2011年9月24日土曜日

ルーブル(Louvre)

<2011年9月16日>
今日(土曜日)はオフで、明日の朝の便でボストンに帰る。決してパリ観光が目的ではなく、土曜日に帰る便のチケットが2倍程度したので、「仕方なく」パリで延泊することにしたのだ。

ホテル(Hotel Banke)のあるラファイエット通り(Rue la Fyette)を東に進み、ヨーロッパ最大級のラファイエット百貨店を過ぎてオペラ座に出て、オペラ通り(Av. de l'Opera)をまっすぐ下ると徒歩10分ほどでルーブル美術館に着く。

途中、オペラ通りにあるスターバックスで朝食。

ルーブル美術館への入り口間近にあるホテル・ルーブル(Hotel du Louvre)。感じもいいし、ルーブルに近いし、地下鉄の駅も近いし、値段が手ごろなら次回泊まってもいいな。

ルーブル美術館。

広大な美術館の建物群とガラスのピラミッド(出入口)。

去年の秋に来たときには、ピラミッドだけ眺めて帰ったが、やと中に入ることができる。

ルーブル美術館の作品を一々紹介しても切がないので、印象に残ったものだけ。

モナリザ。出張前に会った何人もの人たちから「あんなに小さい絵だとは思っていなかった」と言われたが、ちょうど私の思っていたサイズの絵がそこにあった。

ルーブルは、基本的には写真撮影可(多分古い作品が多くて著作権の問題がない)だが、フラッシュは禁止されている(絵を保護するため)。しかし、あまりにも多くの人がフラッシュを使うので、警備員も注意しない。大変嘆かわしい。

モナリザはガラスのケースの中にあって、生で見ることはできない。残念だが、このような状況では仕方がない。

イタリア絵画、《解説》この肖像画はおそらくフィレンツェで1503-1506年の間に制作されたものと思われる。作品はフィレンツェの織物商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像であると考えられており、苗字の女性形ジョコンダが作品の「異名」の由来であり、それをフランス語化したものが「ジョコンド」である。《ラ・ジョコンド》は、作品の依頼主には引き渡されなかったものと思われる。レオナルドは作品をフランスまで持ち運び、彼の弟子で後継者でもあったサライがイタリアに一度持ち帰っている。その後作品がどのようにしてフランソワ1世のコレクションに入ったのかは不明のままである。

ルーブルでは時々上を見上げてみた方がいい。天井自体がすばらしい芸術品。

グランド・オダリスク(1814)

ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル

フランス絵画、《解説》アングルは、夢のオリエントの世界に、ルネサンスにまで遡る長い伝統を持つ、神話世界の裸婦のテーマを移し換えている。巨匠アングルの最も有名な裸体画を注文したのは、ナポレオン1世の妹で、ナポリ王妃のカロリーヌ・ミュラだった。アングルはここで、解剖的事実を無視し、引き伸ばされ、曲がりくねった描線で裸体を描いているが、布地の質感といった細部はきわめて緻密に描写されている。この作品は、1819年のサロンに出品された際、激しい非難を浴びた。

レカミエ夫人(1800)。

ジャック=ルイ・ダヴィッド(パリ、1748年-ブリュッセル、1825年)

フランス絵画、《解説》パリのとある銀行家夫人であるジュリエット・レカミエは、当時最も知られた婦人の一人であった。ポンペイ様式の家具に囲まれて「古代風」の衣裳に身を包んだ夫人を、飾り気のない背景の中に描いたこの肖像画は、1800年において前衛的な作品であった。未完成の状態であることから(その原因は不明なのだが)、震えるようなタッチと背景の「ぼかし」に半透明色で「上塗り」が施される前の、ダヴィッドの技法を調べることができる。

