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2012年7月14日土曜日

Hiromi at Scullers

先月は日本への出張から帰ってきてからすぐに上原ひろみのパフォーマンスがあった。友人夫妻と一緒にCharles River 沿いの Sullers Jazz Club に出かけた。

Voice というアルバムからの曲が多く、いつもながら才気が溢れ出ているのが見えるようだった。

ベースの Anthony Jacson も渋い。写真は、演奏終了後に観客を写真を撮る Hiromi とその肩にそっと手をかける Tony (Anthony)。きっと好きなんだと思うな~。

この日は Hiromi の間近2メートルほどの席がもらえて迫力万点。Hiromi の動きが直接振動や風になって伝わってくる。贅沢この上ない。

Anthony Jacson はあまり近くで見ると迫力があり過ぎるかもしれない、けど。

2011年12月3日土曜日

ドガとヌード

ドガとヌード(Degas and the Nude)という特別展に妻と二人で出かけた。

我家のメイン・バンク=バンク・オブ・アメリカ(Bank of America)のサービス=「美術館を身近に(Museums on Us)」では毎月第一土曜・日曜に各州数箇所ずつの美術館・博物館が無料になる。

朝の9時半過ぎに家を出て、10時前にボストン美術館の近くに路上パーキング。2時間分のコインを入れた。

なにしろ入場料(一人22ドル)がタダなので、特別展だけ鑑賞して帰るという贅沢ができる。

ドガの特別展は期待を超えてすばらしく、特別展だけを見て、カフェで一服して帰ってきたらパーキング・メーターはゼロになって点滅していた。

展示は地下の大きなギャラリー(Gund Gallery, LG31)を全部使って、数百点の絵画や彫像を展示する本格的なものだった。

単にヌードが並べてあるのではなく、大きな絵の複数の下絵が展示してあったり、ヌードの下絵が本番では服を着ていたり、大変面白い。また、同時代の他の作家との比較なども興味深かった。

カフェに向かう途中、常設展のギャラリーを通り過ぎるとき、ゴーギャンPaul Gaugiun)の代表作: Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going? がなくなっていることに気づいた。どこかに貸し出されたのだろう。

替わりに、印象派のフロアーにあった絵が展示されていた(上写真、右の2枚)。

ボストン美術館には最近りっぱなレストランができたが、我家はもっぱら地下のカフェを利用する。

スターバックスのコーヒーと小さなケーキを2個、合計$8.51は許せる。

このカフェは安いだけではなく、中庭に面していて気持ちがいい。もちろん、寒くなければ中庭で食べたり、飲んだりしてもいい。今日はちょっと寒すぎる。

ボストン美術館の中庭のビルに区切られたボストンらしい深い色の青空が美しかった。

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2011年12月1日木曜日

古風な雑貨店(九份、台湾)

<10月29日(土)><iPhone Photo>
この日、台北から車で45分ほどのところにある九份という観光地に行ってきた

台湾映画のロケで注目されたのが始まりらしいが、昔金鉱で栄えた街並みを保存して観光地にしている。宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の原風景ということで、日本人の観光客も多い。

この雑貨店(単なる軒先?)はメインストリートの外れにあり、古風さを保存したメインストリートの建物群とは違って、非常にナチュラルに古風だった。店番のおじいさんがほとんど動かない古風な置物のようで、置いてある帽子も実に古風だった。嵩張りそうだったので買うのは断念した。

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2011年11月19日土曜日

台北・夜市

<10月29日(土)>
台北では、市内の数箇所で毎晩「夜市(night market)」が立つらしい。その一つ、饒河街観光夜市(松山夜市)に出かけた。

500メートルほどの一本道の両側に小さな商店、中央に屋台がぎっしり並び、それをコの字型に左回りに進む。かなりの人出なので、一周するのに随分時間がかかる。

写真は焼きカキ屋さん。お腹の調子が良ければ絶対に食べるのだが、自粛。しかし、見るからにおいしそうだし、においも最高!

