、日本人二人に会いました。Nepalに入ってから日本語を使うのは初めて。でもしゃべれるもんですね、ヤッパ!! 最初は一人だと思ったんです。もう一人の人が "これどう思いますか?" ってヘンテコなアクセントで言うから、僕は絶対ネパールいやいやチベット人だと思って、Do you speak Japanese? なんてつい口走ってしまいました(こういうのに限って福井県出身だったりする。何もNepalまで来て訛る必要はないんじゃないの?)。僕は何故か土産物のAuthorityになってしまい、僕が "これはあんまりようないで" と言うと値段がドッと下がってしまうので、チベット人諸君に悪くなってしまいました。彼らのいた茶店で一休み。

例のレストランの大木の下でハッシシュ売りの兄ちゃんとダベリング。彼らと別れてホテルで一休み。シャワー。レストランで夕食。ボーイたちと楽しくお話し大会。日本でゲンコツ、ネパールでバチカイドゥン。これがバチカイディンに聞こえます。"あほかオマエ、タタイタルゾ" が "バーチカイディン、バーチカイディン" になります。ホテルに帰って読書。9:30頃からボーイ君(そのうち名前を聞かねば!!)とお話。ネパールの酒と肉の佃煮みたいのをご馳走になります。ボーイ君は23才。僕は彼がとても好きです。酒がまわるにつれて二人ともいろんな話を始めます。彼の悲しい話も聞きました。8才の頃、飢饉があって食いもんがなかった。彼は頭にロープをまわして石を運ぶドカタをしました。ハイスクールは制服や本がいるから行きませんでした。ペンは細い竹で作りました。紙はホテルで使い走りをして外国人にもらいました。何年か前、このFewaが建ったときもここでドカタをしていて、そのままボーイになりました。つらいつらい人生でした。二ヶ月前結婚しました。母が老い、働き手がいるのです(父は飢饉のとき亡くなりました)。でも、彼は妻を心から愛しています。

僕はボーイ君が大好きです。だから言ってやりました。君はステキだよ。ヨーロッパや日本へ行ってごらん、そのことがよくわかるよ。先進国にいるから何か持ってると勘違いしてるヤツもいるけど、それは幻想なんだ。君は十分持ってるよ。OKなんだよ…… とそのうち頭がボーッとしてきて、ボーイ君は帰り、僕は知らぬ間に寝てしまいました。

《8月23日(第45日)》

例のチベット野郎が鳴らす心地よいチーンというシンバルの音に、頭にきて目を覚ます。チベット野郎は、僕の寝起きばかり襲って商売しようとしてるんでしょうが、そうは行きません。今日は何んにも買ってやらないのです。しかし、コイツ、なかなか愛嬌あんのよね。

Gireに連れられて、眠い目をこすりながらレストランへ行く。例のマッシュルーム入り特性オムレツを食べました(Gireも)。Gireはフワフワと僕の自転車をネコババしてどこかへ行ってしまいました。Gire、14才。フレンチ・ヒッピーと少しお話。女性の方はフリークにしとくのはもったいない。

というわけで、一人ホテルに戻り(途中でネパール娘にシガレットを1本ゴウダツされる)、シャワーを浴びて写真とり。ノート(4日分)を書いていたらもう夕方。夕食にしたいのだが、またもスコールで身動きがとれない。今夜は電気がこないから、せいぜい読書とハガキ書き。

スコールは本当ものすごいんです。しずくの群集がドアにぶちあたって部屋に浸入してきました。僕がワイワイ騒いでると、赤いきたなめのサリーを着た女性が水をかい出しに来てくれました。大げさなようですが本当なんです。"Thank you。ありがと。ハッハッハ" と言って彼女は豪快に出て行きましたが、どうしてなかなかの美人なんですよ、これが。掃除婦はカーストが低いんですが、彼女は自分のカーストに満足しているフシがあって、どうも気に入らない。

スコールのあとの山々の景色はめっぽうきれいです。レストランに行くとき、自転車をこぎながらそう思いました。そしてレストランの帰り、夕焼けがあんまりきれいなので、ホテルへ帰ってからすぐ湖の方までPhotoをとりに行きました。ふと後ろを振り返ると、雲かいな? と見えたのは何とアンナプルナ連峰。そしてMachhapuchhareが青くひかってます。そこだけは少し青味を帯びた風景なのです。高い山です。本当に高い山です。雲は朱色に染まっています。やはり、それは神聖なものに見えました。けものの歯のようにも見えました。そこだけが全く別世界に見えました。もしかしたら、あそこがテンジクなのかもしれません。そうだとしても、何の不思議もありません。

《8月24日(第46日)》

昨夜は、ホテルの使用人の女性が誰かに打ち明け話をしていたのですが、泣くわ笑うわの大演出ぶり。山を見て興奮していたせいもあるし、その声が窓のすぐ外で聞こえたので全然寝付けなくて、本当に眠りについたのは21:00過ぎだと思います。そして、起きたのが5:00。僕は睡眠不足で死んじゃうんじゃないかと、我ながら心配になりました。昨日見たのはMachhapuchhareではありませんでした。Annapuruna(アンナプルナ)Ⅱ、Ⅳ、そしてもう一つ何か。きれいでしたね。別に名前はいいんです。見えなくなるまで山を見て、部屋に戻って、この感激を伝えるべく家に手紙を書きます。しかし、まだ7:30。早く起きちゃったもんね!! 何もすることはないし、ハラは死ぬほどへるし、レストランは開いてるかいなと8:00に出かけます。自転車パンク。オムレットとトーストとコーヒーの朝食を済ませ、自転車屋さんでパンクをなおして、Coffee shopで一休み。ホテルへ帰ってまた一休み。洗濯をしようと思ってやめる。日向ぼっこをして、シャワーを浴びて、読書。別に何のヘンテツもない一日なんですが、本人はすごーく満足しています。日向ぼっこは気持ちよかった。なあーんにも考えてないもんね。自分ながらふとバカかと思うほどボケーッとしてるんです。仰向けに日向ぼっこしてるネコみたいなもんです。ネコ君も何も考えてなかったと確信してるわけです。

突然ですが、オーイというその言い方はNepalでも日本でも全く同じなんです。だからレストランのおやじがオーイなんておかみさんを呼んでいると何故か京都の中島食堂を思い出してしまうのです。トロロ(私) - トロロです(カウンターから厨房へ)。卵入りですか? - はい - 卵入れて下さい - 野菜天 - 野菜天ネ - ナスデン - はい、ナスのでんがくです - ライス小 - はい、ごはん小にして下さい、お名前は? - 北山です - はい、えー450円です。数分後。北山さーん(厨房から) - はあーい、とまあメシにありつけるわけです。

突然ですが、インドでもネパールでも、注文した "そのもの" が出てきます。例えば、レモンソーダ(まあレスカ)を注文するとレモン汁にソーダ・ウォーターを入れたのが出てきます。決して砂糖なんか入ってきません。しかし、これに自分で砂糖をぶち込むと必ずテーブル中アワだらけになります(冷えてないの)。トマトを注文するとトマトが出てきます。決して切ってありません。Milk coffee with sugarを注文するとあまいあまいmilky過ぎるインスタント・コーヒーが出てきます。しかし、これが最高にうまいこともある。

レストランでこのノートを書いています。17:00。さっきコーヒーとバナナ・パイを食べたところです。スコールがはじまって帰れません。パイはサクサクしてた方がいい、と僕は思う。しかし、歯が折れそうになるほどではいけない!! レストランのコックが出てきて、壁に貼ってあるPolitical Map of Indiaをボーッと見て帰っていきました。きっと毎日見てるだろうに、よくもあんなにめずらしそうに見れるもんだな。横に三人のフリークがやってきました。どうもイケスカン感じがします。すてきなフリークってなかなかいないんだよね、実は。スコールがやまないので、Limcaとスパゲッティ・トマトソースwith much vegetableを注文。カレッジで経済学を勉強しているというネパール少年と少し話をしました。日本はコミュニストだったことはないのかと驚いていました。でも、マルクスもレーニンも知らないそうです。Officerになりたいそうですが、ちょっと心配。でも、僕にはどうすることも出来ない問題です。

ここPokharaにいるからのんびりできる。雲の向こうにMachhapuchhareがあるから、湖のほとりで日向ぼっこできるからのんびりできる。これも事実。でも、リラックスできているのは僕自身で、Pokharaにいること、そして他のどんな事実とも関係がない。これもまた事実。となりのフリークたちはフランス人です。よく笑います。理由なんかないけど、彼らにAsiaの静けさは理解できないような気がします。

電気がつきました。18:15。でも、11:00までの命なのだ。まあ、ものすごいスコールです。何にも見えません。画面全体が夕焼け色にぼんやり光って見えるだけです。これじゃホテルに帰れん。スコールがだんだんきつくなってきたので、レストランのボーイに送ってもらうことにしました。1Rsチップを渡す。こいつには1Rsと50Pの硬貨の重さが敏感にわかるんだろうなとふと考えながら硬貨を手渡した。

ホテルのボーイ君の名前がわかりました。Ram-Prasad SHRMA君(ランプラサッドゥ・シャーマ)です。彼と少し話してから、今日は電気があるので "山の音" の続きを読む。

《8月25日(第47日)》

例によって用もないのに5:30に起きる。今日は山は見えない。腹が減るのをがまんして7:30までボーッとする。Taxi(乗り合いで10Rs)Airportまで向かい、またヒマつぶし。Planeは約1時間遅れで9:50に離陸。PlaneからAnnapuruna Ⅱ、Ⅳが見えましたが、席が反対側だったのでPhotoは取れませんでした。フランス人がニクイ!! 邪魔になるのは大抵フランス人なんだから。

このニクイ フランス人と乗り合いでTaxi(12Rs)に乗りUnityで朝食。Hotel Mount Viewで一休みしてからフリーク・ストリートに出る。ガンジャ売りの兄ちゃんたちとダベリング。前にタイガー・キーを買った店のガキとカメラを売りに行く。6700Rsなんて言うからいやんなっちゃった。フリーク・ストリートのコーヒー・ショップは今日は2度目。ビンはコーラのビンですが、中身は77(ダブルセブン)。今日は土曜日でお店は休みのところが多い。お金もないし、だいいち本質的にすることがない!!

ここフリーク・ストリートは本当にフリークが多い。このコーヒー・ショップでも下手な笛を吹きまくっているヤツがいる。どこかのアパートからロック・バンドの練習が聞こえてくる。もう、うっとりするほどヘタクソ。

フリーク・ストリートではいっぱい顔見知りができてしまって、少し歩くととまって立ち話を始めなければなりません。楽しくもあり、めんどくさくもあります。

今日はネパールの女性のためのお祭りだそうです。Taking bathして身体を浄めるそうですから、ひょっとしてと舞い上がったのですが、土産もの屋のおネエさんに聞いたら既婚者専用だそうで、気合いが抜けました。

Tomyが彼女と一緒にコーヒー・ショップに入ってきました。しかし、あのニヤケ面はなんとかならんのか? 全く!! Tomyと話しているうちにNepaliおっさんが割り込んできました。世界中いろんなところに行っているおっさんで、好きなタイプではないが、インド人ほどいやな感じはしません。帰りにオレンジ・ジュースの缶詰を4本買いました。1本6.5Rs。いま飲んでみたらホントまずい。何と、中華人民共和国、中国??(米編に良)油食品進出公司監制、北京なんだワ。しかし、ネパールはカン・ジュース一つよう作らん国なんかね、しっかりせいよ!!