ミケランジェロの囚われの身/瀕死の奴隷。

蒸し暑い夏に汗で体にへばりついた下着を脱ごうと苦労しているようにも見える。

展示の機会を待つ予備軍。

いくらでもあるぞ~って感じだね。

昼ごろになると大量の観光客が押し寄せてきた。早めに回り始めてよかった。

階段の頂上には「サモトラケのニケ」が。

ガイド付きツアーの日本人ガイドが、よくミケだと思っていらっしゃる方がいますが、ニケです、と説明していた。

古代ギリシャ、《解説》羽根を付けた勝利の女神は、サモトラキ島にあった、偉大なる神々の神殿に張り出していた船の船首に立っていた。この建造物は、前2世紀初頭の海戦の勝利を記念するため、ロードス島民が奉納品として献上したものと思われる。姿勢の劇的効果、動きの力強さ、力動感あふれる襞をもつヘレニズム時代のこの作品は、クラシック時代の基準と交わりながら、ペルガモンのバロック的彫刻を予兆する。

戦う戦士

古代ギリシャ、《解説》17世紀よりその名が示すイタリアのコレクションに保管されていた、ボルゲーゼの剣闘士は、実際には戦う戦士を表現したものである。木の幹にエフェソスのアガシアス、ドシテオスの息子とサインがされたこの作品は、前4世紀の偉大なるブロンズ鋳金師、リシュポスの研究を引用している。しかしながら筋肉の強調には、ペルガモンの様式の跡が見える。アガシアスは、ヘレニズム時代の悲壮感をそこに混合しながら、リシュポスの運動選手のような英雄的姿をよみがえさせる事に成功した。

いろいろな人たちの視線が微妙。

ナポレオン三世の居殿大広間(1856 - 1861)。

接客用の大広間らしいが、こんなところに通されたら誰だって平常心を失う。

《7月28日-民衆を導く自由の女神》(1830)

ウジェーヌ・ドラクロワ(シャラントン=サン=モーリス、1798年-パリ、1863年)

フランス絵画、《解説》第二王政復古の政府による憲法違反に反対した自由主義的な共和主義者が、1830年7月27日、28日、29日、すなわち「栄光の3日間」と呼ばれる期間にパリで引き起こした人民の蜂起は、フランス・ブルボン朝の最後の王シャルル10世を失脚させ、その代わりにオルレアン公ルイ・フィリップを王位に即けた。この歴史的な出来事の証人であるドラクロワは、そこに現代的な主題を見出し、それを体系的に、しかしギリシア独立戦争を描いた時と同様のロマン主義的情熱をもって、絵画化している。

《ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像》(1594年頃)

フォンテーヌブロー派

フランス絵画、《解説》 描かれているモデルは、アンリ4世(1553-1610年)の寵妃ガブリエル・デストレ(1571-1599年)と、おそらく彼女の姉妹の一人であるヴィヤール公爵夫人、もしくはバラニー元帥夫人と考えられている。ガブリエル・デストレの右の乳房をつまむ、若い女性の愛情のこもった一風変わったしぐさは、ガブリエルがアンリ4世の私生児を懐妊したことを象徴しているという解釈が度々なされている。その背景では、一人の若い女性がおそらく生まれてくる子供の産着を縫っているようで、王の寵妃が身ごもっていることの象徴という説を裏付けている。この絵はルーヴル美術館によって1937年に取得された。

この絵って、時代を考えるとすごい前衛だったんじゃないかと思う。インパクトあったんじゃないかなあ。

中庭の展示に差し込む日差しとプラミッドの格子。

歩きつかれて昼ごはんは美術館内のカフェで。

大変高かったが、おいしかった。値段は憶えていない。

ルーブル美術館に多分6時間以上いて、外にでた。チュイルリー公園(Jardin des Tuileries)内をあるいて次の目的地へ。

エッフェル塔の置物なんて誰が買うんだろうと思っていたが、これが結構売れている。キーホルダーをまとめ買いしている観光客もいたが、そんなもんもらってもなあ~。

グラン・パレ国立ギャラリー。

歩き疲れていたし、入場料も高いので、入るのをやめてプティ・パレへ。次回の楽しみにとっておこう。

プティ・パレ(Petit Palais、パリ市立美術館)。

入場無料で、印象派など、そこそこの展示をしていた。

この辺はパリでも中心部だから、警備が厳しい。中にはちょっと捕まってみたいようなお巡りさんも。

いやあ、今日はよく歩いたな~。

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