一番多く目に付く(あるいは鼻につく)のは臭豆腐の屋台で、発酵した豆腐を揚げて甘辛く味付けしてある。病み上がりの私には、臭いだけでも過激で近寄りがたいので、とても食べる気にはならない。

写真は今川焼きの小型版のようなもの。かなり人気があるようだった。

夜市は、お祭りの夜店の巨大なもので、基本的には小銭で買えて、あったらいいような、なくてもいいようなものが売られている。しかし、このような夜市が市内で数箇所、しかも毎日開かれるというのにこの人出には驚かされる。

大半が地元の人か中国本土からの観光客のように感じた。アジア人以外は白人父子を一組見ただけなので、極端に人種の偏った観光地。あるいは観光地じゃない?

もつ煮込みのように容器に入れて食べるものは屋台の横にテーブルがあって、大変な混雑のなかで皆ガンガン食べている。

夜市の最後のほうで見かけた小鳥屋さん。商売っ気のない(ように見せかけている?)おばさんがぼんやり店番をしている。

少し傾けて置いてある箱は、何と手製のスマート・ボール。上出来だと何か景品がもらえるようだ。そのあまりにも古びた様子が感動的だった。

夜市からホテルに帰るのに一苦労した。アメリカ系の超大手ホテルの名前を言ってもタクシーのドライバーが全く理解してくれない。後で分かったのだが、それもそのはず、ここでは英語の名前も完全に漢字に帰化しているので原型が残らないのだ。逆に「穴福皇宮」って言われてもどの辺が Westin? ホテルに電話して、タクシーの運転手に行き先を中国語で伝えてもらう。台湾で使える携帯電話がなかったらどうなっていたことやら。

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上海: 豫園商城・老街

<10月23日(日)>
上海の名園=豫園に隣接する豫園商城。上海の浅草と呼ばれることもあるらしい。右の写真を見ると、確かに浅草の仲見世の雰囲気がある。

朝食を済ませてから叔父とロビーで別れ、9時に関係業者の知人が迎えにきた。彼女は普段はボストンに住んでいる中国人だが、上海出身でたまたま帰省中だったので案内を買って出てくれた。

私は名園=豫園にも興味がないし、ショッピングにも興味がないが、上海で化石を売っている店はないかと事前に問い合わせたら、この辺に何軒か店があるはず、ただしニセモノには気をつけろと言われた。