というわけで、Unityで夕食。自家製アイスクリームの入ったミルク・シェイクに感激。スパゲッティの少ないのにゲンナリ。でも、かなりおいしかったので満足。

Unityにフランス人夫婦出現。きらいなんだよな、全く。Do you speak English? なんてえらそうに聞くんですよ。日本人が英語話したら悪いんけ? と思ったけど、国際問題になるといけませんから、a little bit と穏やかに答えてやると、あんたが食べているのはスパゲッティか? なんてつまらんことを聞くんです。見てわからんもん、聞いてわかるか?!! と言いたかったのですが、あいにくこんな下品な英語は知りませんから、上品に "これはスパゲッティというものです" と答えてやる。すると、Thank you.でそれっきり。あんたはいったい宇宙人か? と思ったけど、どうせフランス人だからと澄まして店を出ようと思ったら、ドアのところでコケそうになった。笑うなバカ!!!

Yak(シガレット)を買おうと思ったが、何処にも売ってません。Kathmandu中品切れだそうです。本当かよ? Black marketなら7Rs、8Rsであるとか。バカバカしい。仕方がないから両切りタバコを買う。言い忘れたけど、KTM -> BKKはTomyも彼女も同じFlightだそうで、全く奇遇です。

ホテルに帰って、預かってもらっていた荷物を部屋に運ぶ。Hot showerを注文し、"お湯が来ましたよ" とボーイが言いに来たので、勇んでシャワーを浴びたのですが、冷たい冷たい水が出て来るばかり。Kathmanduの水は今日も冷たかったと、へんに納得する。

"山の音" の最後の章を読んでから手紙書き。"山の音" はよかったけど、何を感じたのか自分ながらよくわからない。今日は、女性のためのお祭り。なんとなく街中が活気づいているような気がする。やっぱ、こうでなくちゃ!!

《8月26日(第48日)》

今日は朝からはりきってカメラを売りに出かけたのですが、9:00では店が開いてないんですね。僕の場合、こういうことが時々ある。結局、カメラは6800Rsで売れました。ストロボ、その他抗生物質など、もう必要ないものもあげました。次回はフィルムをインポートしてほしい、なんて頼まれました。ガンジャ売りの兄ちゃんから$250を時計と3100Rsで買いました。少しお金持ちになって、いい気分です。日本では手に入らないと思って、ヒマラヤの地図をいくつか買って、今フリーク・ストリートのコーヒー・ショップにいます。ガンジャ売りの子分の中の親分が登場!! 今日は二度目。昼寝してきたとか。それはよかったね。しかし、それから4時間、僕は彼と話し続けるハメとなりました。最初1時間はいろんな話。ガンジャ売りでもいろいろと考えてるんですね。ネパールに寄せる愛情は大変なもんです。ネパールにはSeaportが必要なんだ、なんてすごいことを言ったりするわけです(でも、海ないよ)。確かに、インドと戦争したら負けるに決まってます。だって、インドを通らないと石油運べませんから!! 親分がんばれよ。でも、親分の眼は焦点がボケてます。頭もそれほど早くは回転しないみたい。

親分はインド人がきらいです。カルカッタで一度金をだまし取られたとか(何となく親分にも落ち度があったような気がする)。だから、インドとネパールのボーダーで何度もケンカをしたことがあるそうで、彼がCUTと言っているのはKilledの意味なんじゃないかと思います。ボルカ・ナイフなんかさげて、本当はコワイ人なんですね。No problem for me.なんて気楽なこと言ってますが、それから1.5時間、日本語を教えてあげました。するとIt's my duty.なんて言って、ネパリとネワリをさらに1.5時間、みっちり教えてくれました。僕はずっとウンコを我慢してたんですが、後ろの席の人も長居しているので、屁もできません。最近の僕の屁は臭いですから。

18:00にホテルに帰ります。Raju(ラジュ)がドル買わへんけ? と言うので(レート:14Rs)、$100買うことにしました。そして、ボチボチ話が始まります。これがまた4時間も続くことになるとは思いも寄らなかったのです。お陰でシャワーも浴びられませんでした。でも、結構面白かったからいいか。Rajuの名文句があります。昔ハッシをすいながらボーッとしていて、ふと思いついたんだそうで、American life, Japanese wife, Chinese foodっていうんです。どこかで聞いたことがあるような気もするのですが、確たる証拠もないのでRajuオリジナルということにしておきましょう。

Rajuの悲しい物語もよかったね。7才までは銭持ちの家で父の深い愛情のもとで育ったのですが、7才で父を亡くし、母が再婚。新しい父にはえらく嫌われて、まるでServantのように扱われたので、それ以来Rajuは一人で生きてきたのです。如何にも頭のキレル人です。アルファベットは子供が書いたようですが、すごい英語使いです。彼の潔癖主義みたいのは聞いていて心地いい。そのうちKrishna(クリシュナ)を加えてラム酒大会が始まりました。ラムはおいしい酒だけど、効くんですね、後で!!

Krishnaは絵の名人で23才(Rajuは22才)。4ヶ月後に結婚とか。Kingの似顔絵を誰よりも精密に書けることが認められ、Governmentのお金で世界中どこへでも絵の勉強に行けるとか。でも、Krishnaは空手が習いたいんだと。Half bottleを空けたころ、味噌汁大会開始。みそスープの人気は大変なもんです。

彼らにとってカンフーの魅力はもう並大抵ではありません。RajuはカンフーがStrongestだと言います。何故なら、カンフー使いはビヨーンと飛ぶからです。どうもブルース・リーの映画を真に受けているようです。僕は、ホンマは空手の方が強いんやで、と言い張るほど日本びいきでもないし、ヘラヘラ笑ってました。

調子に乗ってさらにQuarter bottleを空けてしまいました。僕はそのうち大金のことも忘れてネムリコケてしまいました。今日は晩メシも食べてないから酒が効くはずです。RajuとKrishunaが帰ってから最高に効いてきました。朦朧とした頭の中で英語が渦巻いています。一日中話してたもんな、今日は。

《8月27日(第49日)》

例によって何もすることがないのに朝早くからお目覚め。時計がないから何時かわからないけど、とにかくまだ早い。ベッドでチャイを飲んで、ボーッとして、ボチボチ歯磨いて、長いクソ(クソが長いのではありません。下痢ですから体積は測れても長さを測ることはできません)してから階下に降りると案の定まだ8:00前。これだからいやなんです。

まだお店も開いてないから、Unityで暇つぶし。2時間くらいチョロイもんです。

ふと道の向こうの四階建てのビルディング(?)を見ますと、一階は床屋さん。New Shankar Sailoonと書いてあるのです。Saloonではないでしょうか? えらくいい髪型の青少年がイスに座っていたので、わりと上手いんやなあと感心していると、これが散髪前。散髪後はカリアゲでひどい出来。この青少年は何のために床屋に来たんだろう? 二階は何とTyping Training Centre。こういうところに世界一のタイプの名人がいたりするのではないかと、ちょっと疑ってみました。何といっても生活がかかってるんだから、並大抵のタイプではないような気がするのです。こっちで職がないっていうのは本当にみじめなんです。三階はわりときれいなきたないアパートメント。かわいい女の子が右の鼻の穴を押さえて、左の鼻の穴から鼻汁をぶっとばしました。手についたのは窓の外の壁になすりつけていました。四階は屋根裏部屋みたいで、ほんとビンボタレのアパートメント。もう10:00はまわったみたいだから、そろそろ出かけようかな。今日のマンゴ・ジュースは今までで最高でした。

何軒か店をまわって、どの店でも店中の商品を全部ごったがえしにしてきました。これはなかなかに面白い。Art Palaceという店で買い物して、店の主人と長話(2.5時間)。彼があんまりカシミール(彼の出身地)がいいって言うもんだから、僕も行きたくなりました。ただで泊めてくれるそうです。ガール・フレンドも紹介してくれるそうで、誠にうれしい話です。明日、カシミールの写真を見せてくれるそうです。

フリーク・ストリートの方にボチボチ歩いて行きます。Coffee shopの前の露店のボウスに鎖付きのカギをやって、セカンド・ハンドのウォーター・パイプをもらいました。もうけたのかどうか分かりません。でも、おそらく向こうが一枚上手でしょう。ガンジャ売りの兄ちゃんたちと少し話して、またも買い物に!! やっと見つけた2Rsのネックレス。10本買いました。

露店のボウズがみんなにカギを見せびらかしています。ほしそうだったもんな。ひょっとしたら、今回のBusinessは僕の勝ちかもしれない。

ガンジャ売りの子分の親分登場。映画を観てきたとか。僕は買い物してたんだから、二人して正午に会う約束を忘れてたわけです。よくあることです。かれのアパートメントに行って1時間ほどお話。29日にまた会う約束をしてインドラチョークへ。便箋(10Rs×5 -> 40Rs)とカレンダー(15Rs×4+25Rs×4 -> 120Rs)を買ってブラブラとUnityまで歩きます。マンゴ・ミルク・シェーク。おいしかったネ!! Unityに日本人が三人やってきたので、少しだけお話。Kathmanduに三ケ月いるとか言ってたけど、あまり面白いやつらではありません。

ホテルに帰ってシャワーを浴びてから、少しパッキングを試みていますと、RajuとKrishnaともう一人Youngおじさんが入ってきて、"今日はもう一人増えた!!" なんて言いながらまたもラム酒大会。123号室にテーブルがあるとかで場所替え。タブラ(太鼓)なんか持ち出して、みんなで歌合戦。これは楽しかったネ。ラムは昨日で懲りてるからホドホドに。チキン・チリはうまかった。全部Rajuのおごりみたいだけど、いいのかな? なんて考えているうちに、見知らぬ若きインド人登場、Rajuと口論が始まりました。Rajuはインド人が嫌いな上に、この口論は根が深そうだからきっとすごいもんになるぞと思っていたら、本当にすごいもんになってきました。英語で口論してたから、聞こうと思えば聞けましたが、いやだったのでやめました。Why don't you speak Hindi(ヒンドゥー語)? なんてインド人が言ってたような気がしますが、何語でも、喧嘩っていうのは大体よく似たもんです。そのうち、Youngおじさんが、I don't like cheating men. All cheating men.と言って、"行こう" とばかりにチキン・チリのプレートとラムのコップを持って僕の部屋に運んでくれました。Lock your door. Passanger is my god.なんて、どこかで聞いたようなことを言い残して、自分は喧嘩の渦の中へ帰って行きました。僕がいなくなると、案の定ドタバタと本格的な喧嘩が始まりました。やっぱりいい気分はしないもんですね。酔いも醒めちゃったことだし、再びパッキングなんかしてみると、意外とこじんまりと納まったので少しだけ機嫌がよくなりました。もう喧嘩も散り菊の雰囲気です。ボーイがチキン・チリのプレートを取りに来ました。同時に背の高いいい男の若きインド人が顔を見せました。May I use your lighter? と彼が言います。僕は、彼のタバコに火をつけてやります。I'm sorry for disturbing you.なんて言いながら右目のところを押さえています。僕はRajuの友人ですが、ケンカに関してRajuの見方をすることもないので、少し同情のニュアンスを込めてDon't worry.と言って彼と別れました。Rajuがヤバイことをしていることだって大いに考えられますから!!

