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1997年1月18日土曜日

Save the Coast / Dolphin Project / The Sea of Japan "Nakhodka" Oil Spill Voluntary Act

[Japanese | English]
For Beloved Friends,

I drove my car from Osaka toward Mikuni-cho, Fukui-pref., Japan, to join the volunteer act against the "Nakhodka" Oil Spill Accident at the Sea of Japan. It was almost three days after the accident, and I could spend only two days (January 16 - 17, 1997) using my compensatory days off.

After arriving at the coast, the first thing I saw was the tanker Nakhodka showing its capsized rusty hull on the water. Although the state of the coast (Echizen Coast) was what TV had been reporting, the bows of Nakhodka was terribly mammoth and deadly near from the coast. The sight made me feel that my most precious thing had been broken by someone's carelessness. An accident indeed, but how can it be restored? These thoughts petrified me on the cold coast blackened by the heavy oil.

With full protection against heavy oil, I visited volunteer office at 7:30 A.M. on January 16. After registration, they asked me to go to Echizen-Matsushima Aquarium. Aquarium? I could not understand why I had to go there until being explained at the place. In short, because the dolphin pool was supplied with water directly from the Sea of Japan, small oil balls could come into the pool to form the oil film which gave strong damage to those dolphins. The water was transported from the deep place of the sea, so the oil balls were not big, only 1 - 3 mm in diameter. The continuous intrusion of small but an enormous number of oil balls could form rainbow-colored oil film. This noticed me that all living things were faced with the same situation under the sea. Because a seven month old baby dolphin was there, aquarium staffs were cautious about their transportation but the situation itself decided the stuffs to move them to Suma Aquarium, KOBE, on January 17 - 18. Thus, the volunteer work was to maintain the water condition for the dolphins' convenience until their departure to KOBE, the former disaster place in 1995.

We used oil absorption sheets (80x80 cm) attached to the tee sticks (90 and 200 cm) with clothes-pins. No less than ten volunteers were always walking around the pool side constantly for 24 hours to wipe out the oil film. We could not stop this job because new oil balls were always coming in with fresh water indispensable to dolphins. I did it from 8:00 - 20:00 on 16th and 8:00 - 12:30 on 17th. It was not an easy work to keep on walking just like Zen Meditation.

Fortunately, dolphins were there close to me! I could play with them during a short recess. Thus, I was probably happier than most volunteers struggled against the heavy oil itself at the shore. During my hard meditation, I imagined that dolphins made a big jump over the bar which sometimes I had to reach out to wipe the distant oil balls, but they didn't.

I knew that the key word of this accident or disaster was "ENVIRONMENT," different from that of KOBE Earthquake Disaster. But I could not think of the need of such voluntary acts for dolphins until I actually go there, even if I also knew that dolphins were there because I had visited Echizen-Matsushima Aquarium with my children a few years ago and we had enjoyed their fantastic show. Lack of Imagination! ENVIRONMENT is important. OK. For many people, however, the sea is equal to the food and scenery. It is really difficult to imagine that so many living things, not only cute dolphins but also sea urchins, abalones (we eat them in Japan), ... , and us human beings, absolutely depend on the same sea, the same harmonized ENVIRONMENT. In the daily life, everything seems to be controlled for our better life. We should understand, however, that it does not mean we can manipulate the delicate balance or harmony of nature. I hope we are not so satisfied and insensitive to know that.

I felt the same thing when we experienced the KOBE Earthquake Disaster. So many things and so precious things should be sacrificed only to let us know something important. Nevertheless, it gradually wane in our daily life.

Dolphins reminded me something important again. They gave a chance to start something, at least for me!

I appreciate the help and realization of my friends and family for my volunteer act.

重油除去ボランティア - 越前松島水族館/福井県三国町

[Japanese | English]
For Beloved Friends,

1997年1月16・17日の両日、代休を利用して重油除去ボランティア活動に参加してきた。

海岸線の様子はテレビ報道の通りだったが、ナホトカ号の船首部は、映像で見るよりも遥かに巨大で、海岸からすぐ近くに錆色の船体を横たえていた。大切にしていたものを不注意で壊されてしまったような感じだろうか。事故とはいえ、重油で真っ黒になった浜を目の前にして、どうやって元に戻せるのか、しばし立ちつくしてしまった。

さて、完全防備に身を固め、16日の7時半頃ボランティア本部で登録を済ませると越前松島水族館に行ってほしいとの要請があった。水族館?と思ったのだが、現地へ行って説明を聞いてようやく理解できた。つまり、水族館のイルカのプールは、海から直接海水を汲み入れているため、表面に油が浮き、イルカに重大な影響を与えているというわけだ。もちろん、少し沖の海底から取水しているから重油の塊が流入するわけではなく、1~数ミリ大の小さなオイルボールが絶え間なく入ってきて、表面で虹色の油膜を作るのだ(海の中も同じ状態だということ)。生後7ヶ月の子イルカがいるため、移動には慎重だったようだが、17・18日に須磨水族館などへの移送が決定され、それまでの間、少しでも快適な環境をイルカに提供しようというわけだ。

作業は、2mほどの木の棒に90cmほどの横木をT字型に固定し、これに約80cm四方の油吸着シートを洗濯挟みで取り付けたものを使って、常時約10人ほどが24時間体制でひたすら表面の油を取り続けるというもの(交替要員を含めると1日20人以上が参加)。私は、16日は8時~20時、17日は8時~12時半参加したが、まるで禅の修行のようにひたすらプールの周囲を歩き続けるのは結構こたえた(19日現在もあちこちが筋肉痛)。

ただ、間近にイルカたちがいて、時々は彼らと遊ぶことができたから、海岸でドロドロになって重油と格闘した人達に比べれば慰めは多かっただろう(日頃の行いにはやはり気を付けなければ!)。ちょっと遠くの油を取るためには、棒をぐんと延ばさなくてはならないのだが、そんなとき、ひょっとしてイルカがジャンプしてこの棒を飛び越えるのでは?という幻想にとらわれたのだが、残念ながらドラマは起きなかった。

今回の災害は、神戸のときとは違って、最後は「環境」がキーワードではないかと思っていた。そんな私も、しかも数年前に子供とショーを見た越前松島水族館にイルカがいることを知っていた私も、このような作業の必要性には行ってみるまで気が付かなかった。やっぱり、想像力の欠如だろう。「環境」と言いつつ、やはり海の幸(食べ物)や景観でしかイメージできない。海という調和のとれた環境に全面的に依存している生き物がいる。もちろんかわいいイルカだけではなく、主に海の幸であるウニやアワビもその一員。そしてもう少し輪を広げれば、我々もその一員なわけだが、普段豊かな生活に首まで浸かっている私たちには、確かにすべてが自分たちのいいようにコントロールできているように見えるから、繊細な調和とかバランスということに鈍感になっているのも無理はないのかもしれない。

神戸の時も思ったのだが、私たちが何か大切なことに気づくためにはあまりにも大きな犠牲を必要とする。それなのに、印象は日常の中で徐々に薄らいでいく。それは、確かに現実なのだが、何とかしなければね...

