1995年6月12日月曜日

Buddy in New York - おわりに(追記)

◇おわりに(追記)

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
この一年近く、エイズにアプローチする過程で得られた認識は、いつも当初の期待を遥かに越え、私たちに次なる課題設定と新たな認識を促すものばかりだった。エイズにアプローチすることで、逆に私たちは、日本という国の将来の姿を私たちがどのように展望し、そのためにどのように行動するつもりかを問いかけられる結果となった。

エイズのような病気や今後私たちが直面する高齢化の問題は、医療技術や医療システムだけで解決できるものではない。また、日本の経済成長が臨界点に達すると同時に社会保障システムの限界も見え始めた。今後は個々人に求められるところがますます大きくなる。

さて、友情や愛情という言葉にはその質や深さは含まれていない。含まれていないのに、如何にも確固として実在するもののように取り扱われる。多分、これが話を分かりにくくしている原因の一つではないだろうか。

例えば、バディと友だち、バディと家族はどこが違うのかという質問は、一見率直で、部外者としては一応許されるものだと思う。だから、松本さんもジョニーも同様の質問に親切に答えようと苦心してくれたのだろう。しかし、どの程度の友だち、あるいはどんな家族関係と比較しようとしているのかは触れられていないのだから随分と無理な質問ではないか。

考えてみれば、HIV に感染し、あるいはエイズを発病したとき、その事実を受け容れ、ささえてくれる友だちが、はたして何人いるだろうか。家族はどうだろうか。

クライアントを『弟』のように思うと言った松本さんの言葉がとても印象的だった。

問題の本質は、友情や愛情の質を確かめない私たちの日常生活と社会生活にあるのかもしれない。逆に、HIV/AIDS という困難に直面した不特定の人間を、何の偏見もなく友だちとして受け容れる用意のできている人と、そのささえを受け容れることのできる人の関係を『バディ』と呼ぶとするなら、HIV/AIDS に類する事実を受け容れ、乗り越えることができなくて去っていく友だちや家族をいったい何と呼べばいいのだろうか。

どうも事情はそうらしい。そして、そのような背景があったからこそ、バディが一つのサポート・システムとして登場したと考えられる(もちろん、友だち、家族であればこそ受け容れにくいという側面もある)。

戦後の日本の高度経済成長は、そんな面倒くさいことを個々人が考えなくても済むようにすばらしい社会システムをつくり上げてくれた。病気は病院で治してくれるものと、それが全てだと思い込んでいる人のなんと多いことか。日本の社会システムが劣っているわけではないだろう。しかし、人と人とがささえ合うコミュニティ基盤が脆弱になっていることは認識しておかなければならない。補強する必要はある。

『バディは友だち』という当たり前過ぎて答えにならないような答えは、どのような状況でのどのような友だちかという前提を加えれば、とてもクリアな答えになっている。むしろ難しいのは、友情や愛情の質など振り返ってみたこともない、あるいはこれまでその必要もなかった人たちにそれがどう伝えられるかだろう。しかし、HIV/AIDS はもちろんのこと、現実の問題として間近に迫った高齢化社会をイメージするとき、これはどうしてもやっておかなければならない。

通常、友情や愛情の問題は、一歩日常から離れて、文学や芸術の中だけで議論されることが多いが、個々人にとって最近流行のQoL(Quality of Life)よりもさらに切実な問題として、もう一つの QoL、Quality of Love と QOF、Quality of Friendship について真面目に考え始める時期がきているのではないだろうか。

私たちに新たな認識と理解を与えてくれた松本さんとジョニー、そして二人を紹介して下さったセント・ルークス・ルーズベルト病院の稲田頼太郎先生に心から感謝しているし、このように素敵な人たちが『いる』ことに感謝したい。

また、今回のインタビューは APICHA の理解なしには実現しなかった。改めてお礼申し上げたい。

《追記》

松本さんとジョニーにお会いしてからほどなく、私たちに美味しい中華料理をご馳走してくれたジョニーのお母さん(義母)が入院されたとの知らせを受けた。末期の乳がんだったが、まだ永住権を持たないお母さんは、最低の医療すら保障されず、悲しいことに数ヶ月後に亡くなられた。

そして、松本さんとジョニーにお会いした年の冬、松本さんが所用で一時帰国されると聞き、東京のあるホテルで食事をご一緒させていただくことにした。本当に楽しみにしていた再会だった。しかし、松本さんの様子は違った。ジョニーが亡くなった。松本さんがニューヨークを飛行機で飛び立った、ちょうどその時刻に、ジョニーは息を引き取ったという。何もかも知っていたのかもしれない。

こんな辛い思いをしたのは久しぶりだった。松本さんはどれほど悲しいだろう? 用意した鍋が虚しくゆげを上げ、そしてとめどなく涙が流れた。

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