1995年6月12日月曜日

Buddy in New York - Do you like to have some help?

◇1:1のAIDSボランティア ❒ Do you like to have some help?

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
目の不自由な方に、肘を貸してあげる。あれなんかも、誰もやったことないから、なかなか声かけられないけど、今度一遍やろうって言ってるんですよ。車椅子乗ってみるとかね、あるいはここ(肘)を持ったときとここ(手)を持ったときに、どんなにそれが違うかっていうね。ここ(肘)はからだと一緒に動くでしょう、松本さんはご存じだと思いますけど。全然不安感が違うっていうんですよね。
 そういうの一遍やっとけば勇気もでるかなっていう気がするんです。
 そういうの積み重ねれば多少はね....。

みどり:階段で荷物持ってあげるとか結構やってはいたんですよね。すごいドキドキドキドキしながら....。どうしようかな。でも重そうだよなあとか思いながら。で、まわりに人がいないときだけとか....<笑い>。人がいるとちょっと恥ずかしいなって。
 でも、やっぱり重いよね。自分があれだけ荷物抱えてたら重くて、もう階段しんどいだろうなあと思って。
 電車の中で椅子を譲るのだってそうですよね。辛いだろうなあって思って、ちょっとだけ勇気をね。一瞬恥ずかしいですよね、まわりが。何こいつ偉ぶってるんだみたいなね。でも、そんなのは思わしときゃいいやって....。
 こっちでも、例えば目の見えない人がいたときには、聞きますね。お手伝いしましょうか、「Do you like to have some help?」って。もちろん、いらないっていう人もいるし、ありがとうっていう人もいるし....。
 いま素直に言えるのは、そんな変な見栄も何もなくなったから、まわりをあんまり気にしないでも済むようになったからですね。

その辺、やっぱり分からないんだけど、多分同情ともちょっと違う、思いやりともちょっと違う、それ見たときに、多分重いの大変だろうなあっていう....。
 思いやりっていうとちょっと文学的過ぎてね、多分さっきの話にもあったけど、自分に置き換えてみるんだと思うんですよね。それができるかできないかってことだと思うんです。

みどり:一度ジョニーがかわいそうだったのは、友だちの家に行った帰り、ラッシュ・アワーにぶつかっちゃったんですよ。電車の中混んでて、やっぱり目が見えない中でつかまって立ってるのって不安だし、わりと長いんですよ。本当に誰も譲ってくれなかったですね。

あたたかいそういう社会の方がいいはずなんですよね。自分にしたって、いつか年取って、誰もかわってくれない社会よりもね、かわってくれる方が嬉しいですもんね。
 なんで恥ずかしいんだろうなあ? 分からないなあ?

みどり:結構、日本って、偉ぶってとか、なんかそういうのないですか?

笹川良一あたりが一日一膳って言ってからおかしくなった....?

みどり:<笑い>

基本的に日本人はスタンド・プレイって嫌うところありますから....。

みどり:他人がどう思おうとってところ、大事ですよね。
 もちろん人の迷惑になることはやっちゃいけないんですけど....。

他人がどう思うかってのは大半の人はかなり意識してますよね。

みどり:それ、すっごい足かせになってると思います。

ニューヨークの地下鉄でなかなか席を譲ってくれない。かたやボランティアのそういう活動が発展してますよね。上と下に分けるのはよくないのかも....。

みどり:いや、ニューヨークっていうのは、本当に捨てる神あれば拾う神ありじゃないですけれども....極端ですね。

というか、日本は真ん中に偏ってるのかもしれないですね。

みどり:かもしれないですね。
 どっちがいいのかっていうとよく分からないんですけど....。

いいことする人も少ないけど、そんなに悪いやつもいない。
 さっき家族の話でね、日本なんかそれはいいんじゃないのって話もありましたけど、多分日本って真ん中ちょい下?くらいなんで、これを真ん中ちょい上くらいに持っていくとちょうどいいのかもしれないですね。
 全員がね、聖人みたいになることもないんだし、まあ普通なんだけどちょっと気持ちいいね、くらいがちょうどいいかなあ?

