2006年1月14日土曜日

新年会(Annual Soiree)

会社の新年会(Annual Soiree)がボストン港にあるSeaport Hotel<地図>で行われた。右の写真はホテルから見たボストンのダウン・タウン。

アメリカの会社だからこういう催し物はないと思う人も多いだろうが、社交の場はとても大切にされる。

夕食の後はカジノ(ルーレットとかブラックジャックなど)が開かれた。受付時にCEOの顔が入った偽ドル札が渡され、カジノで儲けた人はパーティーの最後にプレゼントのオークションに参加できる。

よく話し、よく遊ぶ。

1997年1月18日土曜日

Save the Coast / Dolphin Project / The Sea of Japan "Nakhodka" Oil Spill Voluntary Act

[Japanese | English]
For Beloved Friends,

I drove my car from Osaka toward Mikuni-cho, Fukui-pref., Japan, to join the volunteer act against the "Nakhodka" Oil Spill Accident at the Sea of Japan. It was almost three days after the accident, and I could spend only two days (January 16 - 17, 1997) using my compensatory days off.

After arriving at the coast, the first thing I saw was the tanker Nakhodka showing its capsized rusty hull on the water. Although the state of the coast (Echizen Coast) was what TV had been reporting, the bows of Nakhodka was terribly mammoth and deadly near from the coast. The sight made me feel that my most precious thing had been broken by someone's carelessness. An accident indeed, but how can it be restored? These thoughts petrified me on the cold coast blackened by the heavy oil.

With full protection against heavy oil, I visited volunteer office at 7:30 A.M. on January 16. After registration, they asked me to go to Echizen-Matsushima Aquarium. Aquarium? I could not understand why I had to go there until being explained at the place. In short, because the dolphin pool was supplied with water directly from the Sea of Japan, small oil balls could come into the pool to form the oil film which gave strong damage to those dolphins. The water was transported from the deep place of the sea, so the oil balls were not big, only 1 - 3 mm in diameter. The continuous intrusion of small but an enormous number of oil balls could form rainbow-colored oil film. This noticed me that all living things were faced with the same situation under the sea. Because a seven month old baby dolphin was there, aquarium staffs were cautious about their transportation but the situation itself decided the stuffs to move them to Suma Aquarium, KOBE, on January 17 - 18. Thus, the volunteer work was to maintain the water condition for the dolphins' convenience until their departure to KOBE, the former disaster place in 1995.

We used oil absorption sheets (80x80 cm) attached to the tee sticks (90 and 200 cm) with clothes-pins. No less than ten volunteers were always walking around the pool side constantly for 24 hours to wipe out the oil film. We could not stop this job because new oil balls were always coming in with fresh water indispensable to dolphins. I did it from 8:00 - 20:00 on 16th and 8:00 - 12:30 on 17th. It was not an easy work to keep on walking just like Zen Meditation.

Fortunately, dolphins were there close to me! I could play with them during a short recess. Thus, I was probably happier than most volunteers struggled against the heavy oil itself at the shore. During my hard meditation, I imagined that dolphins made a big jump over the bar which sometimes I had to reach out to wipe the distant oil balls, but they didn't.

I knew that the key word of this accident or disaster was "ENVIRONMENT," different from that of KOBE Earthquake Disaster. But I could not think of the need of such voluntary acts for dolphins until I actually go there, even if I also knew that dolphins were there because I had visited Echizen-Matsushima Aquarium with my children a few years ago and we had enjoyed their fantastic show. Lack of Imagination! ENVIRONMENT is important. OK. For many people, however, the sea is equal to the food and scenery. It is really difficult to imagine that so many living things, not only cute dolphins but also sea urchins, abalones (we eat them in Japan), ... , and us human beings, absolutely depend on the same sea, the same harmonized ENVIRONMENT. In the daily life, everything seems to be controlled for our better life. We should understand, however, that it does not mean we can manipulate the delicate balance or harmony of nature. I hope we are not so satisfied and insensitive to know that.

I felt the same thing when we experienced the KOBE Earthquake Disaster. So many things and so precious things should be sacrificed only to let us know something important. Nevertheless, it gradually wane in our daily life.