豫園商城内はすべて中国風の建物に統一されていて、見た目に面白い。

泊まっている Grand Hyatt が入るジンマオ・タワーが遠くに見える。中国風の建物との対比が面白い。

こっそりスターバックスも営業している。

この辺りにはお茶屋さんはあるが、やはりコーヒー・ショップは見かけない。スターバックスがあると心強い。

西洋鏡というのはミニ映画館のようだ。4~5人が各自双眼鏡のようなものを覗いて映画を見るものらしい。

レトロで珍しいから人だかりがしているのか、未だに現役の娯楽なのか定かでないところが中国のすごいところ。

中国人は写真好きで、結構構図にこだわる。

この写真くらいだとかわいいもんだが、一歩間違うと、というか紙一重で9月にルーブル美術館で見たような光景(中国人女性が大理石の彫像と握手)につながる。

化石を求めて骨董品街へ潜入したが不発。

宝石として琥珀は売られていたが、琥珀の良し悪しを見分けるのはとてもむつかしい。さらに、売る人の知識も曖昧で、何が何やら分からない。

上海城隍廟。

由緒あるお寺らしいが、神様の顔や服装が派手で、どうも馴染めない。

老人の団体客が押し寄せ、線香の煙が半端ではない状態に。

豫園商城の少し南にある上海老街に足を伸ばす。明・清時代の木造二階建ての建物が再現されている。

ここでも化石をさがしたが、目ぼしい標本は見つからなかった。残念。

一方、突然こういう時代物のお父さんが現れたりして面白い。

何かの修理屋さんだろうか。自転車も工具箱も年代物でいい感じだ。

昼食は豫園商城内の南翔饅頭店(地球の歩き方にも載ってる小龍包の有名店)で。

写真は大きな小龍包(?)の中のスープだけをいただくもの。スープが熱いのでなかなか飲めない。アメリカだったら、日に何件も訴訟が起こるだろう。

小龍包も、バクっと食べてしまうと大やけどをする。最初に小龍包の横腹に歯で小さな穴を開け、少しずつスープを楽しみ、しかる後に本体を食すものらしい。しかし、やけどしてはいけないと思って食べていると、なかなか味わう余裕がない。

南翔饅頭店は1900年創業。

見よこの長蛇の列。これは1階のテイクアウト・コーナーの列。

こういうところでちゃっかり小物を売ってるおばさんはたくましいな。

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2011年10月29日土曜日

夜市

<iPhone Live>
台北では毎日何ヶ所かで夜市が立つらしい。九份の帰りにちっとだけ立ち寄った。

お祭りの巨大なもので、基本的には小銭で買えて、あったらいいような、なくてもいいようなものが売られている。

土曜日ということもあるのだろうが、驚くべき人出で、大半が地元の人か中国本土からの観光客のように感じた。アジア人以外は白人父子を一組見ただけなので、極端に人種の偏った観光地だ。あるいは観光地じゃない?

アメリカ系の超大手ホテルの名前を言ってもタクシーのドライバーが全く理解してくれない。それもそのはず、ここでは英語の名前も完全に漢字に帰化しているので原型が残らない。逆に穴福皇宮って言われてもどの辺が Westin ?

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九份

<iPhone Live>
夕方、台北から車で45分ほどのところにある九份というところに行ってきた。台湾映画のロケで注目されたのが始まりらしいが、我々としては「千と千尋の神隠し」の映画の背景として記憶に残っている。

だからここは夕方から夜にかけて来なければば意味がない(魔法がとけてしまうから)。

写真はあの湯ばばあのいたお風呂屋さんのモデルになった建物。いかにも、ですねえ。

映画からも想像がつくように階段の多いところで、病み上がりの私としてはかなりきつかった。

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2011年9月24日土曜日

ルーブル(Louvre)

<2011年9月16日>
今日(土曜日)はオフで、明日の朝の便でボストンに帰る。決してパリ観光が目的ではなく、土曜日に帰る便のチケットが2倍程度したので、「仕方なく」パリで延泊することにしたのだ。

ホテル(Hotel Banke)のあるラファイエット通り(Rue la Fyette)を東に進み、ヨーロッパ最大級のラファイエット百貨店を過ぎてオペラ座に出て、オペラ通り(Av. de l'Opera)をまっすぐ下ると徒歩10分ほどでルーブル美術館に着く。

途中、オペラ通りにあるスターバックスで朝食。

ルーブル美術館への入り口間近にあるホテル・ルーブル(Hotel du Louvre)。感じもいいし、ルーブルに近いし、地下鉄の駅も近いし、値段が手ごろなら次回泊まってもいいな。

ルーブル美術館。

広大な美術館の建物群とガラスのピラミッド(出入口)。

去年の秋に来たときには、ピラミッドだけ眺めて帰ったが、やと中に入ることができる。

ルーブル美術館の作品を一々紹介しても切がないので、印象に残ったものだけ。

モナリザ。出張前に会った何人もの人たちから「あんなに小さい絵だとは思っていなかった」と言われたが、ちょうど私の思っていたサイズの絵がそこにあった。

ルーブルは、基本的には写真撮影可(多分古い作品が多くて著作権の問題がない)だが、フラッシュは禁止されている(絵を保護するため)。しかし、あまりにも多くの人がフラッシュを使うので、警備員も注意しない。大変嘆かわしい。