みどり:私、こっちに来て、ウェスト・バージニアで暮らすまでは、ずっと都会で育ってきましたから、あんまり素朴な楽しみ方って知らなかったんですよね。楽しみって、例えばコンサートに行ったりとか、コンパに行ったりとか、なんかそういうことなのかなあとか思ってたんですけど、例えばウェスト・バージニアの先生方の生活なんか見てても、もちろんすごく働くんですよ、例えば20枚くらいのレポートをタイプアップしたの出しても、ものすごい赤が入って返ってくるんですよ。きちっと読んでますし、そういうことはするんですけれども、時間の切り換え、使い方が上手くて、家に帰ると読書を楽しむとか、家族との団らんを楽しむとか、庭のこと楽しむとか、すごく楽しみ方が素朴なんです。で、ああ、これが人間の生活なのかなって思ったんです。走り始めたのもそういうとこですし、そうすると自然を十分満喫できますよね。毎日毎日違うものが見える。それがすごく活力になった。いろんなとこの余計なものを取り払っちゃった....。
 価値観変わりましたね、やっぱり。

多分ね、そのウェスト・バージニアのことでもそうだし、例えば50年前でも100年前でもいいんですけど、日本でもアメリカでも、どこでもいいんですけど、全部揃ってたんですよね、きっと。

みどり:そうそう。
 だから、変な話、返って一端人間社会って、石器時代じゃないですけど、そこまで戻っちゃってもいいんじゃないかっていう....極端な話。

何が加わってるんだろうなって思うときありますよね。時代が変わって、これだけいろんなものが生産できるようになって、それでどうしたんだろうって思っちゃうんです。

みどり:返って、すごい単純なそういう生活って、ヤー、いいんじゃないかなあとかフッと考えちゃうときありますよね。

だから、近所の悪い坊主いたときにさ、昔ならボコーンとか近所のおっさんに頭殴られたりして。今それできないでしょ? 近所の子殴らないでしょ?

みどり:殴らない。問題ですよ。

でも、おこってくれてもいいわけでしょ? 子ども、なんか悪いことしてたら、それこそ道で....。どうしちゃったんだろうなあ?

みどり:うんうん。
 それ、自分と切り離して考えてるからでしょうね。

自分自身に直接キノコが....。キノコが、あ、ヒノコが降りかからない限りは動かない。

みどり:<爆笑>

今のはおもしろかったね....。
 でも、なんかその辺って必要だなあと思うね。

みどり:例えば子どもなら子どもで、子どもは社会全体のものっていう....。

町内の子どもが悪いことしたらオレがみんなやっつてけてやる、みたいなおじさんがいたんだよ、昔は....。

みどり:ドイツでもそうでしたよ。電車で子どもが座ってると、知らないおばさんが乗って来ますよね。で、子どもは立ちなさいって。全然見知らぬ他人がですよ。で、自分が座るんですよ。
 子どもはいいんです、立ってて。そうやって社会が教育していく....。
 その方がずっと効率的なはずなんですよね。
 ドイツもだいぶ変わっちゃったから、今は分からないですけどね。
 私なんか絶対座らせてもらえませんでしたよ。フエーとか言いながら立ってた。

今の日本では逆ですね。ひどいのは子どもに席取らせるんですよ。
 それは論外ですよ。でも、その子なんか普段から訓練されてるからうまいうまい。

みどり:<爆笑>
 でも、そういう子どもたちが結構世の中サバイブしていくんでしょうねえ....。

すごい! 5時半になっちゃった。
 長時間にわたり....。
 今日はどうしますか? 特にご用はない?

みどり:ええ。

それじゃあ、食事でも行きましょうか?

みどり:そうですね!

今日は本当にありがとうございました。

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