"山の音" を読み返してみます。文学書を二度読むというのはこれが初めてだと思います。

しばらくして、ボーイがごはんの乗った大きなプレートとカレーの乗った小さな小皿を運んできました。これが約束のお祭りのご馳走です。Rajuが気を遣ってくれたんです。ごはんの方がキジュリで、カレーみたいのがアルモタです。アルモタはまあカレーの一種でしょうが、キジュリは少しきな臭くて、お粥の少しかたいのに卵を溶かし込んだような感じです。きな臭いから、黄粉のおはぎを食べてるような気もします。あまりおいしいものではないし、Rajuの親切にはもう一つ素直になれなくて、全部たいらげることができませんでした。プレートと一緒に水差しを渡したら、ボーイ君が勘違いして一階(ここは四階)まで水くみに行ってしまいました。ボーイ君は、廊下に出したプレートの上で水差しから少しずつ水を出して親切にもコップまで洗ってくれたのです。Drinking waterかどうか分からないけど、これじゃ一口も飲まないわけにはいかないでしょ?!! 死んだら出てやるけんね!!

"山の音" の続きを読みながらいつの間にか寝てしまいます。ドアなんかも開けっぱなしだわ。

《8月28日(第50日)》

Unityにいます。時計がないから何時に起きたのかわかりません。パッキングを直して、出かける準備をして、下に降りたのが9:00でした。前のビル(少しきれいな方のきたないアパートメント)の三階の窓で、ガキが勝手にテレながら道に向かって歌っています。歌手きどりです。でも、こっちの歌手はケタ違いに大スターだもんね!! そう言えばRajuもかつてシンガーだったんだわ。

Art Palaceに行って3時間も話し込む。何を話したかなんて書いても仕方がない。明日、夕食をご馳走してくれることになったが、何が出てくるのかちょっと心配。昨日も今日も、何んにもしてないようで、結構いろんなことがあったように感じる。この辺が旅のいいところなんでしょう。何故、何でもない一日にすごく満足できるんだろうと考え始めたが、本人がいい気持ちなんだから理屈なんてどうでもいいわな、と結論に至る。

Bal KrishnaKarjeet(バルクリシュナ・カージェート)がやってきました。とても疲れたように見えます。お金のことで父親に会ってきたそうですが、うまくいかなかったみたい。悲しそうにも見えますね。結局、また2時間も話し込んでしまいました。彼は商売で1万Rsもすってしまったそうです。だまされたのはカルカッタ以来2度目(Bal Krishnaに落ち度はなかったんでしょうか?)。9月には祭りがあるそうです。2週間続きます。この間は、コジキも食べ物に不自由しないそうです。それはそれは楽しいそうです。その楽しさを一所懸命伝えようとするBal Krishnaが、とても悲しいような気がしました。彼は遠くにいて、それを懐かしんでいるみたいに見えました。彼は、どう見てもチンピラなんですが、考え事をするとときは河へ行くそうです。なかなかロマンチックじゃないですか。

Bal Krishnaと別れて、ホテルに帰り、シャワーを浴びてUnityで夕食。今夜は贅沢にもFried chicken。手紙書き、ノート書き。

YoungおじさんBadri(バドゥリ)が来たので、お話大会。昨日の喧嘩のことなんか聞かせてくれました。喧嘩の原因はあまりにもバカげたことで、若きインド人が二階から通りの女の子にちょっかいを出したのをRajuが見ていて、バカタレやめんか、なんて言ったことから始まってるみたい。まあ、Rajuもインド人ですから、例によってインド的大口論が始まったわけです。アホラシ!!

夜は "山の音" を読みながら知らぬ間に寝てしまいました。

《8月29日(第51日)》

今日は空がきれいに晴れ上がっていて、外が明るい。Bal Krishnaとの10時の約束に遅れたかと思って、急いで用意をして下に降りたら8:00。少し気が抜けました。今日はいっぱい人に会わなければならないのです。そして、明日は日本に向けて出発。少し胸がはずみます。

ボチボチとBal Krishnaのアパートへ歩く。途中、露店のボーズ(一日一食)と少し話して道草。行ってみるとアパートが分からなくて、モナリザで待つことにする(9:20)。10:05になって彼がやってきました。彼のアパートへ行き、お面3枚と便箋とすてきなネパリ・キャップと神様のポスターをもらいました。Bal Krishnaのようなやつから神様のことを説明され、政治のことまで教えてもらいました。大統領はKingが選ぶんだそうで、これじゃデモクラシーじゃないというんで、今Fightしてるんだそうです。一つ前のKingは30何人かの二号さんを持ってたそうで、30何号さんまでいたということになります。外国から援助があると、50%はKingが取り、25%はGovernmentの取り分で、25%が国民にまわってくるとか!! 今のKingはネパリで、ネワリには辛くあたるとか!! まあ、そんなとこですか。それから彼と食事に出て、Nepal人専用のレストランでネパリ(タリ)・ディッシュをご馳走になりました。再会を期してbye-bye。彼にしては本当上出来の別れ方でした。

Unityで信用借金していたので、コーヒーを飲みに行きました。I believe you.と言われたらワザワザでも払いに行かざるを得んわな!! I believe you.のお兄ちゃんとは別のお兄ちゃんが住所教えてくれなんて言うから教えてやりました。外国に友人がいっぱいいるなんて言ってましたが、僕がボーイ君の友人なら、そりゃいっぱいいるでしょうね!!

ホテルでパッキングしてシャワー。パッキングは上出来で気分ヨロシ!!

いよいよKathmandu最後の夜です。何もすることがないから、イップクしてUnityへ行きました。ケーキ二つにコーヒー。UnityのボーイにせがまれたのでPhotoをあげました。いらないのに彼もPhotoくれたりなんかして(何故かブロマイド風)。

18:00過ぎにArt Palaceに行きます。コーヒーをご馳走になりながらお話。20:00に店を閉めて、店の主人と彼の友人と彼のServantと共に彼らの家に向かいます。フリーク・ストリートの大分向こうにあるダウンタウンです。もう、家に着いたら驚き。大マンションですよ。平屋ですが、部屋が8つばかりあって、屋上ではスポーツも楽しめます。庭がまた広くて、もうたまげました。家賃は月2,000Rs。高くないですよね。それにServant(Cook)が四人もついてるんです。リビングの絨毯なんか1枚$1,000もんです。そんなのが無造作に何枚も敷き詰めてあるんです。小さな土産物屋をやっている彼らは、きっとビンボタレに違いないと決めつけていましたから、本当びっくりしました。

夕食もすごかったですね。僕のために羊のミルク煮を用意しておいてくれました。すごいご馳走。断食開けとはいえ、しかし、彼らのよく食うのには驚きました。僕の3倍は食べます。来年はカシミールに連れていってもらおうかな。少なくともお金の心配はいらないでしょう。ホテルの近くまで送ってもらいました。きれいな別れ方でした。

ホテルに着いたらラムでお別れパーティー。Rajuがはしゃいで僕に飲ませるのです。何回ラスト・チェスをしたことか。

Kathmandu最後の夜は、コテンと寝ます。

《8月30日(第52日)》

いよいよ僕の旅もおしまい。でも、いい旅でした。

ちょっと興奮気味で6:00に目が覚めました。パッキングを直して、7:00にロビーに降ります。皆さんとチャイを飲みながらお別れ。さみしいね、全く。ホテルを出るときは、花輪なんかくれたりして、少し大げさだとは思ったけど、うれしくないわけはない。

8:15、Airport着。即、チェック・イン。荷物は40kg。20kgオーバー、1kgが45Rsなんてバカみたいな値段を言うので、10kgオーバーにまけてもらいました。Tomyも来ています(with彼女)。Flightは1時間くらい遅れましたが、サービスはなかなかヨロシ!! RN401, Boeing 727。

Bangkokに着いたのはいいけど、荷物の多いのには閉口しました。レストランにたどり着くまでどんだけシンドかったか!! Tomyと彼女がいるので、いい話し相手ができて助かりました。二人とも今日のFlightはOKが出てないみたいです。Tomyは友人のところに預けてある荷物を取りにBangkokの街へ出かけました。彼女と二人で話ができてちょっとHappy。でも、6フィート以上あるんだよね、彼女。美人とは言えないけど、すてきな目をしてます。彼女はヒマ潰しにChiangmai(チェンマイ)で買った少数民族衣装の取れたビーズを縫いつけています。女らしいね。糸をなめて針穴に通すのは万国共通らしい。爪切りを借りようと思ったら、ハサミしか持ってないとか。二人ともハサミを英語でどう言うのか思い出せなくて、しばらくお見合いしてたら、横の見知らぬおばちゃんがScissorsだって言うんだけど本当かな? ハサミで爪なんか切れないと言うと、私はいつも噛んで切っちゃうのよ、なんてきたないようなかわいいようなことをぬかす。6フィートもあるのに!!

Bangkokはやはり文明のニオイがする。だって、コカ・コーラが飲めるんだから。ダブル・セブンには全くアキアキしてたから、本当コーラがうまい。レストランで、久しぶりにブラウスから透けて見えるスリップのビラビラを見ました。心から興奮しました。

20:44、Tomyと彼女はスイス・エアーに挑戦すべく出かけて行きました。

ここで飛行機に乗ってしまえば日本かと思うと、少しあっけないような気がします。心の中でうれしさと悲しさが同居しています。Kathmanduを出るときは小雨が降っていました。ちょうどそんな具合です。

ノートを書くのも疲れてきました。このノートが、僕の経験したことのどれほどを伝え得るのかと考えると無力感を覚えます。もちろん、書かないよりはましだったでしょう。でも、どちらかと言えば、考えたこと感じたことは手紙にしてしまいました。100通くらい書いたような気がします。気が向けば、また思い出して書くこともあるでしょうけど、僕が考え、感じたことは、既に僕の混沌に受け入れられてしまっているわけですから、別に何もする必要はありません。

21:06、二人とも帰ってきました。大きい荷物抱えて、本当にご苦労さん。二人とも少し悲惨な感じ。彼女が一つ大きなくしゃみをしました。6フィートもあるとくしゃみもでかいですね。悲しさも一緒に吹き飛んでしまえばいいのにと心から思いました。空港で落ち着けないのは本当にいやなもんです。彼女の声が涙声に聞こえます。どうか泣かないで下さい。

22:00、今や彼女はTomyの膝に頭をのせておネンネ。6フィートの女が5.5フィートの男に抱かれて眠るのもまたNaturalなんですね。そういえば、14:30に着いてから8時間近くも時間をつぶしたことになる。AI304は3:10発。あと、もう少し。

《8月31日(第53日)》

もう、31日になってしまいました。ロビーに降りてみるとFlightは4:30に遅れました。Air Indiaですから、これくらいの遅れはアタリマエと言っていいでしょう。1:00にチェック・イン。Tomyの彼女はHanthacraftに乗れることになりました。Tomyとも少し話してからbye-bye。楽しいやつらでした。チェック・インのとき少しもめましたが、excess baggage chargeを7kg分にしてもらいました。何といっても1kgがB129なんだから!!