Dolphins reminded me something important again. They gave a chance to start something, at least for me!

I appreciate the help and realization of my friends and family for my volunteer act.

重油除去ボランティア - 越前松島水族館/福井県三国町

[Japanese | English]
For Beloved Friends,

1997年1月16・17日の両日、代休を利用して重油除去ボランティア活動に参加してきた。

海岸線の様子はテレビ報道の通りだったが、ナホトカ号の船首部は、映像で見るよりも遥かに巨大で、海岸からすぐ近くに錆色の船体を横たえていた。大切にしていたものを不注意で壊されてしまったような感じだろうか。事故とはいえ、重油で真っ黒になった浜を目の前にして、どうやって元に戻せるのか、しばし立ちつくしてしまった。

さて、完全防備に身を固め、16日の7時半頃ボランティア本部で登録を済ませると越前松島水族館に行ってほしいとの要請があった。水族館?と思ったのだが、現地へ行って説明を聞いてようやく理解できた。つまり、水族館のイルカのプールは、海から直接海水を汲み入れているため、表面に油が浮き、イルカに重大な影響を与えているというわけだ。もちろん、少し沖の海底から取水しているから重油の塊が流入するわけではなく、1~数ミリ大の小さなオイルボールが絶え間なく入ってきて、表面で虹色の油膜を作るのだ(海の中も同じ状態だということ)。生後7ヶ月の子イルカがいるため、移動には慎重だったようだが、17・18日に須磨水族館などへの移送が決定され、それまでの間、少しでも快適な環境をイルカに提供しようというわけだ。

作業は、2mほどの木の棒に90cmほどの横木をT字型に固定し、これに約80cm四方の油吸着シートを洗濯挟みで取り付けたものを使って、常時約10人ほどが24時間体制でひたすら表面の油を取り続けるというもの(交替要員を含めると1日20人以上が参加)。私は、16日は8時~20時、17日は8時~12時半参加したが、まるで禅の修行のようにひたすらプールの周囲を歩き続けるのは結構こたえた(19日現在もあちこちが筋肉痛)。

ただ、間近にイルカたちがいて、時々は彼らと遊ぶことができたから、海岸でドロドロになって重油と格闘した人達に比べれば慰めは多かっただろう(日頃の行いにはやはり気を付けなければ!)。ちょっと遠くの油を取るためには、棒をぐんと延ばさなくてはならないのだが、そんなとき、ひょっとしてイルカがジャンプしてこの棒を飛び越えるのでは?という幻想にとらわれたのだが、残念ながらドラマは起きなかった。

今回の災害は、神戸のときとは違って、最後は「環境」がキーワードではないかと思っていた。そんな私も、しかも数年前に子供とショーを見た越前松島水族館にイルカがいることを知っていた私も、このような作業の必要性には行ってみるまで気が付かなかった。やっぱり、想像力の欠如だろう。「環境」と言いつつ、やはり海の幸(食べ物)や景観でしかイメージできない。海という調和のとれた環境に全面的に依存している生き物がいる。もちろんかわいいイルカだけではなく、主に海の幸であるウニやアワビもその一員。そしてもう少し輪を広げれば、我々もその一員なわけだが、普段豊かな生活に首まで浸かっている私たちには、確かにすべてが自分たちのいいようにコントロールできているように見えるから、繊細な調和とかバランスということに鈍感になっているのも無理はないのかもしれない。

神戸の時も思ったのだが、私たちが何か大切なことに気づくためにはあまりにも大きな犠牲を必要とする。それなのに、印象は日常の中で徐々に薄らいでいく。それは、確かに現実なのだが、何とかしなければね...