今回、イルカたちの存在は、少なくとも私に、再び大切なことを思い出させてくれた。

様々の形で今回のボランティア活動を支援してくれた友人と家族に感謝する。

1995年6月12日月曜日

Buddy in New York

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
当時私は日本の製薬会社に勤務し、その会社の企業内労働組合(組合員1300人)の非専従(仕事と兼任)の中央執行委員長をしていた。

連合が『ゆとり・ゆたかさ』を目標に掲げる中、医薬品産業に働くものが直接それを追求することには疑問を感じた。コミュニティという概念やお互いに助け合う構図の中で何か新しい切り口は見つけられないものかと考え、1994年7月4日~16日『AIDSボランティア』に焦点を当ててアメリカを訪れた。この記事は、その翌年、1995年6月、今度は『バディ』というAIDSボランティアの日本人女性とAIDS患者に焦点を当ててニューヨークを訪れた。

各記事は右のメニューから選択。

Buddy in New York - はじめに

◇はじめに

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
私たちは、昨年(94年)の夏、HIV/AIDS に関与するボランティア関連施設・組織、医療・研究機関、政府機関、企業・労働組合などアメリカ東部の約20ヶ所を訪問し、『コミュニティ』の存在の重みとその中でのエイズ・サポートの実態を見聞した。その成果は《AIDSボランティア訪米報告》にまとめた通りであり、『バディ』に関する今回の訪米の基盤を成すものであり、阪神・淡路大震災に対する支援活動・募金活動の試行錯誤の中で、その重要性を改めて認識させられた内容でもある。

しかし、ボランティアとコミュニティに関連して、一つ大きな疑問が残った。コミュニティの中での相互扶助の構図は、あくまでもコミュニティに視点をおかなければバランスがとれない。では、一人一人の人間に視点を移したとき、人はどう人をささえ、人はそのささえをどう受け容れることができるのだろうか?

つまり、あるサイズのコミュニティを想定すれば、ギブ・アンド・テイクの主体やその時期は大きな問題ではなくなり、確かにコミュニティ・レベルで常に収支が合うことになる。しかし、コミュニティの合理性だけで人間は行動できるものだろうか? ギブ・アンド・テイクの主体はあくまでも個人なのだから、個人レベルで精神的なバランスをとるためのメカニズムが『ギブ』と『テイク』の双方に何か存在するのではないだろうか?

そんなことを考えていたとき、ニューヨークで『バディ』というエイズのボランティアをされている日本人の女性がいるという話を聞いた。『バディ』は、相棒とか親友という意味の言葉で、HIV 感染者/AIDS 患者との安定した人間関係を基盤として精神的なサポートを行うマン・ツー・マンのボランティアだ。形態としては最もシンプルだが、人と人との関係として、きわめて奥の深いボランティアではないだろうか。

何かキッカケがつかめるかもしれない。彼女とどうしても話がしたくて、再びニューヨークを訪れた。ニューヨークへ向かう飛行機の中、機内放送のチャンネル6、イヤホーンから聞こえてきたのは期せずしてジョン・レノンの『イマジン』だった。偶然にしては奇遇過ぎないか?

SIDE A は、ニューヨークで『バディ』のボランティアをされている松本さんとのインタビューを記録したものであり、SIDE B は、松本さんがサポートしているジョニーの家を訪れたときの記録だ。松本さんとジョニーの話を聞くうちに、『バディ』が、ささえ・ささえられるという単純な構図では理解できないことが次第に明らかになっていった....。

《SIDE A》
◇松本みどりさん(33)、ニューヨークでマスコミ関係に勤務する傍ら、積極的にボランティア活動に参加。
◇1995年6月4日(午後)、ブルックリン、ニューヨーク

《SIDE B》
◇松本みどりさん(33)
◇ジョニー(27)、松本さんのクライアント。中国系アメリカ人。免疫機能の低下によりサイトメガロウイルスに感染、視力が極度に低下している。
◇ジャズミン(18)、ジョニーの姪。ごく自然にジョニーをささえている。
◇1995年6月11日(午後)、◇コニーアイランド、ニューヨーク

Buddy in New York - バディってなに?

◇1:1のAIDSボランティア ❒ バディってなに?

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
今日のお話は、どんな形になるかは分かりませんが、できれば活字にして紹介したいと思ってるんです。
 バディってなに?って話、まとまったものは本当にないですから。

みどり:ええ、でも定義付けって難しいですよね。私もなに?って聞かれると困っちゃう。

バディって「こういうものです」というよりも、読んでいるうちに「あ、こういうことなの」っていうのが捉えられたらいいと思うんです。

みどり:バディの中身は、クライアント(※1)との関係によってそれぞれ違ってくると思うんです。
 でも、基本的には、ま、「友人」なんですよね。
 例えばAPICHA(※2)のような支援団体がありますが、団体として、あるいは仕事としてやる分にはやっぱり限界があるし、越えちゃいけない一線っていうのも当然あるわけです。ソーシャル・ワーカーにしたってそうです。その越えられない、越えたところの部分をバディがサポートする、っていう感じだと思うんです。
 ※1 この場合、バディの相手、つまりサポートの対象であるHIV感染者/AIDS患者のこと。
 ※2 Asian & Pacific Islander Coalition on HIV/AIDS, Inc.。アジア・太平洋諸島系に特化したHIV/AIDS支援団体。アピチャあるいはアパチャと発音されている。

関係としては個人が強いですか? 組織というよりは....。

みどり:ええ、個人の関係だと思います。
 もちろん、個人(ボランティア)と組織があって、クライアントがいて組織があって、そしてバディ・プログラムがあって....。組織は仲介役的なところはあると思います。

現実には、例えば週に何回とか?

みどり:何も決められてないんですけど、確か週に3時間以上はやるなって最初のときに言われました。

やるな?

みどり:ええ、要するに無理があってはいけないっていうことなんです。

それは、例えば松本さん側に無理があっちゃいけないということですか?

みどり:はい。

3時間ね。それは意外だったな。

みどり:越えないようにって。でも、越えてますけど....。

越えちゃいますよね?、結局。

みどり:越えますね。

長期不在するときなんかは、代わりに誰かが行くということですか?

みどり:そういう場合もありますし、クライアントの状態によっては APICHA のクライアント担当の人がそのまま面倒をみるということもあります。でも、もちろんバディのような密接な関係というのはなかなか難しいですよね。
 バディのリクアイアメント(APICHAの要請)は1ヶ月に6時間から8時間。それが最低限です。
 もう一つのリクアイアメントは、1ヶ月に1回、バディのサポート・ミーティングというのがあるんです。それが、だいたい1時間くらい。あとは、1ヶ月に1回、状況をレポートするんですけれども、(サンプルを見せながら)それがこういう感じで....。

随分長いものですね。この方(クライアント)とはいつ頃から?

みどり:ええと、去年の3月。
 まあ、入院してたりすると書くこと多くなりますし、状況が変わったりなんかすると....。最近ちょっと多いですね。先月22時間、4月も22時間、3月23時間。
 ただ、私の場合には、彼、住んでるところが遠いんで、家を出たときからの時間で計算するんですよね。要するに、ボランティアの時間はそういった移動の時間も含めたものっていうことで....。そういうのが含まれるんで、1回往復すると結構な時間になっちゃうんです。
 最近は、向こうの家に行くと(歓待されて)フォアグラ状態にされるんで、食べてる時間も長いんですよ<笑い>。

電話も20回ということですか?

みどり:ほとんど1日おきくらいにはしてますね。
 あと、一応日誌みたいのをつけてるんです。真面目に書くときもありますし、電車の中で書いたりすることもありますけど....。これをベースにして毎月のレポートを書いてます。

普通の話をするんですか?

みどり:そうですね、だいたい「どう?」っていうことから入って、普通の時には「うん別に」って。
 ジョニーはね、あんまり自分から話すタイプじゃないんです。だから、ただ「どう?」って聞くと、「I'm OK.」って、こういう答が返ってくるんですよ。それで、状況を知ってれば、「頭痛はどう?」とか「咳はまだ出てる?」とか、そういうところから始めると少しずつ話してくれるんですけれども....。
 まあ、そういうからだの状態のチェックをして、落ち込んでたりなんかする時には「なんで?」とか、家族のこととかも結構話したりします。もちろん普通の、「私は何をしてたか」とか、仕事の話なんかもしますし、出張のあとだったら、「どこ行ってたの?」とか「どういう会社に行ったの?」とか....。
 彼が最近一番最後に言うのは「Don't work too hard.」って。「あんまり働き過ぎちゃダメだよ」って、いつも言われるんです。

逆に気をつかわれてたりして....。

みどり:私のやり方は、私もオープンにしちゃうんですよ。自分のことも、それから会社の愚痴もたまに言います。例えば、何か悔しいことがあったりすると、そういった話もしますし、どこまで面白いのか分からないですけど、でも私も丸裸になることによって向こうも安心感が出るというか、同じ関係になれる。あくまでも私が上にいて、向こうが下とか、そういう関係じゃないんだっていう....。

バディの関係ができると、それは1対1なんですか?
クライアントを2人持つとか....?