$100をバーツに替えていたから約B1000余ってしまいました。Customを通ってみると銀行はしまっていました。日本でバーツを替えるのはほとんど不可能でしょうから、Tax free shopのおねえちゃんを起こしてウィスキーを2本買いました。そういえば、今日はボディ・チェックが全くありません。こんなことなら...........

Air Indiaは1回目の遅刻の定刻通りに4:30に出発。東に飛んでるから夜明けが早い。もう、まる一日寝てないから、頭がボケてきました。フラフラしながらBreakfast。Hong Kong(ホンコン)までのFlightは約2時間。Hong Kong着は9:00(Hong Kong時間=日本時間)。ここで45分間休憩。みなさんはロビーへ、僕はPlaneの中で一寝入り。10:00、いざ出発というときになって、エンジンの点検。さすがはAir India、粋なことを。仕方がないから僕もロビーへ。サンドイッチとコーラでだまされて、13:15まで待たされることになりました。こんなことなら、いっそHong Kongで一泊するのも悪くないなと思い始めたころ、エンジンの修理も完了し、14:30離陸。日本間でのFlightは約3時間。機内食がわりとうまくて、少し機嫌が直ってしまった。

日本に着いたのは18:00少し過ぎ。日本は空から見ても日本です。大阪の街はやっぱり大都会です。税関で1時間くらいかかりました。みなさんはほんの1分。やっと日本に足を踏み入れますと、そこはアジアの一つの街でした。みんな少しきれいな服を着ているだけ。

誰も迎えにきていません。冷たいやつらです。最終の "雷鳥" も行ってしまいました。家に電話するとイカのサシミとアジのタタキが用意してあるとか。死んでも帰るもんね。

Airport busで高速を走ります。日本はすごい、バスがキレ!! 新幹線で京都 -> 米原。新幹線はまるで飛行機。45kgの荷物を抱えて、米原のホームを走って走って "加越" に乗りました。汽車もピカピカでキレ!! 福井に着いたのは10:39。もうすぐHomeです。

イカのサシミにアジのタタキ..... これで僕の53日間の旅も終わりました。本当に終わりました。

はじめに
タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok-
インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi-
ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan

私のアジア紀行 = インド偏(第11日~38日)

はじめに
タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok-
インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi-
ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan

《7月20日(第11日)》

0:10(インド時間)、Delhi(デリー)発。もうなんだか眠たくてたまらない。インドに入ったら飛行機の操縦があらくなって、着陸のときの急降下はマジで耳がわれそう。鼓膜がバリバリいっております。1:40、Bombay(ボンベイ)着。何だか本当に何とも言えない雰囲気です。

どっかの会社の社員さん2人とImigrationで会う。2人は英語が全くだめで、我々がいなければとても出してもらえない状態でした。彼らの立場は全くないのです。"最近の若いモン" に彼らは助けられてしまったのです。空港の外に出るとこれが本当にモノスゴイ。少しビビッてしまいます。オッサンたちは我々にすがるばかり。何とか居場所(空港内のベンジョの横のいす)をみつけて腰を下ろしたのですが、通行人や、その辺でごろんと寝ころんでいる人の視線の圧力に耐え切れません。それからロビーに移動することにしたのですが、ここがまたモノスゴイ。様々の国の人々がゴッタガエシテいる。真夜中だというのに。回教徒の女性たち、そしてその子供たちは信じられないくらいファシネーティングです。飛行機を使っていてもやっぱり彼らは移民なのです。彼らのすわり方は何とも言えない。ポーターに金をばらまいているアラブ人もいました。そして沢山沢山の得体の知れない、何をしているのやら、何の用があるのやら見当もつかない人たち!! それから我々もまた純粋な外国人なのです。結局オッサンたちにつきあってここで一夜を過ごすことになりました。オッサンたちはカンシャカンゲキ!! そのうちオッサンたちがBombayで落ち合うはずの大洋漁業の何とかさんがやって来ました。一緒にレストランへ行ってコンチネンタル・ブレックファストを食べました。助けてやったのにおごってくれませんでした。何度言っても彼らは荷物のことを忘れてしまいます。Bombayを出るまでに彼らの荷物はなくなってしまうでしょう。彼らは南イエメンに行くそうです。

7:00にBombayのAirportからTaxiに乗って、約40分でIndian Gateに着きました。35Rs。即、Do you like to smoke? の声がかかりましたが、健全にもことわりました。雨がふりだしました。YMCA(何故かYWCA)をさがしてOfficeに行ったのですが、9:00までラウンジで待たなければなりません。窓の外はインド的景色で一杯です。Bangkok(バンコク)行きのバスから疲れがずっとたまってきて、ここで一気に爆発したという感じでネムリコケました。ボーイに起こされて部屋に案内されました(その前に登録したかな?)。部屋に入って即シャワーを浴びて、またもネムリコケました。四人部屋のドミトリーでしたが、一人いたはずの相棒はネムリコケている間にいなくなりました。14:00頃に起き出して、ボーイにThums Up(タムサップ:インド版コーラ)を持ってきてもらって、スカット飲みました。ボーイはBeter(ビター)というヤツで、Photoをとってやったら大ヨロコビ。3回くらい出たり入ったりして、"ワイはBeterいうねん。ワイは1枚Photo持っとるゾ" と言って行きました。しばらくすると、友達のボーイを連れてきて、"コーヒー飲ましたるからPhotoとったってくれ" と言いました。インドは変なところです。

そのうち目がさめてからT.I.C.へ行くことにしたのですが、何せアタマがボケてるもんで、右と左をまちがえてえらい所へ行ってしまいました。しかし、おかげでAir Indiaの本社へ行って帰りのチケットの予約ができました。ここは本当にインドなのです。GovernmentのT.I.C.をさがしたのですが、これがまた超人的に大変でした。インド人は皆さん親切です。人がいうほどコワクナイ!! しかし、親切すぎます。道を聞くと、例え知らなくても教えてくれます。それでワケのわからん所へどんどん行ってしまうわけです。結局YWCAの近くまで帰って、何故かSを買って、TaxiでOfficeへ行きました。きれいなサリーを着たきれいなオネエチャンが、ややワケのわからん英語で教えてくれました。両目でウインクしたら、ニッとわらってくれたりなんかして!! Officeでいろいろ地図なんかもらってきました。YWCAに帰って、やっと一安心。ボーッとしているうちに、"まだIndian Gate見てへんやんけ!!" ということになって、まずメシを食いに行きました。ここでインドのBeerとカレーライスとチャイの初体験!! わりとうまかったのです。我々はひょっとしたら基本的にインド的人間なのかもしれない。さて 、Indian Gateへ行くべか!!、というわけでブラブラ歩いて行きますと、変なインディアンおっさんがやってきました。15Rsで絵ハガキいらんケ? と寄ってきたので、"高いワイ!!" と言ってやりました。カジュラホの絵ハガキなんかほしかったんで、がんばって3Rsで買いました。それから、おっさんが "レンズとかカメラ持ってへんケ?" と言いだしたので、Conicaを$500なら売ったるデとフッかけました。とにかくIndian Gateを見物することにしました。何故かこのおっさんがGuideのPassなんか持っていて、タダで案内してくれました。タジマハール・ホテルはものすごかった。YWCAにもどって、Nikonを置いて、Conicaを持って外に出て、さっきのおっさんの兄貴と4人で "ボス" のところへ行きました。インドでは "ボス" でないとカメラ屋さんはできないのです!! 変な横道へ入っていったので、少しくこわかったのですが交渉の結果、1,070Rsでめでたく商談成立。襲われないうちにそそくさと、サモサを買う寄り道だけして、YWCAに帰り着きました。今日はシャワー以外に何もすることがありません。相部屋にJohn(ジョン)というオーストラリア人が来ていました。どこかでMeditation(瞑想)をやっているとか。今日はBombayに電線を買いに来たそうです。何のこった? インドにはいろんな人がいます。でも、だいたい4種類くらいかな? ホンマのお金持ち、わりときれいな格好をしている人、きたない労働者、こじき!!

今日はおやすみ。涼しくて、カイテキ。こんなときにインドへこないやつはバカです。今日は長い長い一日でした。

《7月21日(第12日)》

朝ゆっくり起きて、荷造りして、10:00頃にVictoria Stationに行きます。T.O.でいろいろ聞いたのですが、よく分かりません。とにかくPoona(プーナ)までTicket(10Rs)を買って、フラフラしていると、おっさんが来て(ターバン巻いてる)、ワイが席取ったるけん10Rsずつくれ!! と言いました。OK。それでホームに腰を下ろして2時間キシャを待つことになりました。おっさんといろんな話をしたのですが、なかなかおもしろい!! しかし、キシャが来たときのおっさんの働きのすごかったこと!! キシャが入ってくると同時にオレ達の荷物(かなり重い)を両手に持ち、走るキシャに飛び乗って席を取る。おかげでオレ達は無事すわってPoonaまで行くことができたのでした。

Poonaまでは4時間の車中旅行でしたが、2ndクラスでして、これがなにしろものすごい。荷物は心配だし、手足を動かすこともほとんどできません。しかし、インド的風景はなかなかでした。貧民窟からジャングルまでなにもかもものすごい。この辺りのインドの山はどちらかというと平たい感じがして、何層もの平行な土の "縞" からできています。その横腹の最上段から真下までずっと滝になっているのなんかは、"豪快" を通り越しています。このジャングルにはトラさんがいっぱいいるとか。車中にはいろんなものを売りにきます。母娘で民族音楽を踊るこじきもいます。それはなかなかものすごい。

インドは大変な国です。例えばこじきに1Rsやることはできても、それ以上のことはできません。この国で一番大きな役割を果たしているのはきっと "時間" なのでしょう。本当に先の長い国です。

Poona着は17:00頃。駅でMapを買って、広げて見ていたら、またも、いつの間にか我々のまわりはインド人だらけ。何がめずらしいのか、全く変なやつらです。その中でも特に変なおっさんが、G.T.I.C.を教えたろか、と寄ってきました。結局このおっさんと2時間ほどうろついて、やっとホテルに落ち着きました。Poonaはホテル難です。おっさんに5Rsあげました。You helped me. Now, I have to help you. It's my duty. なんて一所懸命ホテルさがしてくれたわけです。とにかくChoice Guest Houseに落ち着いて、メシ食って、後はシャワーを浴びるだけ。

《7月22日(第13日)》

昼少し前にChoice G.H.をチェック・アウトしてAshramへ向かいます。AshramのOfficeでいろいろ聞いて、Ashramの食堂へ行ってみたのですが、ここは全く異様な所です。皆オレンジ一色で、キリストみたいなヤツらが五万といて、全く全く異様なのです。