今回、イルカたちの存在は、少なくとも私に、再び大切なことを思い出させてくれた。

様々の形で今回のボランティア活動を支援してくれた友人と家族に感謝する。

1995年6月12日月曜日

Buddy in New York

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
当時私は日本の製薬会社に勤務し、その会社の企業内労働組合(組合員1300人)の非専従(仕事と兼任)の中央執行委員長をしていた。

連合が『ゆとり・ゆたかさ』を目標に掲げる中、医薬品産業に働くものが直接それを追求することには疑問を感じた。コミュニティという概念やお互いに助け合う構図の中で何か新しい切り口は見つけられないものかと考え、1994年7月4日~16日『AIDSボランティア』に焦点を当ててアメリカを訪れた。この記事は、その翌年、1995年6月、今度は『バディ』というAIDSボランティアの日本人女性とAIDS患者に焦点を当ててニューヨークを訪れた。

各記事は右のメニューから選択。

Buddy in New York - はじめに

◇はじめに

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
私たちは、昨年(94年)の夏、HIV/AIDS に関与するボランティア関連施設・組織、医療・研究機関、政府機関、企業・労働組合などアメリカ東部の約20ヶ所を訪問し、『コミュニティ』の存在の重みとその中でのエイズ・サポートの実態を見聞した。その成果は《AIDSボランティア訪米報告》にまとめた通りであり、『バディ』に関する今回の訪米の基盤を成すものであり、阪神・淡路大震災に対する支援活動・募金活動の試行錯誤の中で、その重要性を改めて認識させられた内容でもある。

しかし、ボランティアとコミュニティに関連して、一つ大きな疑問が残った。コミュニティの中での相互扶助の構図は、あくまでもコミュニティに視点をおかなければバランスがとれない。では、一人一人の人間に視点を移したとき、人はどう人をささえ、人はそのささえをどう受け容れることができるのだろうか?

つまり、あるサイズのコミュニティを想定すれば、ギブ・アンド・テイクの主体やその時期は大きな問題ではなくなり、確かにコミュニティ・レベルで常に収支が合うことになる。しかし、コミュニティの合理性だけで人間は行動できるものだろうか? ギブ・アンド・テイクの主体はあくまでも個人なのだから、個人レベルで精神的なバランスをとるためのメカニズムが『ギブ』と『テイク』の双方に何か存在するのではないだろうか?

そんなことを考えていたとき、ニューヨークで『バディ』というエイズのボランティアをされている日本人の女性がいるという話を聞いた。『バディ』は、相棒とか親友という意味の言葉で、HIV 感染者/AIDS 患者との安定した人間関係を基盤として精神的なサポートを行うマン・ツー・マンのボランティアだ。形態としては最もシンプルだが、人と人との関係として、きわめて奥の深いボランティアではないだろうか。

何かキッカケがつかめるかもしれない。彼女とどうしても話がしたくて、再びニューヨークを訪れた。ニューヨークへ向かう飛行機の中、機内放送のチャンネル6、イヤホーンから聞こえてきたのは期せずしてジョン・レノンの『イマジン』だった。偶然にしては奇遇過ぎないか?

SIDE A は、ニューヨークで『バディ』のボランティアをされている松本さんとのインタビューを記録したものであり、SIDE B は、松本さんがサポートしているジョニーの家を訪れたときの記録だ。松本さんとジョニーの話を聞くうちに、『バディ』が、ささえ・ささえられるという単純な構図では理解できないことが次第に明らかになっていった....。

《SIDE A》
◇松本みどりさん(33)、ニューヨークでマスコミ関係に勤務する傍ら、積極的にボランティア活動に参加。
◇1995年6月4日(午後)、ブルックリン、ニューヨーク

《SIDE B》
◇松本みどりさん(33)
◇ジョニー(27)、松本さんのクライアント。中国系アメリカ人。免疫機能の低下によりサイトメガロウイルスに感染、視力が極度に低下している。
◇ジャズミン(18)、ジョニーの姪。ごく自然にジョニーをささえている。
◇1995年6月11日(午後)、◇コニーアイランド、ニューヨーク

Buddy in New York - バディってなに?

◇1:1のAIDSボランティア ❒ バディってなに?