みどり:そういう人もいます。でも、それは、クライアントのからだの状態にもよりますし、バディのスケジュールにもよりますよね。
 私は、APICHA の中でバディを始めた一番最初の人間なんです。最初3人で始まったんですよね。で、一人はわりと若い女の子だったんですけど、彼女にはちょっと荷が重すぎたみたいで、すぐやめちゃったんです。
 もう一人の人は2人クライアント持ってました。彼女は看護婦さんだったんです。もともとプロフェッショナルな人なんですけど、クライアントの一人がわりと状態も安定してて、まだそんなにからだにも症状が出てない....。しかもマンハッタンのずっと上の方に住んでたんで、電話でのやり取りだけっていうのは聞きました。だから二人いてもできたのかもしれませんね。

クライアントから見た場合、バディは一人なんですか?

みどり:それはよく分からないですね。でも、今まではバディの数が不足してて....。ただ、こういうケースはあります。
 APICHA では感染者/患者さんたちのミーティングが月に2回あるんですけど、その中でもお友だちできますよね。で、こうこうこういう人がいてどうのこうのっていう話も出てくるんですけど、たまたま私のクライアントが入院しているときにそのうちの一人がお見舞いに来てたんです。で、「みどりでしょ? ジョニーのバディだよね。誰々知ってる?」って言われて、私はたまたま知ってたんで「ええ、知ってる」って言ったら、「彼、ぼくのバディなんだ」って....。そこで初めてお互いのバディの関係がオープンになって、今はお互いにお互いのこと話しますし、「彼はどうしてる?」とか電話がかかってきたり、向こうも私の話とかしてるみたいですし....。
 で、その友だちの方のバディがしばらくインドに帰ってた時期があったんです。そのときに、その子のからだの状態がよくなくなって、すごく落ち込んでるって話をジョニーから、私のクライアントから聞いたんです。で、「APICHAには電話したの?」ってジョニーに聞いたらなんか電話してないみたいだし、「私と話したいようだったら電話くれるように言って」って電話番号あげて....。そしたら「自殺したい」って電話がかかってきたんです。こりゃ困ったなと思って、本当は APICHA 通した方がいいのかなとも思ったんですけど、でもいいや、これはもう個人的な、友人としての関係でやっちゃおって。で、「とにかく明日行くから、それまで待って」って言って、翌日訪ねて....。
 そういうことはしてますね。個人的な判断のもとに友だちとしてたまに電話で話したりとか、それはもう、私は個人ベースだと思います。
 でも、そういう自然な流れ以外のときには、コンフィデンシャリティ、要するに秘守の義務が非常に大事ですから、クライアントのことは話しません。

松本さんのクライアントの方も患者さん方のミーティングには出てらっしゃるんですか?

みどり:ええ、出てます。
 しばらく出てなかったんですけど、最近はわりと出てますね。

ミーティングではどういうことが?

みどり:それこそ自分の気持ちを話したり、症状のことを話したり、あるいは薬のことについても話してるみたいです。こういう薬は効いてるとか、ぼくは、あるいは私は西洋医学には頼らないんだ、漢方でいくんだっていう人もいるみたいです。あと例えば、こういった症状が出たときにはこんな気持ちだった、だけどこういうふうにしてなんとか克服したとか....。

特に議題を設定してという堅苦しいミーティングではなくて....。

みどり:私、出席したことないんです。
 それは、あくまでもクライアント同士のミーティングなんです。一人だけコーディネータがつくんですけど、その人はソーシャル・ワーカーで、プロなんです。

それにはバディは参加しない?

みどり:参加しません。それは、彼らが彼らの間だけで話すことなんで....。
 逆に、バディのサポート・ミーティングにはクライアントは参加しません。

Buddy in New York - 社会の枠組みの隙間

◇1:1のAIDSボランティア ❒ 社会の枠組みの隙間

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
いろんな角度からそういう支援の手というか、つながりがあるわけですね。

みどり:その辺は、昨年もいろいろ見てらしてご存知だと思うんですけど(※1)、例えば APICHA のような支援団体があって、その中にクライアントのサポート・グループやバディ・プログラムがあって、あとこういう団体の他に、病院のソーシャル・ワーカーが入ったり、メディケード(※2)ならメディケードが認められればさらに自宅看護がつくんです。
 それから、私のクライアントの場合には、目が見えなくなったので、目の見えない人用の団体でソーシャル・ワーカーが一人ついてて、精神科医のカウンセラーもついてます。
 ※1 昨年(1994年)アメリカ東部の20箇所を訪問し、HIV/AIDS に関するサポートの実態を調査した(AIDSボランティア訪米報告)。
 ※2 低所得者を保護するための保健制度。

その辺と、バディの違い?
 多分それでは足りないからできてきたんだろうと思うんですけど....。

みどり:あくまでも病院だとか他の支援団体っていうのは社会の枠組みの中ですよね。だから、どっちかっていうと表の部分、オフィシャルな部分になるわけで....。その人たちは仕事ですから、やっぱり越えちゃいけない一線ってのを守らなきゃならないと思うんです。じゃないと、いくつからだがあっても足りないですし....。だから、そういう社会の枠組みの隙間を埋めるのがバディなのかもしれませんね。
 で、じゃ家族との違いは何なんだろう?と思ったときに、こちらは移民の人、アジア系で家族のいない人ももちろん多いんですけれども、例えばジョニーの場合には家族がいるんです。でも、家族では話せないっていうこともあるんですよね。
 それから、じゃ昔からの友人とじゃどう違うのか?って言ったときに、もちろん親しい友人には話せたりするのかもしれませんけど、必ずしもその友人が、エイズという特殊な問題、社会的あるいは医学的な問題に理解があるかっていうと、それは分からないですよね。
 そういったところで、バディはそこに焦点を当てた関係になってる。
 私がこのバディを始めたとき、私のクライアントはあんまり話したがらなかったんです。もちろん、なんらかのサポートがほしいから APICHA に連絡を取って、こうしたプログラムにも入ったわけなんですけど、自分の中で消化しきれないうちに、「こういうサービスがあるけどどうか」、「こういうのもあるけどどうか」って言われて、なんとなく「それじゃ」みたいな感じで....。そして、なんで自分にバディが必要なのかよく分からないまま私がついて、もちろん私も初めての経験ですから、ジョニーが何を求めてるかも分からないし、最初はとにかく話したがらなかった....。
 「友だちでいてほしい」って言われたんです。で、「分かった」って言いつつ、どうしてもからだの状態だとか、あるいは、例えばお医者さんのアポ(予約)、他のサービス関係のアポとかのことに触れないわけにはいかない。でも、触れるとすぐ会話を外らしたがる、ってのがすごく分かったんです。話したくないのかなって思って聞いたことがあるんですけど、「病気のことは考えたくない」って....。
 あまりにも一度にいろんなサービスに入ってしまったもので、みんなから「ああやれ、こうやれ」って言われてるみたいで、すべてが嫌になっちゃった時期があったんですよね。だから、せっかくカウンセラーがついてもカウンセリングに行きたくない、すっぽかしちゃう。お医者さんだけは、月に1回、それは行ってましたけど....。APICHA のミーティングにも、行くって言っておきながら直前になってやめたり、全部シャットアウトしてしまう。で、さらに私に「どうして行かないの?」なんて言われると、もうなんか放っといてくれっていうような、そういう時期があったんです。
 どうしたらいいのかなあって、そのときは随分迷いましたね。本当にただの友人関係でいいのか、それともやっぱり違う関係を築いていかなきゃいけないのか....。

そういうケースに直面して、クライアントがどうしても合わなくて、やめられるケースもあるんでしょうね。

みどり:あるっていうの聞きますね。それは構わないんだと思いますけど....。

合わないと意味ないですよね。

みどり:それはAPICHAからもはっきり....。

コーディネータみたいな人が多少の相性は見るんでしょう?