一人の日本人サンニャーシンと知り合いになって、我々も早速そのキチガイたちの仲間に入るべくM.G.(マハトラ・ガンジー) Roomへ行って、上下を買ってきました(plusオレンジのスリッパ)。ヤンキードゥードゥルという店でColaとアイスクリームを食べてAshramに帰りました。うろうろしてみましたが、別にすることもないので、ホテルさがしに行くことにします。これがまた大変でRitz Hotelで一室みつかっただけ。きたない部屋で40Rsもぼられました。Gをすこしやって、別に何もすることがありません。Choice G.H.へ明日の予約をしてみたのですが、うまくいきません。Ritzのおやじは、ケチでおもしろくない。おやすみ。

《7月23日(第14日)》

Ritzは早いこと出ることにする。10:00頃、Choice G.H.へ行って交渉。無理して一室(#106)空けてもらう。11:30、Choice G.H.入場。ちと落ち着く。ヤギューはお湯のシャワーに大感激。午後はAshramへ行く。何もすることがない。変なおっさんにつかまって、変な話を1時間ばかり聞かされる。夕方からシャクティーで誰か(忘れた)のBirthday Partyがあるとかで、とにかく行ってみる。途中で青少年と会う。PartyはFree Chargeでなかなかゴウカ!! 会食の後のDance Party(屋上)は飛んでいました。日本のどのディスコへ行ってもあんなすごいのはきっと見られへん!! 100人ほど日本人が集まりましたが、こんな変なヤツらがこんないっぱいいるんかいな、という感じ。変な外人たちもいっぱい来ました。もう言葉では表せないモノスゴサです。明日からCentering。

《7月24日(第15日)~7月30日(第21日)》

Centering。

《7月31日(第22日)》

今日はお休み。ぐっすり寝て、朝から何もすることがない。Yokoとお友達になったのは、はたして今日なのか? いやいや昨日の夕方、ダルシャンをけられたときでした。私は、昨夜数分間Yoko共に恋をしたような気がします。

夕方、Chinese Roomでたらふく食べる!! 今夜からIntensive。蚊にさされて一睡もできず、片足だけで30は喰われた。もうたまらん。

《8月1日(第23日)》

5:20に起き出して、ねながら下痢ぐそをする。6:00からDinamic Meditation。アホらしくてやる気がせん。ヨーロッパ人のお遊びにはようつき合わんという感じ。帰ってすぐ問答{(5+5)x4}x2。ドイツのおばさんは泣きながら話してました。アホラシ!! オレはすぐDrop Outを決め込みました。

Bank of Indiaで$200 Encashして、何故か15.5RsのIndia Kingsというタバコを買ったりする。Choice G.H.に帰って午睡。夕方、Greenfieldsへ行って、ポテトとエッグを食べる。腹の調子がよくない。吐き気がする。熱がある。死む~。

ホテルのおばさんに薬をもらうことにする。二家族でさんざん協議してくれた結果、3つぶ丸薬(2ケは小黒、1ケはカルミンみたい)をもらう。これが何と下痢で一晩寝られんハメになるとは知らずに、インド人はいい人ばっかし!! と薬を飲み込む。

下痢をなおすというよりは、下剤で悪いものを出してしまうという発想のようです。

インド式水洗便所(写真)にトイレット・ペーパーはない。水で洗うのは上手になったが、今もって正しい便器の使用方法が思いうかばない。何をするにもどうにも中途半端だ。

《8月2日(第24日)》

下痢のおかげでエネルギーは "0"。ピーッ、パピーッ。午前中はただただくたばるのみ。

Chung-faでCrub Okayo(おかゆ)を食べて、M.G.を散歩。Choice G.H.に帰って、長い長い手紙を書きました。Gulub(グラブ)と話す。午睡してしばらくするとヤギューもDrop Outして帰ってきました。となりの家では結婚パーティー。知らない間に寝てしまいました。

《8月3日(第25日)》

今朝、オレは快調、シャキッ!! ヤギューはグタ~。

午前中はボーっとして、昼またChung-faへ行って "Okayo" とラーメンを食べる。隣の本屋で葉っぱに絵の書いてあるのを買う。スコールがすごいのでChoice G.H.に直行。今後のプランなど立てる。

夜はVegetarianへ行く。ヨーコおばさんと知らない青少年が来ている。Mashroom Pieを食べて、長いこと話す。帰って手紙を書いてから、"存在の詩(うた)" を読む。ヤギューはもう寝てます。

《8月4日(第26日)》

9:30に起きて、チャイ、ブレッド、リムカの朝食。堅いウンコが出るかと思ったら、またもLoose Bowel。

オレはPoonaで少しだらけています。早くこの町を出たいような気がします。でもヤギューの調子がよくないみたい。早くどこか新しい知らないところへ行きたい。

11:30頃、Ashramへ行って、あずけてあったものを全部持ち出してくる。Aerogrammeを3枚買ったら、何故か4枚あったりして、得をしました。Air India Officeへ行って、ヤギューのDelhi -> LondonのReservationをとる。OfficeにはCulcutta(カルカッタ)で荷物をなくした日本人が来ていて、通訳をしてあげました。それから、Indian Airline Officeへ行って、いろいろ変更があった末、Poona -> Bombay -> Delhi -> Agra(アグラ) -> Varanasi(バラナシ or ベナレス)のチケットを買う($80.55 each)。Greenfieldsで昼食。バス・ターミナルへ行って、明日のAurangabad(オーランガバッドゥ)行きの時間を聞いてくる。映画でも行くべか!! ということになって、スコールの中をWest-Endという映画館へ行って "O'Men" を見たりなんかする(3.3Rs)。今、同じモロディナロードにあるコーヒーハウスで夕食。London Pilsner(8.5Rs)というBeerがとてもうまい。今日はメニューまでは書きません。ビールのつまみに出てきた乾燥ラーメンみたいなやつは、食べても味がしませんが、飲み込むと辛い。トマトスープは本当の "トマト" スープでした。

インドの映画館は真暗になりません。途中で客がいっぱい来ると、画面が白けたりするのです。プロジェクターの光量も足りなくて、目が疲れました。インドの客は礼儀知らずです。頭はジャマになるし、隣のやつは死ぬほど臭い屁を二発もするのです。ホンマ臭かった。

明日はAurangabad。また心が騒ぎます。しかし、荷造りはきわめて面倒で、うんざりします。とにかく荷造り完了!!

《8月5日(第27日)》

7:30頃,もそもそ起き出して、シャワーなど浴びて、チャイ・ブレの朝食。ヤギューは下痢でしんどそうですが、オレはとにかく動いた方がいいと思う。チェック・アウトに少し手間取りましたが、9:30にはShiuajinagar(シワジナガリ)のバス・ステーションに着きました。さて、席取りが大変。我々はチケットの買い方も知らないのです。結局、3つ席をぶんどって、Reservationをもらいました(1席15Rs)。荷物を通路に出せと言うインド人もいましたが、We have three tickets.で丸くおさまりました。インド人は席取りなんかにエネルギーを使ってるからいつまで経っても進歩しないのです。Aurangabadまでは5時間と聞いていたのですが、7.5時間ほどかかりました。デカン高原の景色は緑がいっぱいで本当に美しい。美しいけれど何時間走っても同じ景色なのです。でも、初めてあの平たい山の上に行けて感激!! 平たい山の上に行ってしまうと、そこは平原です。そして、また次の平たい山々が見えてくる。インドはどこまでじれったい国なのでしょうか!! インド人のかわいい女の子とバスの中で遊びました。子供のくせに全くいろっぽい目つきをしています。負けそう!! インドの女性の愛らしい目はたえられないほど愛らしい!! でも、きたないやつはどこまでもきたない。

17:30頃、Aurangabadに着きまして、さてどこに泊まろうかなとうろうろしてますと、さっきの女の子のおとっつあんが来まして、Y.H. (Youth Hostel)があるよ!! というので、ナンジャクにもすぐY.H.へ行くことにします。Y.H.ならワイが連れてったる、と変なおっさんが出てきたので、力車のDriverだと思ってついて行くと、これが何と馬車!! くさそうなので断って、力車に乗りました。インドのY.H.はあまりに健全です。Y.H.ではインド人の少年少女がダブルスのピンポンを楽しんでいました。ヘタなことこの上なし!! ドミトリーのベッドは蚊帳付きでなかなか快適そうですが(5Rs)、荷物が心配!! 他に日本人が一人、その他はインド人みたいです。晩めしの予約をしてから、ホリデー・キャンプというところへ明日のEllora行きのバスのチケットを買いに行きます。Officerは何故か日本語を少し話します。Y.H.のDinnerをキャンセルして、二人のOfficerにお茶と晩めしをおごってもらいます。インドの宗教のことなどいろいろ聞いたあと、何故か商売の話になりました。Y.H.の前でBusinessしました。ヤギューは腕時計を売りました。オレは明日目覚まし時計を売ることにしました。22:00ギリギリにY.H.に戻って即ベッドに入ります。でも寝られません。でも寝なければなりません。

《8月6日(第28日)》

何故か6:00から起こされて、頭がボーっとしています。Y.H.なんてロクなところじゃない。博多で八百屋をしているという日本人と話をしたりして、少し時間をつぶす。9:00に迎えにくるはずのM.T.D.C. Busが来ません。これは、インド的遅滞であって、如何ともしがたい。11:00になってようやくオムカエ!! バスには何とBombayから四人の日本人が乗っていました。先生らしい二人のネエチャンオバチャン、高校の先生をしている40近くの山本のおっさん、小学校の先生らしい正体不明・年齢不詳のツツミさん。Ellora(エローラ)のことは書きません。

ホリデー・キャンプに帰って、昨日のインド人二人と商売!! 時計160Rs。その後、日本男子四人でめし食って、彼らのホテルへ乗り込んで、インド・ウイスキーのタムサップ割りを飲みながら一服する。ツツミさんは話し出したら止まらない。インド・ウイスキーはアルコールそのものでした。残りのタバコをもらって、22:00少し前にY.H.に帰ってCommon Roomでインド人とBombayの話などする。22:00、ベッド・イン。

《8月7日(第29日)》

8:00に来るはずのBusは、それが当然であるかのように10:30にやって来ました。Ajanta(アジャンタ)までは3時間のバスの旅。ヤギューと歌合戦をしてヒマつぶし。Ajantaのことは書きません。

18:30頃Y.H.に着いて、映画(ソビエトのオリンピックに関するもの)を熱心にインド人たちが見ている横でめしを食う。久しぶりのシャワーが何とも言えません。ドイツ人君にBombayのG.H.のことなど教えてやる。彼とロビーで話していると、インド人のインテリ君がやってきて四人で大討論会になる。インド的諸問題:政治、宗教、産児制限等々、やっぱり10:00に寝る。

《8月8日(第30日)》

今日はPoonaへ帰るだけ。チケットのことで少しもめ事がありましたが、何とかなりました。デカン高原の景色はやっぱりすごい。昨夜は下痢と蚊で寝られませんでした。下痢のおかげでバス旅行が身体に堪えます。6時間のBus Ridingで18:00にPoonaに着きました。Choiceに部屋が空いていて本当によかった。

Chinese Roomで夕食。のどを通りません!! 下痢がひどい。ふらふらになってChoiceに帰って即おやすみ。

《8月9日(第31日)》

ぐっすり寝ても下痢は治らない。ハガキなど書く。ヤギューはIndian Airlineと銀行へ行く。オレは洗濯。昼メシはミルクのみ。午後一服して、ヤギューとバカやって、そのまま昼寝大会。19:00まで寝て、Chung-faで夕食。ラーメン。あまりうまくない。日記書き。

《8月10日(第32日)》

昨日の昼寝がたたって今朝は7:30から目が覚める。何もすることがないというのに!!