モナリザはガラスのケースの中にあって、生で見ることはできない。残念だが、このような状況では仕方がない。

イタリア絵画、《解説》この肖像画はおそらくフィレンツェで1503-1506年の間に制作されたものと思われる。作品はフィレンツェの織物商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像であると考えられており、苗字の女性形ジョコンダが作品の「異名」の由来であり、それをフランス語化したものが「ジョコンド」である。《ラ・ジョコンド》は、作品の依頼主には引き渡されなかったものと思われる。レオナルドは作品をフランスまで持ち運び、彼の弟子で後継者でもあったサライがイタリアに一度持ち帰っている。その後作品がどのようにしてフランソワ1世のコレクションに入ったのかは不明のままである。

ルーブルでは時々上を見上げてみた方がいい。天井自体がすばらしい芸術品。

グランド・オダリスク(1814)

ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル

フランス絵画、《解説》アングルは、夢のオリエントの世界に、ルネサンスにまで遡る長い伝統を持つ、神話世界の裸婦のテーマを移し換えている。巨匠アングルの最も有名な裸体画を注文したのは、ナポレオン1世の妹で、ナポリ王妃のカロリーヌ・ミュラだった。アングルはここで、解剖的事実を無視し、引き伸ばされ、曲がりくねった描線で裸体を描いているが、布地の質感といった細部はきわめて緻密に描写されている。この作品は、1819年のサロンに出品された際、激しい非難を浴びた。

レカミエ夫人(1800)。

ジャック=ルイ・ダヴィッド(パリ、1748年-ブリュッセル、1825年)

フランス絵画、《解説》パリのとある銀行家夫人であるジュリエット・レカミエは、当時最も知られた婦人の一人であった。ポンペイ様式の家具に囲まれて「古代風」の衣裳に身を包んだ夫人を、飾り気のない背景の中に描いたこの肖像画は、1800年において前衛的な作品であった。未完成の状態であることから(その原因は不明なのだが)、震えるようなタッチと背景の「ぼかし」に半透明色で「上塗り」が施される前の、ダヴィッドの技法を調べることができる。

ミケランジェロの囚われの身/瀕死の奴隷。

蒸し暑い夏に汗で体にへばりついた下着を脱ごうと苦労しているようにも見える。

展示の機会を待つ予備軍。

いくらでもあるぞ~って感じだね。

昼ごろになると大量の観光客が押し寄せてきた。早めに回り始めてよかった。

階段の頂上には「サモトラケのニケ」が。

ガイド付きツアーの日本人ガイドが、よくミケだと思っていらっしゃる方がいますが、ニケです、と説明していた。

古代ギリシャ、《解説》羽根を付けた勝利の女神は、サモトラキ島にあった、偉大なる神々の神殿に張り出していた船の船首に立っていた。この建造物は、前2世紀初頭の海戦の勝利を記念するため、ロードス島民が奉納品として献上したものと思われる。姿勢の劇的効果、動きの力強さ、力動感あふれる襞をもつヘレニズム時代のこの作品は、クラシック時代の基準と交わりながら、ペルガモンのバロック的彫刻を予兆する。

戦う戦士

古代ギリシャ、《解説》17世紀よりその名が示すイタリアのコレクションに保管されていた、ボルゲーゼの剣闘士は、実際には戦う戦士を表現したものである。木の幹にエフェソスのアガシアス、ドシテオスの息子とサインがされたこの作品は、前4世紀の偉大なるブロンズ鋳金師、リシュポスの研究を引用している。しかしながら筋肉の強調には、ペルガモンの様式の跡が見える。アガシアスは、ヘレニズム時代の悲壮感をそこに混合しながら、リシュポスの運動選手のような英雄的姿をよみがえさせる事に成功した。

いろいろな人たちの視線が微妙。

ナポレオン三世の居殿大広間(1856 - 1861)。

接客用の大広間らしいが、こんなところに通されたら誰だって平常心を失う。

《7月28日-民衆を導く自由の女神》(1830)

ウジェーヌ・ドラクロワ(シャラントン=サン=モーリス、1798年-パリ、1863年)

