レキシントンから車で20分ほどのところにあるコンコードのオールド・ノース橋に妻と二人で散策に出かけた。
Wikipediaによると、1775年4月19日に起こったアメリカ独立戦争の契機となったレキシントン・コンコードの戦いでは、最初の銃弾はレキシントンで日の出とともに放たれたが、民兵は数的に劣勢だったので撤退した。数時間後、コンコードのオールド・ノース橋にいた別の愛国者兵がイギリス軍の3個中隊と交戦し損害を与え、数回の戦闘後に今度は数的に劣勢になったイギリス軍が撤退した、とある。
コンコード川に架かるこの木製の橋は、そこそこ絵になるので、早朝とか夕方に来るといい写真が撮れるかもしれない。大きな川ではないが、案外水量が豊富で、カヤックを楽しんでいる人も多い。
独立戦争当時の服装をした人が退屈そうに立っている。
レキシントンもコンコードも、共にボストンの旅行ガイドには必ず登場する観光名所だが、面白いことに、どちらの町の記述にもその町の戦闘が独立戦争の発端となったと書いてある。
従って、独立戦争の象徴ともいえる民兵(ミニット・マン)の像も両方の町にあって、我こそはと自己主張している。レキシントンの像はこちら(二番目の写真)。
私の写真にはあまり人が出てこないので、よほど閑散としていると思うかもしれないが、そんなことはない。本当は右の写真のような状態だが、それでも日本ほどの混みようではないし、また土産物店がないので雰囲気がかなり違う。
ここは有数の観光名所だから、全米各地から観光バスで(当然ボストンまでは飛行機で)やってくる。ここには、ボランティアがいて、無料で周辺のツアーをしてくれる。
これは、オールド・ノース橋のすぐ近くにある旧牧師館(The Old Manse)。1770年、牧師であったエマソンの祖父によって立てられたこの屋敷は、200年以上経ったいまでも当時のまま保存されている。ラルフ・エマソンはアメリカを代表する思想家・哲学者。
コンコードは、多くの文学者や哲学者が住んだ町で、ルイザ・メイ・オルコット(Louisa May Olcott)の「若草物語」はここでの生活を題材にしたもの。
旧牧師館のミュージアム・ショップ。土地柄とはいえ、こんなに本ばかり並べなくても、と思うが、存外アメリカ人は本が大好き。結構売れるんじゃないかな。エマーソン饅頭もコンコード生キャラメルもありません。
何の草か知らないが、確実に秋の気配を感じさせる。
旧牧師館とオールド・ノース橋の間で地元の野菜や果物を売っている人がいた。ゴールド・ベリーと言っていたように思うが、オレンジ色をしたラズベリーはめずらしい。
その商売風景。売れるんかいな、と思うが、そこそこ売れるのかもしれない。
ビジター・センターの近くで移動喫茶店(Mobile Tea Room)発見。これはなかなかいいアイデアかもしれない。
誰もいないのかと思ったら、全く商売気のないおばさんが車の中で店番を(ボーっと)していた。
子犬のかわいさにはなかなか勝てるものがない。コンコード川で戯れる子犬をオールド・ノース橋から大勢の観光客達が眺める。
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