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
◇今日のお話は、どんな形になるかは分かりませんが、できれば活字にして紹介したいと思ってるんです。
 バディってなに?って話、まとまったものは本当にないですから。

◆みどり:ええ、でも定義付けって難しいですよね。私もなに?って聞かれると困っちゃう。

◇バディって「こういうものです」というよりも、読んでいるうちに「あ、こういうことなの」っていうのが捉えられたらいいと思うんです。

◆みどり:バディの中身は、クライアント(※1)との関係によってそれぞれ違ってくると思うんです。
 でも、基本的には、ま、「友人」なんですよね。
 例えばAPICHA(※2)のような支援団体がありますが、団体として、あるいは仕事としてやる分にはやっぱり限界があるし、越えちゃいけない一線っていうのも当然あるわけです。ソーシャル・ワーカーにしたってそうです。その越えられない、越えたところの部分をバディがサポートする、っていう感じだと思うんです。
 ※1 この場合、バディの相手、つまりサポートの対象であるHIV感染者/AIDS患者のこと。
 ※2 Asian & Pacific Islander Coalition on HIV/AIDS, Inc.。アジア・太平洋諸島系に特化したHIV/AIDS支援団体。アピチャあるいはアパチャと発音されている。

◇関係としては個人が強いですか? 組織というよりは....。

◆みどり:ええ、個人の関係だと思います。
 もちろん、個人(ボランティア)と組織があって、クライアントがいて組織があって、そしてバディ・プログラムがあって....。組織は仲介役的なところはあると思います。

◇現実には、例えば週に何回とか?

◆みどり:何も決められてないんですけど、確か週に3時間以上はやるなって最初のときに言われました。

◇やるな?

◆みどり:ええ、要するに無理があってはいけないっていうことなんです。

◇それは、例えば松本さん側に無理があっちゃいけないということですか?

◆みどり:はい。

◇3時間ね。それは意外だったな。

◆みどり:越えないようにって。でも、越えてますけど....。

◇越えちゃいますよね?、結局。

◆みどり:越えますね。

◇長期不在するときなんかは、代わりに誰かが行くということですか?

◆みどり:そういう場合もありますし、クライアントの状態によっては APICHA のクライアント担当の人がそのまま面倒をみるということもあります。でも、もちろんバディのような密接な関係というのはなかなか難しいですよね。
 バディのリクアイアメント(APICHAの要請)は1ヶ月に6時間から8時間。それが最低限です。
 もう一つのリクアイアメントは、1ヶ月に1回、バディのサポート・ミーティングというのがあるんです。それが、だいたい1時間くらい。あとは、1ヶ月に1回、状況をレポートするんですけれども、(サンプルを見せながら)それがこういう感じで....。

◇随分長いものですね。この方(クライアント)とはいつ頃から?

◆みどり:ええと、去年の3月。
 まあ、入院してたりすると書くこと多くなりますし、状況が変わったりなんかすると....。最近ちょっと多いですね。先月22時間、4月も22時間、3月23時間。
 ただ、私の場合には、彼、住んでるところが遠いんで、家を出たときからの時間で計算するんですよね。要するに、ボランティアの時間はそういった移動の時間も含めたものっていうことで....。そういうのが含まれるんで、1回往復すると結構な時間になっちゃうんです。
 最近は、向こうの家に行くと(歓待されて)フォアグラ状態にされるんで、食べてる時間も長いんですよ<笑い>。

◇電話も20回ということですか?

◆みどり:ほとんど1日おきくらいにはしてますね。
 あと、一応日誌みたいのをつけてるんです。真面目に書くときもありますし、電車の中で書いたりすることもありますけど....。これをベースにして毎月のレポートを書いてます。

◇普通の話をするんですか?

◆みどり:そうですね、だいたい「どう?」っていうことから入って、普通の時には「うん別に」って。
 ジョニーはね、あんまり自分から話すタイプじゃないんです。だから、ただ「どう?」って聞くと、「I'm OK.」って、こういう答が返ってくるんですよ。それで、状況を知ってれば、「頭痛はどう?」とか「咳はまだ出てる?」とか、そういうところから始めると少しずつ話してくれるんですけれども....。
 まあ、そういうからだの状態のチェックをして、落ち込んでたりなんかする時には「なんで?」とか、家族のこととかも結構話したりします。もちろん普通の、「私は何をしてたか」とか、仕事の話なんかもしますし、出張のあとだったら、「どこ行ってたの?」とか「どういう会社に行ったの?」とか....。
 彼が最近一番最後に言うのは「Don't work too hard.」って。「あんまり働き過ぎちゃダメだよ」って、いつも言われるんです。