手紙を書いて、シャワーを浴びる。気持ちよか!!

10:00、明日7:50 Poona発の飛行機に乗るにはChoiceを何時に出るべきか、ヤギューと検討したりする。今日は映画でも見に行くべかな?!! 下痢はまだなおりません。

Indian Airlineのオフィスに行くが、Delhi -> AgraのOKが出ません。映画はやめて、ホテルでお休み。飲食なし。夜はホテルの皆さんとなごりを惜しんでヨモヤマバナシに花がさくのでした。

《8月11日(第33日)》

5:30でいいと言ったのに、Gulubのバカタレが5:00から我々をタタキ起こしたのでした。Coffee & Breadの朝食をすませて、6:20にホテルをあとにします。少年は力車まで見送ってくれました。

力車のおっさんはAirportのありかを知らなくて、空軍の飛行場まで行ったりして、危うく乗り遅れるところでした。7:50発の飛行機は当たり前のように8:10頃出発。何だかわけのわからない小さい小さいプロペラ機。約45分のFlight。Baggage Climeのモタモタしたところなんかとてもインドらしかった。BombayでもDelhi -> AgraのOKは出ません。井上さんという人と友達になりました。彼もDelhiまで行きます。Agraへは日帰りするとか!! 12:00にチェック・インして、はっきり時間はおぼえていないけど、かなり遅れてDelhiに着く。遅れが気にならなかったのは、飛行機があまりにもキレかったから。Air Bus A300とかなんとか。

Delhiの空港はなかなか落ち着いていていい!! Bombayとは大違い。かなりがんばってFlightの1.5時間くらい前に ->AgraのOKが出る。またまた遅れてDelhi出発。今度はすさまじくオンボロの飛行機。ホンマ飛ぶんかいな? しかし、夕焼けがすさまじくキレ!! 今日はBombayもDelhiもAgraもスコール。本当すごいスコール。スコールがやんでいたのはDelhiの夕焼けが見えたときだけ。何とかグラグラAgraに着く。何となくGrand HotelのA/C(エアコン) Roomに落ち着く(75Rs)。なかなかいい部屋です。食事をしてバタンと寝る。マンゴ・ジュースがうまかった。そうそう、Delhi -> Agraの飛行機でお金持ちの日本人からMild Sevenをいただきました。ナマステ!!

《8月12日(第34日)》

まずはナマステ!! 9:30くらいまでぐっすり寝て、部屋でブレックファストを食べたはずなのですが、何を食べたのか記憶にありません。11:00にTaxiをチャーターして、まずマーブル・ファクトリーに行きます。ここはGovernmentの店で、学校も兼ねています。失業対策とか。でも、学校といってもきたないもんです。先生からいろいろ教えてもらいます。ちなみに "あそこ" は "ジキジキ" といいます。何でそんなこと教えてくれるんでしょう? この先生はとたんに商売人にも変身します。ファクトリーの陳列室には本当にきれいなものがいっぱい!! 2~3時間いろんなものを見せてもらって、ヤギューはクリシュナとキャンドル・スタンドと小物入れを買いました(135Rs)。オレは大理石のチェス・ボードと駒を買いました($140)。

それから隣のシルクの店に行って、また長々と商談。オレはサリーとスカーフ5枚と大きめのスカーフ1枚を買いました(350Rs)。次は宝石屋さん。本当どの店もいいものばかり置いてあるのです。ブラック・スターという石をネックレスに作ってもらって、明日ホテルまで持ってきてもらうことにしました(75Rs)。次はシタールの店。いいミュージックを聞かせてもらいました。ヤギューはシタールとタブラを買いました(975Rs)。次にブラス・ショップへ行きましたが、ここのおっさんは日本語をしゃべるので何も買いませんでした。タバコを1本もらって、屁を一発してきました。ようやくTaji Mahar(タジ・マハール)の近くのレストランまでたどり着きます。ここでTaxiには帰ってもらいました(50Rs)。今日は、本当Big Shoppingでした。Taji Restaurantで久しぶりに食欲がわいて、チキン・カクテルをハンバーガーと共に食したのでした。ヤギューのバカが、いやしくもハンバーガーを追加注文したので、危うく夕日に間に合わないところでした。ここでTajiの夕日および夜の星を見ます。Tajiのことは書きません。そういえばAirlineのOfficeにも行ってきました。OKが出ていたはずのAgra -> VaranasiはOKが出ていない。誰がこんなもん出したんか? なんて言い出します始末。全くわけが分かりません。気持ちよくシャワーを浴びておやすみ。









《8月13日(第35日)》

5:00起床。健全そのもの。6:00にはTajiに到着。Tajiの朝日。何も書きません。

力車をひろってホテルへ!! ヤギューが途中で "銀行" と叫んだのですが、何と時計を見たら7:30。銀行屋さんはまだ開いてないのです。何とも健全。ホテルで食事。手紙書き。ダベリング。ジャム・セッション。何となくストーンしてるみたい。停電!! アハハ!!

昨日クリーニングに出しておいたジーパンが出来てきました。何とアイロンでおりめなんかつけてあって、ホント、バカカ!!

停電でA/Cのきかない部屋でモンモンとお昼寝。昼寝から目覚めるともなくモゴモゴ夢の中でうごめいていると、銀行から帰ってきたヤギューがシタール屋さん行かへんけ? なんて言うのです。オレはうやむやのままおやすみ。スカット目覚めたのは16:00頃。ヤギューは、シタール屋さんでシタールの先生とタブラの先生のすごいセッションを20Rsで聞いてきて大興奮!! オレも行けばよかった。遅い遅い昼食。

Indian Airlineのオフィスに18:00頃行きました。OKが出ていたIC407便は去年の10月から廃便になっているとか。無責任な話です。オレとヤギューはかなり頭にきて、どなりちらして、明日の便に何とか乗れる "チャンス" だけはもらいました。本当ムチャクチャな話です。こんないい加減なことばかりやってるからインド人はダメなのです。今日のインド観は最低です。ホテルに帰ってから二人でボロクソにインド人の悪口を言いました。夕食はチキン・マヨネーズとビール!! チキン・マヨネーズはマスタード・マヨネーズがとてもすてきでうまかった。ひょっとしたら、インドで食べた中で最高かも。ヤギューは今、眠たそうに荷造りをしています。オレはもうおわってしもた。おやすみ。

《8月14日(第36日)》

朝7:00にモーニング・コール。8:00にTaxiを予約しておいたのに、何故かインド人のカップルが相乗りしてきたので、大分遅れました。Driverはかなり気にくわないヤツ。8:30頃にAirportに着いて、さて戦闘開始!! 空席待ちだけでもロビーはいっぱいの人人人人人。日本人も3人いました。我々のWaiting Numberは102と103。これでは見込みなし。しかし、昨日ゴネたカイあって、いざCallingになると我々はNo. 1と2。ハハハハ!! そしてBoeing 737が着いて、席の確認が済むと、空いている席はMaximum 2。結局、我々2人だけが乗れることになったのでした。

昨日のイケスカナイOfficerは、今や少しはマシなヤツに見えるのでした。しかし、全くスレスレ旅行です。Boeing 737は、今日は心なしか快適。1時間のFlightでVaranasiに着きます。空からはガンガ(ガンジス河)と広い広い緑の平野が見えました。この辺の緑は、田んぼの緑が多いようで心強い。空港で会った客引きに言われるままにHotel Himalayaに行くことにしました。Varanasiの町並みは、聞いていたほどきたなくはありません。でも、町らしい町も見あたりません。ちょっと埃っぽい町です。コジキがあまりいないみたいでホッとしました。Himalayaでは、Robert(ロバート)と友達になりました。彼は働き者のボーイ兼ガイドです。なかなか頭がキレます。日本語を勉強したがってます。2日間80RsでTaxiを借り切りました。ガイドはRobertがFree Chargeで引き受けてくれました。Robertとは違うダテ男がまずIndian Airline Officeに連れていってくれました。それからRobertが、初めてシャカがNepalを出て、五人のお供と一緒に座ったという場所へ行って、シャカSchoolなんかも見て、疲れて帰ってきました。Himalayaには小野沢という日本人が泊まっていました。彼と一緒に食事して、彼の部屋でパイナップル・パーティーをして、コテンと寝ました。シャカSchoolはなかなかオモロかった。

《8月15日(第37日)》

4:30起床。ガンガの朝日を見に行きました。わりと晴れていたりして、感激。ガンガのことは書きません。死体を焼いているところも見ました。Photoもとりました。

いくつかお寺を見て、軽い朝食をとったあと、昨日立ち寄ったシタール・ショップへ行きます。Crown Silk CornerのShopkeeperのおじさんの家でIndian Breakfastをご馳走になりました。フライド・チャパティにカリーにジャム。なかなかいけます。長い長い商談の末、何も決まりません。いい加減チャイ腹になってきました。いいシタールは見つかったのですが、少し高いし、もっとたくさん見たい気もするし、久保田に500Rsもするシタールを買って行くのもどうかと思うし、というわけで12:00頃一度ホテルに帰ることにしました。シャワーなんか浴びて、一休みして、Indian Airlineへ行きます。ここからが大騒ぎ!! 20日の席はありません。みんなフレンチ野郎が悪いんです。バカカー!! 22日のリクエストとロイヤル・ネパールのリクエストを出してもらいます。しかし、汽車でPatna(パトナ)まで行くのも大変ですよ、こりゃ。何せ、インドなんだから。というわけで、ホテルに帰ったんですが、例のダテ男が明日なら二人とも飛べると言い出したので、またまたナンジャクにもホイジャそうするべかということになりました。ダテ男がOfficeへすっ飛んでくれました。1時間くらいして帰ってきて言うには、オレはOK、ヤギューはAgraまでOK、Agra -> Delhiは75%でOK。

とまあ、一段落して、断食してるモスリムのShopkeeperのもとへ小野沢さんとRobertの四人で再度商談に出かけます。結局、1000Rsと500Rsのシタール、300Rsのタブラplusふえplus Boxで1750Rsということになりました。小野沢さんもかなりナンジャクな人で、つられて800Rsのシタールなんか買ったりして。ホテルで小野沢さんを含めてパーティー。こんなに早くヤギューと別れてしまうとは、思いもしませんでした。ビール2本、インディアン・リカー(30Rs)。インディアン・リカーは1/3も飲めませんでした。残りはRobertたちにあげました。大喜び!! そうそう、Robertに日本語のハンドブックをあげたときには大変な喜びようでした。全く!!