みどり:当然それは見ます。APICHA のクライアント・サービスの人は、クライアントも知ってますし、バディの候補者も知ってるわけです。一応性格の合いそうな人間を会わせて、でも合わなかったら正直に言ってくれって、そのときは考える....。多分両方に聞いてるはずですよ、クライアントの方にもね。
 でも、少なくとも合わないとき以外は6ヶ月はコミットしてくれって言われました。ころころ変わるとどちらも落ち着かないですし、やっぱりこういう関係というのはとても時間がかかりますから....。

松本さんもそういう時期を経験されて、それを乗り越えてやっていらっしゃるわけですね?

みどり:APICHAのクライアント・サービスの人に相談したこともありますし、ジョニーと一緒に訪ねて行ったこともあるんですよ。「APICHAのサービスは受けたくないの?」って面と向かって聞いたこともあります。

友だちとして話をするということ以外に、例えばジョニーの場合には家族がいますが、それがいなくて生活がしんどくなってきたっていうケースもありますか?

みどり:いわゆる身のまわりの世話ですか?

そうですね。

みどり:身のまわりの世話は基本的に訪問看護制度があるんで、それは市の派遣になります。からだの状態によりますが、普通は1日8時間。そんなに問題のない場合は、2時間くらいの人もいるのかな....。
 ジョニーは1日8時間来てもらってます。洗濯や買い物をしてもらったりとか、出かけるときにちょっとついてきてもらったりとか。彼は目が見えませんから....。

それは....。

みどり:それは、やっぱりプロフェッショナルじゃないとできないと思うんですよ。ボランティアでできることじゃないですね。
 日本の場合には、おそらくそれが家族の肩にすべて降りかかってきちゃうんでしょうけれども....。

入院するんじゃないですか?
 つきっきりの看病というのは、できる家ばかりじゃないですから....。

みどり:家族だと当然わがままも出てきますし、私はそういうプロフェッショナルの制度っていいと思いますよ。

今ちょうど厚生省が始めてますね。
 それが日本でできるのかどうかちょっと分からないですけど....。

みどり:日本の場合には、家族が他人を入れたがらないっていうのがありますよね。

特にエイズだったらね。日本でそういうのが成り立つとはちょっと思えないですね、今の状況だったら....。

みどり:ええ....。

その在宅ケアする人なんかは、エイズということは知りながら....?

みどり:もちろん知ってます。病院にだって一緒に行きますし....。

そういう方のエデュケーションについても十分なことがされているからこそ、ためらいなくできるということなんでしょうね。
 そういう広がりというのはすごいですね。

みどり:本当にすごいと思います。
 ですから、こちらにたまたま来てて感染してしまった人の中には、そういうケアが自分の国では受けられないから帰りたくないって人もいますよね。こちらの方が十分にケアできる。家族に負担をかけなくて済む....。向こうはプロですから、お金もらってやってるわけですから、そりゃやりますよね。
 どんなことしたって、同じ注射針を共用してドラッグ打つとか、あるいは無防備なセックスをするとか、そういうことがない限りは感染しないわけですからね。あるいは、取っ組み合いの、殴り合いの喧嘩して、お互いに血だらけになるとか....。
 ねえ、あり得ないですよね、そんなこと。

Buddy in New York - 笑顔が見たい

◇1:1のAIDSボランティア ❒ 笑顔が見たい

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
バディをやろうっていう一番最初の動機というか、それに類似したことを何かやってこられてた?、それとも急に....?

みどり:考えてみれば、ずっとつながりはあったと思うんです....。例えば、小学校のころは看護婦になりたかったんですけど、絶対人に注射はできないと思ったから諦めたとか。医者も同じ理由で諦めたとか、そういう経緯はあって....。で、心理学を専攻したのも、きっと何かあったんでしょうね。
 エイズのことって私も本当に知らなかったんです。日本にいたとき、ちょうど騒がれ始めたころですけれども、なんでこんなことで騒ぐんだろう?、ただの病気の一つに過ぎないんじゃないか?と思ったくらいで、あんまり差別とかと深く結び付けて考えてなかったんですよね。みんなが面白おかしく、また何か騒いでるなって思ったくらいで....。
 こういったエイズの活動に関わるようになったキッカケは、ニューヨークに来て2年目くらいのときですか、「職場とエイズ」というテーマで取材してくれって頼まれて、それで行ったのが HBO(※1)だったんです。HBO とかワシントンのエイズ・リーダーシップ協議会ですか、それから赤十字、ちょうどビデオを出したところで、その発表会だとか、そういうの取材して、初めて「あ、これって社会問題なんだ」っていうことに気がついたんです。
 HBO で、初めて患者さんにインタビューするかって言われて....。きっとインタビューなんかも応じてくれないだろうと思ってたし、無理してやる必要もないと思ってたんで、申し込みもしなかったんです。でも、向こうから「話聞くか?」って言うから、「じゃあ」って聞いたらば、会社では何も問題ないって、よくそういう話はあるけれど、HBOは環境をうまく作ってくれて、例えば病院に入院すればみんながお見舞いにごはん持ってきてくれるとか....。
 これも話すと長くなっちゃうんですけど、私は日本の国を出たり入ったりしてたんですよ。最初こちらで生まれて、日本に帰って、今から考えるとそれなりに葛藤があって。小学校6年のときから中2までドイツにいて、帰ってきたところでまたいろいろ葛藤があって。今度は、社会に出てから女性として、普通の一個の人間として生きていけると思ってたのに、すごい大きな壁にぶち当たっちゃって、かなり精神的にまいったりなんかした時期があったもんで....。もともと、差別とか敏感に反応する方だったのかもしれませんね。
 その後、こちらの大学院に入って、「マスメディアとマイノリティ/ステレオタイプ」というテーマをやってましたから、おそらくそういうところからも社会問題としてのエイズというものに自然と興味を持つようになったんでしょうね。
 ※1 Home Box Office。会社ぐるみで HIV 感染者/AIDS 患者をサポートしているニューヨークのケーブル・テレビ局。

結果的にバディのボランティアをやる直接のキッカケというのは?

みどり: ACT UP(※1)ってありますよね、あそこのミーティングに行くようになって。エイズのこと、ちょっと知りたいと思ったもんで....。ただ、ACT UP の中ではあんまり馴染めなかったんです。やり方の違いだと思うんですけど、あんまり大声出してっていうのが性に合わなかったのと、あそこは、やっぱり白人ゲイ男性のグループなんですよね。その中で、私はマイノリティの中のマイノリティもいいとこだったんです。まず、ゲイじゃない、いわゆるストレート(※2)。しかも、アジア系。レズビアンの人たちもいましたけれども、女性は少ない。何人か友人はできたんですけど、結局は入って行けませんでした。
 そうこうしているうちに、誰かに APICHA ってグループ知ってるか?って聞かれて、コンタクト取ったのが最初なんです。それが2年くらい前ですか。2年半くらいになるかな。
 で、何回かボランティアのトレーニング受けて、徐々に、どこかでお祭があるときに一緒にブロウシャ(※3)配ったりだとか、ブロウシャ折るの手伝ったりとか、そういうところから始めて、バディのプログラムを確立するからトレーニングに出ないかって言われて、トレーニングに出て、で、やってみるか?って言われて....。
 最初ちょっと迷ったんです、実は。仕事の関係上あまり時間が取れないかな、取れないとあまりにも無責任かなと思って。でも、取りあえずやってみよう、ダメだったらダメでそのとき考えればいいやと思って、やってみたのがバディを始めた直接のキッカケですね。
 ※1 AIDS Coalition To Unleash Power。最もラジカルなエイズ活動家グループの一つ。
 ※2 異性愛。ゲイは同性愛(レズビアンを含む)。バイセクシャルは両性愛。
 ※3 教育や啓蒙に使うパンフレット。1枚の紙を折りたたんで細長い形にしたものが一般的。