◇逆に気をつかわれてたりして....。

◆みどり:私のやり方は、私もオープンにしちゃうんですよ。自分のことも、それから会社の愚痴もたまに言います。例えば、何か悔しいことがあったりすると、そういった話もしますし、どこまで面白いのか分からないですけど、でも私も丸裸になることによって向こうも安心感が出るというか、同じ関係になれる。あくまでも私が上にいて、向こうが下とか、そういう関係じゃないんだっていう....。

◇バディの関係ができると、それは1対1なんですか?
クライアントを2人持つとか....?

◆みどり:そういう人もいます。でも、それは、クライアントのからだの状態にもよりますし、バディのスケジュールにもよりますよね。
 私は、APICHA の中でバディを始めた一番最初の人間なんです。最初3人で始まったんですよね。で、一人はわりと若い女の子だったんですけど、彼女にはちょっと荷が重すぎたみたいで、すぐやめちゃったんです。
 もう一人の人は2人クライアント持ってました。彼女は看護婦さんだったんです。もともとプロフェッショナルな人なんですけど、クライアントの一人がわりと状態も安定してて、まだそんなにからだにも症状が出てない....。しかもマンハッタンのずっと上の方に住んでたんで、電話でのやり取りだけっていうのは聞きました。だから二人いてもできたのかもしれませんね。

◇クライアントから見た場合、バディは一人なんですか?

◆みどり:それはよく分からないですね。でも、今まではバディの数が不足してて....。ただ、こういうケースはあります。
 APICHA では感染者/患者さんたちのミーティングが月に2回あるんですけど、その中でもお友だちできますよね。で、こうこうこういう人がいてどうのこうのっていう話も出てくるんですけど、たまたま私のクライアントが入院しているときにそのうちの一人がお見舞いに来てたんです。で、「みどりでしょ? ジョニーのバディだよね。誰々知ってる?」って言われて、私はたまたま知ってたんで「ええ、知ってる」って言ったら、「彼、ぼくのバディなんだ」って....。そこで初めてお互いのバディの関係がオープンになって、今はお互いにお互いのこと話しますし、「彼はどうしてる?」とか電話がかかってきたり、向こうも私の話とかしてるみたいですし....。
 で、その友だちの方のバディがしばらくインドに帰ってた時期があったんです。そのときに、その子のからだの状態がよくなくなって、すごく落ち込んでるって話をジョニーから、私のクライアントから聞いたんです。で、「APICHAには電話したの?」ってジョニーに聞いたらなんか電話してないみたいだし、「私と話したいようだったら電話くれるように言って」って電話番号あげて....。そしたら「自殺したい」って電話がかかってきたんです。こりゃ困ったなと思って、本当は APICHA 通した方がいいのかなとも思ったんですけど、でもいいや、これはもう個人的な、友人としての関係でやっちゃおって。で、「とにかく明日行くから、それまで待って」って言って、翌日訪ねて....。
 そういうことはしてますね。個人的な判断のもとに友だちとしてたまに電話で話したりとか、それはもう、私は個人ベースだと思います。
 でも、そういう自然な流れ以外のときには、コンフィデンシャリティ、要するに秘守の義務が非常に大事ですから、クライアントのことは話しません。

◇松本さんのクライアントの方も患者さん方のミーティングには出てらっしゃるんですか?

◆みどり:ええ、出てます。
 しばらく出てなかったんですけど、最近はわりと出てますね。

◇ミーティングではどういうことが?