明日から離ればなれになって一人一人で旅を続けるというのに、別に特別な話もありません。二人とも酔いにまかせて寝てしまいます。

《8月16日(第38日)》

朝6:00から目が覚めました。例によって何もすることがないので、下へ降りてRobertと話をしました。オモロカッタ。7:30からPackingを始めて、9:00にI.A.Officeへ向かいます。チケットは空港で受け取ることになりました。ヤギューは11:00にもう一度Officeへ行かなければならないことになったので、我々はホテルで別れなければならなくなりました。お金はダテ男が渡してくれることになりました。ここは信用することにしましょう。10:00にホテルを出ました。男同士の別れは本当にあっけないもんです。この別れは、ヤギューにとってもオレにとっても、決して重要でないものではありません。我々は、やっぱりお互いの道を行くべくここVaranasiで別れて行くのです。オレは目頭が少し熱くなるのを禁じ得ませんでした。まず、シタール・ショップへ向かいます。パッキングにかなり時間をとりましたが、Taxiを飛ばして11:00にAirportに着きました。Taxiの中でダテ男といろいろ話しました。彼自身のこと、インドのこと、何と彼の月給は200Rs。悲しいことです。きれいな服はみんなGiftだそうです。途中ラビ・シャンカールの家が見えました。空港での手続きはかなり面倒でした。みんなダテ男がやってくれました。オレ一人では、おそらく30分でこの手続きをこなすのは無理だったでしょう。チケットはほぼ$50もしました。さらに、Excess Baggageに30Rs、Airport Taxが32Rs。T/C(トラベラーズ・チェック)を現金化して、1550Rsをシタール・ショップに、1200Rsをヤギューにとダテ男に渡しました。彼にはチップとして40Rs渡しました。彼にとって決して小さいお金ではないでしょう。12:20、無事Varanasi発。

はじめに
タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok-
インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi-
ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan

私のアジア紀行 = タイ偏(第1日~10日)

はじめに
タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok-
インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi-
ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan

《7月10日(第1日)》

16:00、2時間半遅れで伊丹空港を出発。Air India 305、Boeing 707。スチュワーデスさんキレ!! エンジンがブラブラしてる。19:30(日本時間)、Hong Kong(ホンコン)で途中下機。飛行機の外でPhotoをとる。他の人はロビーまで行った。変な町だわさ。いやな兄ちゃんに飛行機に追い帰される。オー涼し!! 20:30(日本時間)、離陸。20:45(タイ時間)、Bangkok(バンコク)到着。偶然出会ったMr. Boontham(ブンサム)にImpala Hotel(#310、$14)を紹介してもらう。ホテルのクラブでMiss Rodjana Pimkaeの歌を聞きながら、Singher Beerを飲む。一階のロビーのボーイ君Arkom(アーコム)に日本語を教えてやる(30分)。

《7月11日(第2日)》

8:30、起床。シャワーをキモチヨク浴びる。クソ2回。大漁豊漁。ホテルのTraveler's Centerで話し込むこと4時間。昨日のおっさん(Boontham)が金払ろてない言うてB477.5とられるところやったけど、ガンバッたら "It's OK."。全く変なところや。Traveler's CenterにいたMiss Pensri Purisai(ペンシュリ・プリサイ)と友達になる。

ビュフェでめし食って(B45)、Siam Square(サイアム・スクエア:Bangkokの中心街)へ行く。オート三輪ゴウカイ至極!! 交通事情ムチャクチャ!! とにかくService CenterでBangkok -> Bombay(ボンベイ)のチケットを買い(B3500)、帰りにK TravelでKathmandu(カトマンズ) -> Bangkokのチケットを買う(B2680)。Student Passを持っていなかったので、Impala Hotelまで取りに帰る。K Travelではお金を置いたままStudent Passを取りに帰ったわけだが、昨日のおっさんのこともあるし、タイは信用できるのかできないのか? でも実は皆アホみたいに人がよさそう。Arkomしかり、Pensriしかり(Boontham?)。そういえばPensriはかわいい。

20:00、マイクロバスが迎えにくる。20:30、冷房のきいたバス・ステーション(Golden Tour)に到着。21:00、大型バスに乗り換え、Chiangmai(チェンマイ)に向けて出発。Bangkokの町なんぞ眺めながらヤギューといろいろ話す。

《7月12日(第3日)》

そのうち寝てしもて、目を覚ますと(2:00)、地平線に囲まれた(?、実はまっ暗、限りなくまっ暗に近いまっ暗)大きめの、限りなくきたないドライブインに着く。おかゆ2杯と肉の塩漬けと漬け物が出たが、よう食わんかった(ヤギューは食べたので、今朝ハラグアイがよくない)。この辺の犬の人なつっこさには命がけの感がある。それは、エサをもらうための必死のサービス。ドライブインのペプシコーラはものすごく冷えていた。こんなところで冷たいコーラが飲めるなんて? と思ったが、電気さえあれば冷えることは冷える。小娘がバスの中まで空きビンを取りにきた。ずいぶん大切なものらしい。そういえば、何でこんな小娘が真夜中に働いてるんだ? バスの中は限りなく寒い。冷房に限度というものがない。あるいは、単にサーモスタットが効かないだけなのかもしれない。とにかく、バスの乗客は皆カゼを引く!!

6:30、Chiangmai着。Golden Tourに行き、宿をさがす。Chiangmai大学の学生にP.K. Guest House(一泊B25)まで連れていってもらう。昼にならないと部屋が空かないというので、荷物を置いてここPeacock Coffee Shopに来て、パパイヤ+コーヒー+パンの朝食をとる。Chiangmai大学の学生はInsects(昆虫)に興味があると言っていたが、何のことやらさっぱりわからん。彼はAirline Businessを勉強中とか!! 車のポケットの中にあったChiangmaiの地図をくれた。親切なヤツだ。町の交通事情は穏やかだが面白い。バイクの2人乗り(女の人は横乗り)、特にセーラー服を着た女学生のスーパー・カブが勇ましい。Peacock Coffee Shopの水洗便所の流れる感じが面白かった。どろどろどろって水が出てきて、ウンコがおぼれていく感じ。

奥田という日本人とBohn(ボーン)というドイツ人と友達になる。J&Bを飲みながらいろいろなことを話した。

《7月13日(第4日)》

Peacock Coffee Shopで朝メシを食って、ウィンドウ・ショッピングをした。オーストラリアから来ていた姉ちゃんと少し話す。Good Rateの銀行(Thai Farmer's Bank)を教えてやる。それからP.K.に帰って、Bohnと長話をする(Love、Politics)。ヤギューとBohnと三人でコーヒー飲んで、それから昼めしを食いに出かける(スープとパパイヤ・レモン・シェーク - Good!!)。14:00にBohnの友人(Taxi Driver、ヘロインで少しアタマがいかれたNice Guy)とワット・プラター・ドイステープという寺を見に行く。ドイステープはえらい山の上(1000m)。いい景色。それからChiangmai大学近くのレストラン(屋外、ワラブキ)に行く。勘定はオレとヤギューで持つ(B82)。Bohnはこのことが不満のようだった。それでBohnがタイ・ディッシュをご馳走してくれた(B13)。明日はハンディクラフトの工場を見に行く予定。

しかしBohnにしろ、彼の友人にしろ、なかなか "変" だ。半日近くいろいろ案内してくれて、彼の友人は、オレ達がレストランの勘定を持つことを当然と考えたが、Bohnは考えなかった。でも、その友人も案内料を取ろうなんて考えてもみないようだった。

さあ、手紙でも書きましょうか。

《7月14日(第5日)》

今朝(9:00)は巨大な巨大なウンコが出て、水洗便所(瓶のたまり水を桶ですくって自分で流す)がつまった。便器中水だらけにして、"柄" のついたタワシでつついてやったらプシューと流れていった。その代わり、タワシがクソだらけになった。タワシについたウンコを眺めていたら、昨日食べたものの思い出が蘇ってきた。ハハハ!!

Pinky(ピンキー:Bohnのニックネーム)と少し話してから一緒にPost Officeへ行くことにした。これが遠いこと遠いこと。絵ハガキを出してAerogramを買って、途中で屋台のスープを食べて(Pinkyのは唐辛子で真っ赤っか)、P.K.の近くでPepsiを飲んだのが12:30頃。何と3時間におよぶ一大Travelingでした。それから、またまた歩いてSilver Factoryを見に行くことにした。昼休みにぶつかったようで、Factoryはなかなか見つからない。やっとハンマーの音を聞きつけて、誰の家なんだか知らないけど奥へ奥へと入っていく。でもThaiの人達は笑顔で迎えてくれました。Pinkyの通訳でFactoryのおっさんからいろいろ教えてもらう。なかなか大変な仕事みたいで、一つの大きめの皿(なべ?)みたいのを作るのに4日かかるらしい。こんなのを聞くと少しくらい高くてもネギラズニ買ってやりたい気もするが、Tourist Priceで買うのもバカバカしい。

マーケットでパイナップルと他に何やらわからんフルーツを2種類買って、うれしそうにゾロゾロ歩く。いつも行く外国人のたまり場でShakeを飲んでからP.K.でフルーツ・パーティーをして、一休み。Chinese RestaurantでソーセージとSteamed Riceを食べてからThai Movieを観に行く。何故かPinkyもついてきた。B10、15、20の席があったが、B15のがいいとPinkyが言う。何やらわけのわからないオトギバナシみたいなMovieだったが、まあThaiの風俗が見れてオモロかった。それからまたChinese Restaurantに戻ってPepsiを飲む。ここでPinkyのブットビ話を聞くわけだが、これが本当ものすごい。Movieそれ自身も死んだお母さんが魚になったり、金銀の木になったり、かなり飛んでいるわけですが、Pinkyは一人二役だった主人公(娘)を、一人だと思い込んでいて、彼女の心は3 Times変わった、よくないよくない、オレも一度こんなことを経験している....などとホザイている。こんなに自分の宇宙を持っているとは、スゴイとしか言いようがない(別にDrugをやっているわけでもないみたい、でも何かで少しはいかれているみたい)。ブットビ話の後にはThaiのブットビ・スポーツ(P.K.の近くの公園でやってる)を見て帰りました。このスポーツはバレーとサッカーのアイノコでスパイク(足でやる)がすさまじい。Pinkyは明日、彼女に会いに行くと言っています。

Pinkyのpoemだと: There is a road to freedom There is a road to love There is a road to peace There is a road to truth So I have to walk The road crosses mountains and oceans Winds along valleys and shores A dusty steep and rainy road It is heated by daylight Cooled by the night But the sun rises and sinks Where the road is unknown There are milestone at its sides leading me Because it's a one-way road towards freedom Love, peace and truth Pinky

《7月15日(第6日)》

Pinkyは彼女に会いに行けないと言います。どこまで飛べば気がすむのか。Pinkyと3人で朝めしを食べて、ブレスレッドを買いに行く(B250)。PinkyはWaiting for Her Letter。ブレスレッドを買ってからPeacockでボーっとする。P.K.に帰って、2日ほど前P.K.にいたおっさんが戻っていたので少し話して、Museumを見に行くことにする。MuseumはClosedで近くのWat(寺)を見に行ったが、これがすごい。明日カメラを持って出かけることにする。P.K.に帰ると少し休んで、おっさんとPinkyとUdom(ウードム:Thai人)と新顔とでいろいろ話して、日本人4人でSingher Beerを飲みに行く。2人ともすごいタクセンレンマで本当おもしろい。