なるほど。

みどり:で、なんでバディをやるのかなあ?、なんとなく APICHA から言われてってところはもちろんあるんですけれども、断ることだってできたわけですよね。なんでそれを受け入れたのかなと思って考えると....。
 基本的には「相手の笑顔が見たい」かな。見たいなあ。
 わりとまわりを気にする人間なんですよ、私。だから、相手が落ち込んでると自分も落ち込んじゃうし、相手が嬉しいと自分もわけもなく嬉しくなっちゃう。相手がニコッとしてくれる、電話したときに声がはずむっていうのがとっても嬉しいんです。
 単純なんですよ<笑い>。

最近の日本の風潮だと、そういう自然な興味から入っていくというよりも、ボランティアをするがために何かしたいっていう感じが強く出てますね。

みどり:いま確かに、みなさん何か求めてるんだと思うんです。毎日毎日、いわゆる日本全体が企業社会みたいになっちゃって、時間に追われて、会社のために生きてるみたいな中で、フッと振り返って、自分の人生って一体何なんだろう?、何のために生きてるんだろう?と思ったときに、人間ってやっぱり、お互いに頼って生きていたい動物ですよね。虚しくなって、何かできないかなって....。ちょうどそのころに阪神大震災があって、で、「何かできるかもしれない」って。
 だから、時期的には非常にいい時期なのかもしれない。もう一度見直して....。

なんとか、そうしないと....。エイズのこともあり、阪神大震災も大きな犠牲をともなってますからね。
 しかし、我々の目から見ると、松本さんのお話にはすごく「自然な流れ」があるじゃないですか。そういう流れの中でボランティアができていくっていうのは日本では難しいと思うんですよね、おそらく。

みどり:一番気をつけなきゃいけないのは、押し付けボランティアになってしまう可能性でしょうね。
 例えばエイズの話に限るならば、それがクライアントさがしにつながっちゃう。
 クライアントを持ってるのが、なんか自分の優越感になってしまう、っていうこともあり得ないことではないでしょうね。

先日、あるドクターを訪ねて、我々もこういう活動を始めてるから、何かお手伝いできることないでしょうかって話してたら、やっぱりいま言ってた患者さんさがしでもないですけど、その地域にいくつかある団体がそれぞれのポリシーで患者さんを祭り上げちゃってて、今からとても入れる余地がない。彼らは離さないって言われました。結局、患者さんもボランティアも疲れ果てちゃって、お互いに気をつかって....。
 日本はまだ患者さんも少ないですから、エイズのボランティアやっても直接報われないわけでしょ? そうすると患者さんとコンタクトしているところは、そこでクローズしちゃって、「誰にも教えない」みたいな感じで....。

みどり:ボランティアの中で優劣ができちゃうとよくないですよね。このボランティアの方が「格が上」みたいな....。
 全部同じなんですよね。例えば、こういったブロウシャを折るのだってすごく大事なことなんです。誰かがやらなきゃいけない。それは決して、例えばバディ・プログラムより劣るものでは絶対にないんです。コンドームを包むにしたって(※1)、誰かがやらなきゃならない。
 それぞれ向き不向きがあると思うんですよ。その向き不向きを自分の中でよく吟味しないと、きっとどこかで無理が出てきちゃいますし....。
 ※1 人の集まる街頭などでブロウシャやコンドームを配るストリート・アウトリーチは、HIV/AIDS 支援団体の啓蒙活動として最も一般的なもの。APICHA では、和紙や中国製の紙でコンドームを包んで特色を出そうとしている。

Buddy in New York - 想像力の問題

◇1:1のAIDSボランティア ❒ 想像力の問題

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
心理学を専攻されたっていうのは、やっぱり役に立ってる?

みどり:いやあ、私の心理学は行動心理学でしたから、それこそ実験ばかりで、実際の面ではなかなか....。
 難しいんですよ、バディのトレーニングも APICHA で2回くらいあったんですけど、そんなもの1回や2回じゃとても無理だし、一番難しいのは話の聞き方だと思います。

聞き上手でないとね。

みどり:相手がこうモヤモヤしているものを、どう出させるかっていう、それってすごく難しいんです。下手をすればこっちの押し付けになっちゃうし、ジャッジメントを下すことになっちゃう....。
 そういうの一応「アクティブ・リスニング」っていうんですけれども、ただ聞くだけじゃないんですよね。向こうに、本当に親身になって聞いてるよ、本当に気にかけて聞いてるよっていう意思表示をすると同時に、モヤモヤしているものが、相手が自分で話すことによってだんだんクリアになっていくような聞き方っていうんですか。

そのトレーニングは何時間ぐらい?

みどり:ほぼ丸一日のものが2回ぐらい。それプラス、その前に、一般的なボランティアのトレーニングをやっぱり2回ぐらいやるのかな。

習ったものを使えばできるってもんじゃないですよね?、きっと....。

みどり:例えば、私と彼が苦労したのは、最初私は遠慮し過ぎちゃったみたいで、遠慮し過ぎちゃったから、彼は私を、自分を全てのものからシャットアウトするための「いいわけ」に使ったりなんかしたんです。

もう少し詳しくお願いします。

みどり:いろいろ理由付けするわけですよ。自分の中に閉じこもっちゃって、何もしたくない状態。これもしたくない、あれもしたくない、その理由を直接相手に言わずに私に言うわけです。で、私は何でも聞き入れなきゃいけないと思ってたもんだから、「ああ、そうか。じゃあ、まあ仕方がないかなあ」っていう感じで全部聞き入れちゃった。
 何もしたくない。でも、実は閉じたくない。一種のわがまま、甘えなんですけど....。そこで、ちょっとプッシュする必要がある人もいる。それが、最初私には分からなくて、プッシュすると嫌がるかなと思って....。
 患者さんといえども、子供じゃないわけですから、やっぱり社会の一員であって、例えば APICHA のプログラムに参加するならば参加する、彼にもその理由があるわけだし、参加すればAPICHAに対する責任もある程度果たさなきゃいけないわけですよね、対等な関係を保つ上では。で、その責任を果たさなきゃいけないんだっていうところは、それが分からないんであれば、何らかの形で伝えなきゃいけない。
 いろいろ彼の生い立ちとかもあって、かなり精神的に不安定で、しかも甘えというか、そいう面もあったんですよね。APICHA の人と相談しながら、こう言ってみた方がいいんじゃないかとか、あるいはもっと強く出てもいいんじゃないかとか....。

そうすると、エイズということで気になったことはないわけですね?

みどり:あんまりなかったですね。別にいい顔するわけじゃないですけど....。
 私は父をガンで亡くしてるんですけど、最初にガンになったときに、会社がすぐポジション変えたんですよね。それまでかなりガーっとやってきた人間を横の配陣にパッと変えたわけですよ。父親とはほとんど会わない生活でしたね。戦後のあの世代というのは土日もなく働いてた人たち。そうやって会社のため、あるいは社会のためと思ってやってきたんでしょうけど、やってきた人たちがからだをこわした途端にポイと捨てるっていうのは一体何なんだろう?ってすごく思ったんです。
 その辺のことって、もしかしたら関係してるのかもしれませんね。

普通は松本さんほどしっかり考えてないですよね、別にエイズに限らず....。だから大変なんじゃないかと思いますよ。
 情報を得て、自分で解釈できた上で、ある程度のレベルに行ける人と、それでも全然ダメな人と、そこは別れると思うんですよ。でも、その情報を如何にうまく伝え、知ってもらうか、その辺の役割をぼくらがどう果たすか、っていうところは大きいと思いますね。

みどり:必ずしも最初から正しい情報が入ってたかというと、返って何も知らなかったのがよかったのかもしれません。変に頭でっかちになってなかったというか、耳でっかちになってなかった。
 だから、エイズは同性愛の病気で、ゲイの人たちはどうのこうのとかいう、そういう偏見から入ったわけでもないですし、ゲイの人たちのことにしても、ふうんと思うだけで、全然嫌う感覚もなかったと思います。でも病気は病気じゃないっていう....。