◆みどり:それこそ自分の気持ちを話したり、症状のことを話したり、あるいは薬のことについても話してるみたいです。こういう薬は効いてるとか、ぼくは、あるいは私は西洋医学には頼らないんだ、漢方でいくんだっていう人もいるみたいです。あと例えば、こういった症状が出たときにはこんな気持ちだった、だけどこういうふうにしてなんとか克服したとか....。

◇特に議題を設定してという堅苦しいミーティングではなくて....。

◆みどり:私、出席したことないんです。
 それは、あくまでもクライアント同士のミーティングなんです。一人だけコーディネータがつくんですけど、その人はソーシャル・ワーカーで、プロなんです。

◇それにはバディは参加しない?

◆みどり:参加しません。それは、彼らが彼らの間だけで話すことなんで....。
 逆に、バディのサポート・ミーティングにはクライアントは参加しません。

Buddy in New York - 社会の枠組みの隙間

◇1:1のAIDSボランティア ❒ 社会の枠組みの隙間

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
◇いろんな角度からそういう支援の手というか、つながりがあるわけですね。

◆みどり:その辺は、昨年もいろいろ見てらしてご存知だと思うんですけど(※1)、例えば APICHA のような支援団体があって、その中にクライアントのサポート・グループやバディ・プログラムがあって、あとこういう団体の他に、病院のソーシャル・ワーカーが入ったり、メディケード(※2)ならメディケードが認められればさらに自宅看護がつくんです。
 それから、私のクライアントの場合には、目が見えなくなったので、目の見えない人用の団体でソーシャル・ワーカーが一人ついてて、精神科医のカウンセラーもついてます。
 ※1 昨年(1994年)アメリカ東部の20箇所を訪問し、HIV/AIDS に関するサポートの実態を調査した(AIDSボランティア訪米報告)。
 ※2 低所得者を保護するための保健制度。

◇その辺と、バディの違い?
 多分それでは足りないからできてきたんだろうと思うんですけど....。

◆みどり:あくまでも病院だとか他の支援団体っていうのは社会の枠組みの中ですよね。だから、どっちかっていうと表の部分、オフィシャルな部分になるわけで....。その人たちは仕事ですから、やっぱり越えちゃいけない一線ってのを守らなきゃならないと思うんです。じゃないと、いくつからだがあっても足りないですし....。だから、そういう社会の枠組みの隙間を埋めるのがバディなのかもしれませんね。
 で、じゃ家族との違いは何なんだろう?と思ったときに、こちらは移民の人、アジア系で家族のいない人ももちろん多いんですけれども、例えばジョニーの場合には家族がいるんです。でも、家族では話せないっていうこともあるんですよね。
 それから、じゃ昔からの友人とじゃどう違うのか?って言ったときに、もちろん親しい友人には話せたりするのかもしれませんけど、必ずしもその友人が、エイズという特殊な問題、社会的あるいは医学的な問題に理解があるかっていうと、それは分からないですよね。
 そういったところで、バディはそこに焦点を当てた関係になってる。
 私がこのバディを始めたとき、私のクライアントはあんまり話したがらなかったんです。もちろん、なんらかのサポートがほしいから APICHA に連絡を取って、こうしたプログラムにも入ったわけなんですけど、自分の中で消化しきれないうちに、「こういうサービスがあるけどどうか」、「こういうのもあるけどどうか」って言われて、なんとなく「それじゃ」みたいな感じで....。そして、なんで自分にバディが必要なのかよく分からないまま私がついて、もちろん私も初めての経験ですから、ジョニーが何を求めてるかも分からないし、最初はとにかく話したがらなかった....。
 「友だちでいてほしい」って言われたんです。で、「分かった」って言いつつ、どうしてもからだの状態だとか、あるいは、例えばお医者さんのアポ(予約)、他のサービス関係のアポとかのことに触れないわけにはいかない。でも、触れるとすぐ会話を外らしたがる、ってのがすごく分かったんです。話したくないのかなって思って聞いたことがあるんですけど、「病気のことは考えたくない」って....。
 あまりにも一度にいろんなサービスに入ってしまったもので、みんなから「ああやれ、こうやれ」って言われてるみたいで、すべてが嫌になっちゃった時期があったんですよね。だから、せっかくカウンセラーがついてもカウンセリングに行きたくない、すっぽかしちゃう。お医者さんだけは、月に1回、それは行ってましたけど....。APICHA のミーティングにも、行くって言っておきながら直前になってやめたり、全部シャットアウトしてしまう。で、さらに私に「どうして行かないの?」なんて言われると、もうなんか放っといてくれっていうような、そういう時期があったんです。
 どうしたらいいのかなあって、そのときは随分迷いましたね。本当にただの友人関係でいいのか、それともやっぱり違う関係を築いていかなきゃいけないのか....。

