当時私は日本の製薬会社に勤務し、その会社の企業内労働組合(組合員1300人)の非専従(仕事と兼任)の中央執行委員長をしていた。
連合が『ゆとり・ゆたかさ』を目標に掲げる中、医薬品産業に働くものが直接それを追求することには疑問を感じた。コミュニティという概念やお互いに助け合う構図の中で何か新しい切り口は見つけられないものかと考え、1994年7月4日~16日『AIDSボランティア』に焦点を当ててアメリカを訪れた。この記事は、その翌年、1995年6月、今度は『バディ』というAIDSボランティアの日本人女性とAIDS患者に焦点を当ててニューヨークを訪れた。
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