《7月16日(第7日)》

昨日ノーイのアベック姿を見かけたので、さっそくひやかす。

銀行へ行って、Chinese Restaurantで何故かトーフのスープを食べる。今、ここPeacockでノートを書いている。手紙書いてから昨日行ったMuseumとWatでも行こうかな? 新顔さんを誘ってあげるとよろこぶと思う。

新顔さんを誘ってMuseumへ行く。再びClosed。近くのWat(Wat Jao?)へPhotoを取りに行く(そういえば今日PeacockのおねえちゃんのPhotoを取ってあげたらハニカンデいた。かわい!!)。なかなかいいPhoto(Watの方)になったと思う。いつものレストランでヤキメシとShakeを2はい飲む。新顔さんといろいろ話す。

P.K.に帰ってからもいろいろ話す。Pinkyが帰ってきて、またいろいろ話す。Pinkyはドイツへ帰ったほうがいいと思う。Pinkyの考えていることを "ドイツ人" に話すべきだ、などといろいろ。Pinky: I think I can't。ばかかオマエは!! とまあ思うわけだが、国際問題になってもいかんし、今夜はPinkyと新顔さんと4人でNight Marketへ行く予定。今日、PinkyはVery Happy。彼女から手紙が来たのです。めでたしめでたし。Thai語の手紙をワザワザ訳して聞かせてくれました。それから、初めて彼女とBus Stopで会ったときの話を、ただでさえたれた眼をもっとたらして、ホホユルマセテ話してくれました。イイカゲンニセイ!!

4人でNight Marketに行く。ヤギューはヒヤカスばかりで何も買いません。近くのThai Restaurantで夕食。ワンタンのソバみたいなやつ。巨大キシメン。帰りにPinkyはブルーのシャツを買いました。3枚しか持ってないのじゃ!! などと言ってましたが、当然彼女と会うためのものです。モウ!! 明日はBangkokへ行ってビザを取ってくるみたい。Good luck、Pinky!! 例の変なスポーツ(空中サッカー)のPhotoを取って、P.K.に帰る。ヤギューといろいろ話す。我々のアタマはだんだんワケがわからなくなってきました。

《7月17日(第8日)》

今日の朝食はパイナップル。P.K.のオッチャンにThai式の切り方を教わって食べました。自転車を借りるかどうか迷った結果(一方通行が多いの)、歩いてGolden Tourまで行って、明日のBangkok行きのBusを予約してきました。ナイロン袋入りのPepsiを飲みながら帰りもトボトボ歩いた。P.K.のオネエチャンを誘おうかどうか迷ったのですが、やっぱり2人でPeacockに行くことにしました。今日こそはPeacockのオネエチャンのポートレートを取ろう。今日こそ手紙をいっぱい書こう。しかし今日は何もすることがない。ハハハハ........。P.K.に帰ってごちゃごちゃ話す。夕方にはChinese RestaurantへBeerを飲みに行く(B38)。帰ったら、Chiangmai出身でドイツにいるというわけのわからん女性がいて、全くわけがわからんかった。

Pinkyとは別のドイツ人Tomy(トミー)と友達になる。日本のお茶と味噌汁をご馳走する。そのうち全くわけのわからん日本人がYMCAから遊びに来る。話が何のこっちゃら全くわからん。つじつまの合わんヤツじゃ。J&Bの最後のやつを飲む。B1のバナナの葉っぱの葉巻をすう。まずくもないようだ。おやすみ。

《7月18日(第9日)》

朝起きて荷造りをする。Check Outして荷物を預かってもらい、やきめしとShakeを食べて銀行へ行くがUS$がない。P.K.に帰って1号室さんとTomyとPeacockでコーヒーを飲む。オネエチャンのPhotoを存分に取ってP.K.に帰る。1号室さんにコーヒーをおごってもらう。

14:30、P.K.の二階のテラスでタバコをすいながら3人でPink Floyedを聞いている。テープはP.K.のオネエチャンに、カセットは昨日の変なオネエチャンに借りる。1号室さんは今起きてきました。何もすることがない。リンダ・ロンシュタットを聞きながら、何故か隣ではThai Stick(あるものを棒状に乾燥させたもの)の値段交渉が始まる。あなオソロシヤ。Neil Youngを聞きながら、今や3人とも何もすることがない。ノーイがThai Stickを持ってきて、それからレストランへ行ったのです。そして、P.K.のオネエチャンにbye-byeして、スコールの中をTaxiに乗りました。

ポンピン・ホテルに着いたのは19:00ちょうど。ここでTomyとお別れ。19:30にBusはスタートしました。ずぶぬれなので寒いこと寒いこと。二度目とはいえ、やっぱり頭にくる。ドイツで日本のSystemを(日本人に?)教えているというちょっと太めのチャーミングなアメリカ人とOfficeで少し話して、Busの中でも日本のことをいろいろ聞かれました。変なドイツ人のおっさん(一番きらいなタイプ)が話に割り込んできたのでアタマにきた。ミツビシ・ギャランの話なんかおもしろくないのだ!! ヤンキー娘も同意見だと思う。例のお菓子とコーラが出る。ガイドは前と同じオネエチャン。乗客は10人そこそこだったと思う。クーラーのきいたこときいたこと。24:00に例のムチャクチャのドライブインに着く。僕たちは、ツツマシヤカにも食事を辞退してタバコをすう。Pepsiを1本飲んでBusに戻る。寒い寒い。

《7月19日(第10日)》

5:20、Bangkok着。アメリカねえちゃんと行動をともにしたりなんかして、と思っていたが、アチラはホテルを予約しているとかで、Good Luck.と言われて別れた。こういうときのGood Luck.はとても冷たく感じる。僕たちは明日からインドへ行くというのに、少しくらいいい思いをしておきたい。近くのホテルで朝食。アタマもハラもまだお休みの様子。ホテルからTaxi(B25)でK Travelまで来る。Taxiのおっさんはよく話す。Kathmandu -> Bangkokのチケットをもらう。Varanasi(バラナシ or ベナレス) -> Kathmanduのチケットをさがしてもらうために9:00までここで待つことにする。PinkyもTomyもおそらくはBangkokにいるだろうに、どっかで会わないかしらん!! Varanasi -> Kathmanduのチケットはディスカウントできないみたいなので、隣のJ Travelへ行く。Patna(パトナ) -> Kathmanduが$22でみつかる。Sertificationをもらって71番のバスに乗ってNepalの大使館へ行く。バスはB1、車掌の合図は口笛で、切符の切り方がまことにおもしろかった。Visaは簡単に取れました。めでたしめでたし(B100)。

残金あとわずか!! 大使館の近くから三輪車をひろう。交渉が長引いて、とにかくSiam SquareまでB35に決まる。久しぶりのBangkokの喧騒はやはりすさまじい。今度はSiam Squareの西側へ行ってみたが、オミセばかりで本当に何もない(アタリマエか?)。2人ともかなりアタマがばててきたので、Mister Donutsへ入ってコーラ(B4、高い!!)を飲みました(ソーダ・ウォーターみたい)。またもや歩きまわったが(途中でFordか何かに乗ったオネエチャン2人に声をかけられましたが、私たちはこれを決然と断ったのでした。お金ないから)、本当に何もないので "福口" という日本レストラン風のところに入ってみた。これがサービス満点のChinese Restaurantで、おっさんのサービスがあまりすごいのでボラレルかと思ったが、なべ物をたらふく食って一人B61。アハハハハ。帰りにレストランのブスねえちゃんにお見送りまでしてもらいました。しかし、このレストランでは皆の注目を浴びてまっことやりにくかった。アート・コーヒーが近くにあるというので、つきなみながら行ってみるべえ、ということになって探したがアリマセン。またもアタマがぼけてきたので、Siam Square東よりのErawan HotelのCoffee Shopでコーヒーを飲んでいる。

Bangkokに比べたらChiangmaiは天国です。日本のおっさんたちは、それなりの "目的" があるにしても、こんなうるさい町にすき好んで来るなんて信じられません。ちなみに、Thaiの車の90%は日本製で、例の女性の60%はin Sickだそうです。明日はいよいよインド!! 何となくものすさまじい予感が全身に満ちてきて、水泳の飛び込みの前みたいです。ガンバルデー。店の前では仏様にかざる花輪を売っています。少女がそれに水をやってます。ここBangkokもやっぱりのどかなんかしらん?!! 16:00少し過ぎにJ Travelに行ってチケットをもらい、すぐにTaxi(B80)でAirportに行く。食事。Air IndiaのOfficeでConfirmationをしようと思ったが、できず。飛行機は21:10、約40分遅れてBangkokを出発。隣はスイス人で、インドには長くいるらしくていろいろと教えてもらう。とにかく今は南の方がいいと彼は言う。Beer、食事。1:00(タイ時間)、Delhi(デリー)着。前にいた日本人も隣のフランス人も降りた。デリーあたりまでがまともなTouristの目的地らしい。Bombayは今スコールでものすごいとか。いったいどうなることやら。

はじめに
タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok-
インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi-
ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan

私のアジア紀行 = はじめに

はじめに
タイ編(第1日~10日) Japan-Bangkok-Chiangmai-Bangkok-
インド編(第10~38日) -Bombay-Poona-Aurangabad-Ellora-Ajanta-Agra-Varanasi-
ネパール編(第38日~53日) -Kathmandu-Pokhara-Kathmandu-Bangkok-Japan

<私のアジア紀行>は、1979年7月10日から8月31日の約50日間、私が生まれて初めて海外旅行に出かけたときの記録です。

写真上=オレ/僕、中=神様、下=ヤギュー

タイ・インド・ネパールは、多少とも精神的に屈折した学生にとって神秘的な存在となりつつありましたが、当時、海外旅行そのものが現在ほどポピュラーではなく、まだまだ "冒険" の要素を残していました。見るもの聞くものすべてが目新しく、不可思議・不可解で、それまで自分を支えてきた価値観、存在感、人生観などを全面的に見直すいい機会となりました。その過程で再形成された視点や視野は、現在もなお私の基盤の一部となっているように思います。その意味で、初めての海外旅行先が欧米先進国でなく、"アジア" だったことは、私にとって運命的だったかもしれません。


タイ・インドと行動をともにした柳生直樹とはベナレスで別れました。彼はイギリスへ飛び、自由人となりました。私はネパール経由で日本へ帰り、社会人となりました。それは大きな選択だったようにも思えるし、どちらを選択しても私は今と同じ私になっていたような気もします。

餞別の代償としてこの記録を義務づけた藤原浩司に心から感謝します。

当時の通貨交換レート:$1=¥200、B1(バーツ)=¥10、1Rs(インド・ルピー)=¥25、1Rs(ネパール・ルピー)=¥15

写真は、紙焼きをデジタル・カメラで接写したものです。画質はよくありません。また、残念ながらほとんどスライド・フィルムを使ったので、必ずしも気に入ったものを載せられたわけではありません。