日本で話題になったときに、そういう捉え方ができた人は少なかったと思いますよ。
 神戸で初の女性エイズ患者が「出た」とか、ああいうニュースが広まったときに、ほとんど魔女狩り的な行動をして、一部実名報道、写真入り....。

みどり:それこそ週刊誌読んでなかったのがよかったのかもしれませんね。うち週刊誌禁止家庭だったもんで....<笑い>。
 もちろん耳にはしましたけど。でも、なんでこういうふうに騒がないといけないのかが分からなかった。だって、それまでだっていっぱい「うつる病気」ってあったわけですよね。
 例えば、こっちの、特に日本人の駐在員の人たちから聞かれるんですけど、「うつるっていうことは事実なんだから、それを避ける権利だってあるだろう?」って。でも、一歩も家から出ないで一生を終わらさない限り、他にいろんな病気だってあるわけだし、それこそ交通事故で死ぬ確率の方がよっぽど大きいわけですよね。
 唾液のことにしたって、「うつらないっていうけど、確率的にはないとは言えないだろう?」とか言うわけですよ。 だけど、じゃあ、交通事故はどうなんですか?っていう、本当にそういう問題だと思うんです。

日本人のそういう類の差別は、患者さんが身のまわりにいないっていうか、数の問題があるかもしれませんね。

みどり:あるでしょうね。
 あと、やっぱり「違うもの」を受け容れない。だから、もしエイズがですね、例えばインフルエンザのようにしてうつる病気だったら、もうちょっと違ってたかもしれませんね。

ええ、違ってたでしょうね。

みどり:だって、それが、ま、性病ですよね。性病であり、しかも一番最初にゲイの人たちの間から広まった。これはアメリカでもそうだったわけですけど、だからこそ、差別と偏見を生み出す。社会の醜い部分をえぐり出したような、膿をバッと一気に出さしたような、そういう病気だなってすごく思うんですよ。人間の汚い面を、醜い面を....。

最初の報道のされ方というか、情報というか....。
 でも、それは、いま言われたようにアメリカでもいっしょだったわけですよね。ところが、アメリカは、それをなんとか克服してきてますよね....。

みどり:まだまだありますけどね。

私たちの目から見れば、はるかに高いレベルにあると思うんですけど....。

みどり:田舎に行くとまた違いますよ。ニューヨークはアメリカじゃないですから。
 私がウェスト・バージニアにいたときに、大学院がすごく田舎にあったんですけど、日常会話の中にはエイズの「エ」の字も出てきませんでしたね。ただ、一回だけ憶えてるのは、大学病院にエイズの患者さんが入院してるって噂がパッと広まったことがあるんです。噂が広まるってことは、偏見があるということですよね。
 もう4年以上も前の話になりますから今は変わってるかもしれませんけど....。

内心自分はなりっこないと思ってるから、日本人なんかの場合ね、「なったらしょうがないね」とか「自業自得」だとかで済ましてますけど、まわりで知ってる人が2、3人とか出てきたらもう冗談効かなくなると思いますよ。
 いいことなんでしょうけどね、少ないっていうことは....。

みどり:まだまだ面白おかしく話すレベルですよね。それは、うちの会社の中だってそうですもん。うちの日本人社員の人たちは、別世界の生活してますから、ほんとに。
 別にふいちょうしてまわるわけでもなく、「週末何してんの?」、「ボランティア行く....」とか、そういう話からバディのボランティアしてるって話になりましたし、エイズの取材に関してはこちらにリクエストが来たりとかするんですけど、そういうのって結構みんな面白おかしく話しますよね。だから、自分の方からは、あんまり話さなくなっちゃいました。
 いろいろ一所懸命こっちが言っても、結局面白おかしくのレベルでしか捉えられない。本当は言ってかないといけないんだろうと思うんですけど、なんか疲れちゃうんですよ。別に仕事に直接関係あるわけじゃないし、私が好きでやってることだし、それを押し付けるつもりもないし....、最近はほとんど話しませんね。

我々の周囲でも発言の中って偏見だらけなんですよ。
 でも、それは当たり前っていえば当たり前で、だって偏見を乗り越えるだけの情報もなければ環境もないわけじゃないですか。で、普通のおじさんとかだし....。ね、現在はどうか知らないけど、それこそさんざん遊んできたような人たちでしょ。それが急にエイズったって、できっこないですよ。

みどり:根本的なところの考え方変えない限り無理ですよね。だって、よく「自業自得」って言うでしょ。ま、セックス感染にしても、麻薬感染にしても自業自得、血友病の患者さん以外は自業自得だという。それは、エイズ患者さんの間でもあるんです。あっちは自業自得、こっちは被害者なんだっていう。でも、それって、おかしいですよね。病気は人を差別しないんです。人を差別するのは人なんですよね。
 ドラッグにしたって、個人個人に背景があるわけじゃないですか。そりゃからだによくないですよ。からだにはよくないけど、育ってきた環境によってどうしてもそこにはまり込んでしまう人たちというのはいるんです。その人たちを一概に責めることって、やっぱりできないんですよ。
 よく思うんですけど、こっちに来て、もちろん何もないところから始めたんですけど、それでもなんとか食べていけるのはやっぱり日本人だからなんです。偶然の賜物である日本人というだけで特典があって、それから親が教育にお金をつぎ込んでくれたからっていうのがあって、それで食べていけるわけですよ。
 でも、そういう土台のない人たちが大勢いるわけですよ。その中で、この資本主義の中で、どうにもならない人たち、社会の流れの中で生きていけない人たちが逃げたくなるのは当然ですよね、現実から....。それをどうして責められるんだろう....?

労働組合なんかも、最近ではいろんなことやってますけど、結局は企業があって、そのメンバーとしての自分の利益をきちっと守ろうというのが基本ですから、そうするとその辺のところにいる人を救おうなんて発想ありませんでしたよね、組織として。当然その中で、言われてきたようなお金以外のことをどれだけ考えたかっていうと考えてなかった....。
 会社というのは冷たいところだけれども、労働組合は人と人がささえ合ういいところがあるって以前言われたんですけど、それはその中にいる人と人のことなんですよ。

みどり:うん、うん。

外側の人はどうかというと、これ眼中に入ってないんです。そういう意味で、もっとそれを日本というところ、あるいは世界というところに広げようとしたときに、そりゃ関係ないよって発想なんて平気で成り立つと思うんです。
 でも、むしろそうじゃないよっていう考え方。要するにそう考えられる人の方が絶対リッチじゃないですか。ところが、そういうことに気づかされるチャンスは、本当に少ないですねえ。

みどり:いま考え直さなければもうダメでしょうね。
 特に、それこそ外国人労働者問題じゃないですけれども、いまさら拒否できる立場にないんですよね、日本は。これだけ一人でお金稼いじゃって。みんながある程度の生活レベルを維持している中で、まわりの国でそのレベルを維持できない人たちを受け入れないわけにはいかないんですよ。

そんな状況の人たちがいるなんてことを、おそらく実感として分かってないと思いますよ。

みどり:だんだんアメリカやヨーロッパと同じ状況になっていかざるを得ないんです。それを拒否してると絶対に歪みが出てきて、それこそ日本は世界の孤立者になっちゃいますよね。

だけど、それってね、日本の中にいると本当に分からないんですよ。
 ぼくらも、結構いろんな人に言うんです。今の状態ってのはそんなに長続きしないんだから、うちなんかで言えば、例えば能力もそんなにない人たちでもいい賃金もらってる。それは、もちろん幸せなことですよ。でも、今はそうだけれども、状況が厳しくなれば、それなりの能力を持ってる人は残るかもしれないけど、そうじゃない人たちって分からないわけですよ、どうなるか。
 でも、自分たちの問題だとまだ思ってない。それくらい「自分の幸せ」ってのは確固たるもんだと信じてるんです。