フランス絵画、《解説》第二王政復古の政府による憲法違反に反対した自由主義的な共和主義者が、1830年7月27日、28日、29日、すなわち「栄光の3日間」と呼ばれる期間にパリで引き起こした人民の蜂起は、フランス・ブルボン朝の最後の王シャルル10世を失脚させ、その代わりにオルレアン公ルイ・フィリップを王位に即けた。この歴史的な出来事の証人であるドラクロワは、そこに現代的な主題を見出し、それを体系的に、しかしギリシア独立戦争を描いた時と同様のロマン主義的情熱をもって、絵画化している。

《ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像》(1594年頃)

フォンテーヌブロー派

フランス絵画、《解説》 描かれているモデルは、アンリ4世(1553-1610年)の寵妃ガブリエル・デストレ(1571-1599年)と、おそらく彼女の姉妹の一人であるヴィヤール公爵夫人、もしくはバラニー元帥夫人と考えられている。ガブリエル・デストレの右の乳房をつまむ、若い女性の愛情のこもった一風変わったしぐさは、ガブリエルがアンリ4世の私生児を懐妊したことを象徴しているという解釈が度々なされている。その背景では、一人の若い女性がおそらく生まれてくる子供の産着を縫っているようで、王の寵妃が身ごもっていることの象徴という説を裏付けている。この絵はルーヴル美術館によって1937年に取得された。

この絵って、時代を考えるとすごい前衛だったんじゃないかと思う。インパクトあったんじゃないかなあ。

中庭の展示に差し込む日差しとプラミッドの格子。

歩きつかれて昼ごはんは美術館内のカフェで。

大変高かったが、おいしかった。値段は憶えていない。

ルーブル美術館に多分6時間以上いて、外にでた。チュイルリー公園(Jardin des Tuileries)内をあるいて次の目的地へ。

エッフェル塔の置物なんて誰が買うんだろうと思っていたが、これが結構売れている。キーホルダーをまとめ買いしている観光客もいたが、そんなもんもらってもなあ~。

グラン・パレ国立ギャラリー。

歩き疲れていたし、入場料も高いので、入るのをやめてプティ・パレへ。次回の楽しみにとっておこう。

プティ・パレ(Petit Palais、パリ市立美術館)。

入場無料で、印象派など、そこそこの展示をしていた。

この辺はパリでも中心部だから、警備が厳しい。中にはちょっと捕まってみたいようなお巡りさんも。

いやあ、今日はよく歩いたな~。

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2011年9月23日金曜日

オペラ座(Opera National de Paris)

<2011年9月15日>
ホテルの部屋で少しだけ休憩してから、すてきなレストランを求めて黄昏前のパリを散策。

ホテルからオペラ座Opera National de Paris)までは徒歩5分程度。

その豪華な建物、金色に輝く彫像、その他の装飾には圧倒される。その内部も大変美しいらしいが、今日はすでに見学時間を過ぎてしまっている。次回訪れる時にはぜひ中に入ってみたい。

オペラ座の屋根の上に建つ黄金色の彫像。雲一つない青空を背景に、西日に輝いて本当に豪華できらびやかだ。

白黒写真にするとその光沢が際立って見えるような気がする。

オペラ座の前の階段に座っている人たち。

パリっ子の待合わせ場所なのだろうか、それとも観光客の吹き溜まり?。

この写真は、オペラ座からオペラ通りの方を撮ったもの。オペラ通りは、オペラ座からルーブル美術館までまっすぐに伸びている。

オペラ座の東側で、偶然ヘア・スタイルのコンテストのようなイベントをやっていた。

野次馬、野次馬。

素人のヘア・スタイルを有名なヘア・デザイナーが評価するというような趣向のもののようだ。紙袋を使った奇抜なデザインなど、なかなか楽しいではないか。

かなり西に傾いた日差しが、パリの裏通りに差し込む。

お腹も空いてきたし、そろそろレストランを探して潜り込むことにしようか。

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