1995年6月12日月曜日

Buddy in New York - 社会の枠組みの隙間

◇1:1のAIDSボランティア ❒ 社会の枠組みの隙間

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
いろんな角度からそういう支援の手というか、つながりがあるわけですね。

みどり:その辺は、昨年もいろいろ見てらしてご存知だと思うんですけど(※1)、例えば APICHA のような支援団体があって、その中にクライアントのサポート・グループやバディ・プログラムがあって、あとこういう団体の他に、病院のソーシャル・ワーカーが入ったり、メディケード(※2)ならメディケードが認められればさらに自宅看護がつくんです。
 それから、私のクライアントの場合には、目が見えなくなったので、目の見えない人用の団体でソーシャル・ワーカーが一人ついてて、精神科医のカウンセラーもついてます。
 ※1 昨年(1994年)アメリカ東部の20箇所を訪問し、HIV/AIDS に関するサポートの実態を調査した(AIDSボランティア訪米報告)。
 ※2 低所得者を保護するための保健制度。

その辺と、バディの違い?
 多分それでは足りないからできてきたんだろうと思うんですけど....。

みどり:あくまでも病院だとか他の支援団体っていうのは社会の枠組みの中ですよね。だから、どっちかっていうと表の部分、オフィシャルな部分になるわけで....。その人たちは仕事ですから、やっぱり越えちゃいけない一線ってのを守らなきゃならないと思うんです。じゃないと、いくつからだがあっても足りないですし....。だから、そういう社会の枠組みの隙間を埋めるのがバディなのかもしれませんね。
 で、じゃ家族との違いは何なんだろう?と思ったときに、こちらは移民の人、アジア系で家族のいない人ももちろん多いんですけれども、例えばジョニーの場合には家族がいるんです。でも、家族では話せないっていうこともあるんですよね。
 それから、じゃ昔からの友人とじゃどう違うのか?って言ったときに、もちろん親しい友人には話せたりするのかもしれませんけど、必ずしもその友人が、エイズという特殊な問題、社会的あるいは医学的な問題に理解があるかっていうと、それは分からないですよね。
 そういったところで、バディはそこに焦点を当てた関係になってる。
 私がこのバディを始めたとき、私のクライアントはあんまり話したがらなかったんです。もちろん、なんらかのサポートがほしいから APICHA に連絡を取って、こうしたプログラムにも入ったわけなんですけど、自分の中で消化しきれないうちに、「こういうサービスがあるけどどうか」、「こういうのもあるけどどうか」って言われて、なんとなく「それじゃ」みたいな感じで....。そして、なんで自分にバディが必要なのかよく分からないまま私がついて、もちろん私も初めての経験ですから、ジョニーが何を求めてるかも分からないし、最初はとにかく話したがらなかった....。
 「友だちでいてほしい」って言われたんです。で、「分かった」って言いつつ、どうしてもからだの状態だとか、あるいは、例えばお医者さんのアポ(予約)、他のサービス関係のアポとかのことに触れないわけにはいかない。でも、触れるとすぐ会話を外らしたがる、ってのがすごく分かったんです。話したくないのかなって思って聞いたことがあるんですけど、「病気のことは考えたくない」って....。
 あまりにも一度にいろんなサービスに入ってしまったもので、みんなから「ああやれ、こうやれ」って言われてるみたいで、すべてが嫌になっちゃった時期があったんですよね。だから、せっかくカウンセラーがついてもカウンセリングに行きたくない、すっぽかしちゃう。お医者さんだけは、月に1回、それは行ってましたけど....。APICHA のミーティングにも、行くって言っておきながら直前になってやめたり、全部シャットアウトしてしまう。で、さらに私に「どうして行かないの?」なんて言われると、もうなんか放っといてくれっていうような、そういう時期があったんです。
 どうしたらいいのかなあって、そのときは随分迷いましたね。本当にただの友人関係でいいのか、それともやっぱり違う関係を築いていかなきゃいけないのか....。

そういうケースに直面して、クライアントがどうしても合わなくて、やめられるケースもあるんでしょうね。

みどり:あるっていうの聞きますね。それは構わないんだと思いますけど....。

合わないと意味ないですよね。

みどり:それはAPICHAからもはっきり....。

コーディネータみたいな人が多少の相性は見るんでしょう?

みどり:当然それは見ます。APICHA のクライアント・サービスの人は、クライアントも知ってますし、バディの候補者も知ってるわけです。一応性格の合いそうな人間を会わせて、でも合わなかったら正直に言ってくれって、そのときは考える....。多分両方に聞いてるはずですよ、クライアントの方にもね。
 でも、少なくとも合わないとき以外は6ヶ月はコミットしてくれって言われました。ころころ変わるとどちらも落ち着かないですし、やっぱりこういう関係というのはとても時間がかかりますから....。

松本さんもそういう時期を経験されて、それを乗り越えてやっていらっしゃるわけですね?

みどり:APICHAのクライアント・サービスの人に相談したこともありますし、ジョニーと一緒に訪ねて行ったこともあるんですよ。「APICHAのサービスは受けたくないの?」って面と向かって聞いたこともあります。

友だちとして話をするということ以外に、例えばジョニーの場合には家族がいますが、それがいなくて生活がしんどくなってきたっていうケースもありますか?

みどり:いわゆる身のまわりの世話ですか?

そうですね。

みどり:身のまわりの世話は基本的に訪問看護制度があるんで、それは市の派遣になります。からだの状態によりますが、普通は1日8時間。そんなに問題のない場合は、2時間くらいの人もいるのかな....。
 ジョニーは1日8時間来てもらってます。洗濯や買い物をしてもらったりとか、出かけるときにちょっとついてきてもらったりとか。彼は目が見えませんから....。

それは....。

みどり:それは、やっぱりプロフェッショナルじゃないとできないと思うんですよ。ボランティアでできることじゃないですね。
 日本の場合には、おそらくそれが家族の肩にすべて降りかかってきちゃうんでしょうけれども....。

入院するんじゃないですか?
 つきっきりの看病というのは、できる家ばかりじゃないですから....。

みどり:家族だと当然わがままも出てきますし、私はそういうプロフェッショナルの制度っていいと思いますよ。

今ちょうど厚生省が始めてますね。
 それが日本でできるのかどうかちょっと分からないですけど....。

みどり:日本の場合には、家族が他人を入れたがらないっていうのがありますよね。

特にエイズだったらね。日本でそういうのが成り立つとはちょっと思えないですね、今の状況だったら....。

みどり:ええ....。

その在宅ケアする人なんかは、エイズということは知りながら....?

みどり:もちろん知ってます。病院にだって一緒に行きますし....。

そういう方のエデュケーションについても十分なことがされているからこそ、ためらいなくできるということなんでしょうね。
 そういう広がりというのはすごいですね。

みどり:本当にすごいと思います。
 ですから、こちらにたまたま来てて感染してしまった人の中には、そういうケアが自分の国では受けられないから帰りたくないって人もいますよね。こちらの方が十分にケアできる。家族に負担をかけなくて済む....。向こうはプロですから、お金もらってやってるわけですから、そりゃやりますよね。
 どんなことしたって、同じ注射針を共用してドラッグ打つとか、あるいは無防備なセックスをするとか、そういうことがない限りは感染しないわけですからね。あるいは、取っ組み合いの、殴り合いの喧嘩して、お互いに血だらけになるとか....。
 ねえ、あり得ないですよね、そんなこと。

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