みどり:想像力の問題だと思うんですけどねえ....。

たまたまエイズを一つのキッカケに、まだできてないですけれども、そういった我々自身の問題、それから今の国際的な圧力の問題、これをやっぱりこの1年とか2年とかの間にね、少し考慮しておかないと本当に世界からおいてきぼりくって、文化的に劣等な国になっちゃう。

みどり:戦後50年で、謝らなくちゃダメですよね。そこから出発しないとほんとダメだと思いますけどね。

言葉には一応出してるわけですから、あとは文章にするかどうかということだけなんですけどね。

みどり:くだらないですねえ。
 やっぱり今の政治を握ってる戦中派の人たちが悪いと思ってないからでしょうね。

内心思ってないんでしょうね。

みどり:絶対思ってないですよ。
 でも、そこからいろんな問題って発してるような....。

今回は今回ので謝らなきゃいけないんでしょうけれども、ほかの問題でもそうしてこなかった人たちじゃないですか、この50年。そうしてこなかったし、今の70とかの人たちもそうだし、60代の人も、じゃそうじゃない社会をつくり上げようって言ったかっていうと、そうでもないですし....。
 そういう意味で、違う価値観というか、転換するんだったら、今の40から30くらいの人たちが新しい考え方をつくって、またやるしかないのかなって気はしますよ。
 神戸のことがあったきに55とか60の人が、体力はまだありますよね、行ったかっていうと行ってない。昔は助け合いがあってよかったとか聞くけど、じゃ行ったかっていうとやっぱり行ってないですよね。
 行ったのは30前後ぐらいの人、あと学生、そこが主体として行ったというのは一つの象徴じゃないかなって気がするんです。

Buddy in New York - ギブ・アンド・テイク

◇1:1のAIDSボランティア ❒ ギブ・アンド・テイク

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
話は戻っちゃいますけれども、わりとすんなりバディの世界にきて、そして現実に始めますよね。そこで予想外だったというか、想像越えたなっていうものありましたか?

みどり:最初から想像するも何も、どういうものかも分からなかったんで....。
 あまり想像を越えたっていうことはなかったですけど、お互いの信頼関係を築き上げていくのって難しいことだなって思いましたね。どこまでオープンにしていいのかとか、分からなかったですし....。
 それはもちろん何回も言ってるようにクライアントとの関係にもよると思うんです。クライアントによっては100%寄りかかっちゃう人もいると思うし、そうなった場合には、ある程度の距離をおかないと自分がまいっちゃいますよね。そういうときには APICHA とかに相談していくんでしょうし、例えば職場の電話番号は教えないとか、そういうケジメってのもつける必要があると思いますけど....。ジョニーの場合には、返って向こうの方が引っ込んじゃってるんで、いくら余分にあげても、あげ過ぎるくらいで大丈夫ってときもありましたね。
 忙しいってことははっきり最初から言ったんです。仕事の内容も言ったし、すごく不規則な生活で、夜遅く帰るときもあるし、ものすごく忙しくなるときもあるし、それから出張でいなくなるときもあるし....。だけどいつでも電話していいんだよ、そのかわり、どうしてもそのとき話ができない状態だったら、はっきり正直に言う。でも、必ず電話かけ直すから。それが、たとえ10時間後であっても、必ず電話かけ直すからって....。

ええ。

みどり:最初は遠慮してましたけど、最近は気が向いたらかけてきます。
 ただ、彼の場合には鬱が激しいんです。すぐ鬱になっちゃうんで、何も連絡がないときってのは、ちょっと要注意なんですよね。

そういうときは、こっちから電話したりとか....?

みどり:ええ、なるべく私の方から電話してます。
 気にかけてほしいんですよね。どっちかというと何かしてくれるのを待ってるっていう部分はありました。それは、わりとアジア系に共通しているところなんですよね。西洋人は、スパニッシュ系もそうだと思うんですけど、してもらって当然、あるいは要求して当然というところがあるんですよね。だから、向こうの方からガンガン電話してきたりとかっていうこともあるらしいんですけど、そういうときには必ず一線引かないと大変なことになっちゃう。だけど、アジア系の人にありがちなのは、何かしてくれるのをただひたすら受け身の状態で待つ。対等な関係なんだから、ギブ・アンド・テイクなんだっていう発想は、なかなか持てないのかもしれませんね。

そのギブ・アンド・テイクの、例えば松本さんからギブというのはなんとなく分かるんですけれども、テイクというのは具体的にどういうものがあるんでしょうか....?

みどり:相手が嬉しいと思ってくれる、笑ってくれる、笑顔返してくれるっていうのはすごく嬉しいですし、やっぱり私のささえになりますし、もっと現実的な意味では、私もこっちに来ていろいろ助けてもらっているわけですよね、有形無形の形で....。それを返すのは、その社会の中で生きている一員として当然のことだと思いますし、また将来助けてもらわなきゃならないことがきっと出てくると思うんです。

社会の中で生きてる、お互い助け合って生きてるという、そこの意識付けっていうんですか、そこがうまいことできるかどうか....。

みどり:ただ、相手から何かを期待するというのは、それはおかしいと思うんですよね。特に、バディのような1対1の関係の中で相手から何かを期待するっていうのは....。

今回松本さんとお話させていただきたいと思ったのは、一つはさっき言った「社会人として」という問題だと、コミュニティという概念の中でお互いにささえ合うとか、そういう概念がある中でエイズがサポートされてるということは去年いろんなところをまわって納得したし、日本の中でそういうコミュニティ基盤がなくなっているということが、エイズに限らず大きな問題になるという意識は持ったんです。ただ、そうすると確かにうまく説明できるんですけれども、「それだけかな?」っていう疑問がずっと残ってたんですよ。
 バディというのは、組織的にサポートするよりもシンプルな形になるし、人間と人間が直接いますから、多分もっと何かあるんじゃないかなって気がしたんです。それは、ギブ・アンド・テイクと言ったときに、まず笑顔の話をしていただいたんですけれども、そういうところをね、実は聞きたいと思って来たんです。

みどり:私自身が寂しいっていうこともあるかもしれませんね。
 一人でニューヨークで生きてて、適当に生きてるっていえば適当に生きてるんですけれども、でも、かなり気は張って生きてますし、ニューヨークってやっぱり寂しいですよね。さっきもちょっと歩いたときに言いましたけど、アメリカ人ってなかなか入り込めない部分が確かにあるんです。友人はいますけど、結局は個人なんですよね。
 で、家族がいない中で、どういうふうにそれをバディと結びつけてるのかよく分からないですけれども、でも、例えば私がジョニーに対していま持ってる気持ちっていうのは、本当に弟みたいな感じですね。

ふーん。なるほどね。

みどり:例えばいま、仕事の面なんかで、ちょっと行き詰まりを感じている部分があって、どうしたらいいのかなって考えるんですけれども、オプションの一つには日本に帰った方がいいのかなっていうのもあります。でも、そのオプションを選択するにあたって一番先に気になるのはジョニーですね。
 いま私が帰るって言ったら、彼は見離された気分になるだろうなって思うし、私もすごく心配ですよね。今せっかく精神的に安定してきている中で、また一から誰かと関係を築き上げて行かなきゃいけないとなると、辛いだろうな....。
 もしかしたらご両親が中国に帰っちゃうかもしれないんですよね。

こちらに来られて30年って言われてましたっけ?