◇そういうケースに直面して、クライアントがどうしても合わなくて、やめられるケースもあるんでしょうね。

◆みどり:あるっていうの聞きますね。それは構わないんだと思いますけど....。

◇合わないと意味ないですよね。

◆みどり:それはAPICHAからもはっきり....。

◇コーディネータみたいな人が多少の相性は見るんでしょう?

◆みどり:当然それは見ます。APICHA のクライアント・サービスの人は、クライアントも知ってますし、バディの候補者も知ってるわけです。一応性格の合いそうな人間を会わせて、でも合わなかったら正直に言ってくれって、そのときは考える....。多分両方に聞いてるはずですよ、クライアントの方にもね。
 でも、少なくとも合わないとき以外は6ヶ月はコミットしてくれって言われました。ころころ変わるとどちらも落ち着かないですし、やっぱりこういう関係というのはとても時間がかかりますから....。

◇松本さんもそういう時期を経験されて、それを乗り越えてやっていらっしゃるわけですね?

◆みどり:APICHAのクライアント・サービスの人に相談したこともありますし、ジョニーと一緒に訪ねて行ったこともあるんですよ。「APICHAのサービスは受けたくないの?」って面と向かって聞いたこともあります。

◇友だちとして話をするということ以外に、例えばジョニーの場合には家族がいますが、それがいなくて生活がしんどくなってきたっていうケースもありますか?

◆みどり:いわゆる身のまわりの世話ですか?

◇そうですね。

◆みどり:身のまわりの世話は基本的に訪問看護制度があるんで、それは市の派遣になります。からだの状態によりますが、普通は1日8時間。そんなに問題のない場合は、2時間くらいの人もいるのかな....。
 ジョニーは1日8時間来てもらってます。洗濯や買い物をしてもらったりとか、出かけるときにちょっとついてきてもらったりとか。彼は目が見えませんから....。

◇それは....。

◆みどり:それは、やっぱりプロフェッショナルじゃないとできないと思うんですよ。ボランティアでできることじゃないですね。
 日本の場合には、おそらくそれが家族の肩にすべて降りかかってきちゃうんでしょうけれども....。

◇入院するんじゃないですか?
 つきっきりの看病というのは、できる家ばかりじゃないですから....。

◆みどり:家族だと当然わがままも出てきますし、私はそういうプロフェッショナルの制度っていいと思いますよ。

◇今ちょうど厚生省が始めてますね。
 それが日本でできるのかどうかちょっと分からないですけど....。

◆みどり:日本の場合には、家族が他人を入れたがらないっていうのがありますよね。

◇特にエイズだったらね。日本でそういうのが成り立つとはちょっと思えないですね、今の状況だったら....。

◆みどり:ええ....。

◇その在宅ケアする人なんかは、エイズということは知りながら....?

◆みどり:もちろん知ってます。病院にだって一緒に行きますし....。

◇そういう方のエデュケーションについても十分なことがされているからこそ、ためらいなくできるということなんでしょうね。
 そういう広がりというのはすごいですね。

◆みどり:本当にすごいと思います。
 ですから、こちらにたまたま来てて感染してしまった人の中には、そういうケアが自分の国では受けられないから帰りたくないって人もいますよね。こちらの方が十分にケアできる。家族に負担をかけなくて済む....。向こうはプロですから、お金もらってやってるわけですから、そりゃやりますよね。
 どんなことしたって、同じ注射針を共用してドラッグ打つとか、あるいは無防備なセックスをするとか、そういうことがない限りは感染しないわけですからね。あるいは、取っ組み合いの、殴り合いの喧嘩して、お互いに血だらけになるとか....。
 ねえ、あり得ないですよね、そんなこと。