みどり:ええ。義理のお母さんのからだの具合があまりよくないっていうのがあって帰りたい。もう何回かいつ帰るいつ帰るって話は出てて、結局延び延びになってるんですけど、それは彼の中で非常に恐怖なんですよ、取り残されるってのが....。
 ジェネレーション・ギャップはあって、コミュニケーション・ギャップ(※1)もかなりあるんですけれども、それでも家族は家族だし....。
 だから、例えば今すぐ東京あるいは日本で仕事の話が持ち上がって、帰ってこないかって話があっても、おそらくすぐにってことはできないと思います。
 ※1 お父さんは英語が得意でない。義理のお母さんは全く。一方、アメリカで生まれ育ったジョニーは中国語が得意でない。

そこが、さっきも出てたんですけど、友だちと、じゃバディの関係とはどう違うのかっていうときに、どうしても分からないんですよ。友人とはなかなかそこまで密接にはならない面がありますよね。

みどり:もちろん友人がそのバディみたいな役割を果たしている人もいると思いますよ。例えばゲイのコミュニティなんかでは、本当にそういう関係で自然とバディというものが出てきたんだと思います。もともとの始まりはそれですから、そこはお互いに助け合う素地があって....。
 だから友だちなんですよ。友人なんですよ。
 それが違うコミュニティ、例えばアジア系ならアジア系の場合には、そういう密接な関係というのはなかったわけですよね、コミュニティの中で....。むしろ家族がベースだった。

ふーん。

みどり:ゲイは家族がベースじゃないんですよ。友人がベース、あるいは恋人がベースなんですよね。

ふんふんふん。

みどり:で、そのアジア系の家族の中で、文化的な背景もあって、家族はなかなかエイズのことを口にしにくい。まだ偏見があるかもしれないとか....。そういうときに、他人ならばいいかもしれないっていうのはあったかもしれないですね。友だちももしかしたら拒否されちゃうかもしれないし....。
 でも、予め拒否しないことが分かってる人がいて、その人だったら話せる....。

エイズのことを前提に入れちゃってる友人ということですね?

みどり:そうですね。

そのことで何も言う必要がない友人....。なるほど。
 そうすると日本なんか絶対に必要ですよね。

みどり:でも私、日本って、社会は非常に難しいかもしれないですけど、家族はそんなに難しくないと思うんです....。

そうかもしれませんね。

みどり:日本の社会は、確かにそういう違うものをはじき出してしまうところがあって、それを変えるのはなかなか難しいような感じはするんです。でも、家族は意外と受け容れるんじゃないかなあ....。

家族は、ある程度しっかりしたベースとしてあると思いますね。

みどり:それは、すごくすばらしいことだと思うんです。
 アメリカは家族が見捨てましたからね。宗教的なものが背景にあるんですけれども、ゲイというものは受け容れない、価値観として絶対に受け容れられないんです。それは聖書がダメだって言ってますから、エイズよりも何よりも、ゲイであるということで家族は見捨てるんですよね....。

ところで、バディをやっておられるのは何名くらいですか?

みどり:はっきりとは分からないですけど、実際にやってるのはAPICHAで、私が知ってるのは4人ですね。

応募されてるクライアントの方は....?

みどり:最近増えてるって聞きました。だからもっとバディ増やさなければ....。
 少しずつ APICHA 自体の存在も知られるようになれば、「ああ、そういうところがあるのか」って。やっぱりアジア系の人は、アメリカで生まれ育ったアメリカ人であっても、白人のオーガナイゼーションではフィットしないところってあるんですよね。それはもちろん、ラテン系の人たちもそうですし、アフリカ系の人たちもそうですし、だからそれぞれの国の人たちのオーガナイゼーションができていいと思うんです。
 私も、なんで APICHA かっていうと、やっぱりアジア系の中でどこか通じ合うものがあるからだと思います。だから、言葉の問題じゃないんですよ。もちろん言葉もあるんですけど、少なくともお互いにサポートできるところがあると思うし、アジア系っていうのは、自分がいてなんかホッとするところがあるし....。
 例えば、自分のからだの状態でもあまりお医者さんに聞きたがらない。ジョニーにしても、「咳が出るんだけど」って言うから、「お医者さんに聞いた?」って聞くと「No.」って。「じゃ今度行くときに聞いてみたら?」、「OK.」とか言いながら、聞かないんですよね。そういうのって結構何に関してもあって、病院まで一緒に行ったこともあるんです。
 外来で先生の説明を聞いて、私が、「ちょっと待って下さい。これはどういうことなんですか?」って、何も知らないっていうことを前面に出しちゃって質問するとジョニーも安心して、だんだん一緒に質問が出てくるようになるんです。
 その気持ちがすごくよく分かる。私は自分をちょっとプッシュすることができるんで、恥ずかしいのは同じなんですけど、でも「私がちょっとばかな役をやろう」と思って、すごく基本的なところも聞いちゃう。多分こうだろうなと思っても聞いちゃう。そうするとホッとするんですよね。

実際にドクターのところに行くときに同行されて....。

みどり:なかなか時間的にできないんですけど....。

最初のうちにそういうことをやられた?

みどり:いや、最初のうちは無理ですね。結構経ってからです。やっぱり信頼関係ができてからですね。
 例えば、目の方の支援団体があって、そこでいろんな目の、例えば杖の使い方のトレーニングだとか、あとカウンセリングだとかのサービスがあって、やっぱり一緒にサポートをしているまわりの人間としてお互いに連絡が取り合えたらいいなと思ったもので、一度一緒に挨拶に行ってもいいかって聞いたときに、彼は、なんで私が来るのか分からない....。なんか自分のあらさがしをされてるような気分になったみたいですね。それは後で言ってました。
 私の説明不足だったんです。説明したつもりだったんですけどね。

医療機関は嫌がらないんですか、そういうの?

みどり:患者がOKであれば病院側は....。患者の問題ですから。

日本じゃちょっと無理じゃないかな。
 家族の中でも例えば奥さんをとか指定すれば当然同席できるんでしょうけど....。

みどり:それもおかしいですよね。それは患者の問題ですよね。

日本では患者自身にもあまり告知しないっていう問題がありますよね。
 第三者が患者の病状を聞くということに関してはまずダメだと思います。ソーシャル・ワーカーがどれだけ関与してるのかちょっと把握してないですけど....。

みどり:ソーシャル・ワーカーがいて、患者につくってことはないんじゃないですかね。こちらはありますけど。

随分待って1分か2分、3分で終わってるのが現状ですからね。
 医療はこっちのもんだってとこあるんじゃないでしょうか。

みどり:ええ。
 上下関係になっちゃってるんですよね。

そうですね。お医者さんってかなり偉いと思ってますよね。

みどり:本当は対等ですよね。

去年いくつか病院まわりましたけど、こっちは看護婦さんじゃなくて、男性がいるじゃないですか....?

みどり:看護士?

そうそう看護士。だから、誰が医者かってのあんまり分からないんですよね、パッと見。
 それで、アメリカの人って随分しゃべるじゃないですか、廊下とかでグジャグジャって。日本だったら、ドクターと看護婦さんがそんな無駄話してるようなことってないですよね。
 日本なら誰がドクターかってすぐ分かりますよね。

みどり:まあ、こっちもそうかもしれませんけどね。

薬や従来型の医療に加えて、今後はソーシャル・ワークなり、カウンセリングなり、「技術でない部分の医療」というものがあるじゃないですか....。そういうものを全部一緒に考えていかなきゃいけないだろうと思うんです。
 ところがそういうことを議論する場所もなければ、受け入れる団体もない。お医者さんがこっちへ降りてきたって、しんどい思いするだけで、お金は儲からなくなるし、偉くもなくなっちゃうし....。

みどり:ステータスを求めて医者になった人はそうですよね。

病院へ行ったら一緒に質問しようという運動がありますね、日本でも。それがお互い、患者の質も高めるし、医者の質も高める。
 だけど現実は、何か質問したら「この忙しいのに」と嫌われることもあるし、どうしてこの薬がいるんですかと聞きたくても、なかなか説明してもらえない。

みどり:アメリカでは裁判沙汰もありますからね。そういった意味では厳しいですよ。
 父親が死んだときには、腑に落ちない点とかかなりありましたからね。アメリカだったら訴えてもおかしくないんじゃないかって友人からは言われて....。
 検査に行った当日の晩、その手術あとから出血が始まっちゃって。検査に行った当日というのが釈然としないですよね。本当に何も兆候なかったのかな?、何か見落としてたんじゃないかな?っていう。それがすごく腑に落ちない。
 でもまあ、そこは日本人家族ですから、もうそのまま黙って。でも、闘うっていうか、そういうのに挑戦していくのって非常に痛いですよね。辛いですし、自分の傷口をえぐり出すことになるわけですし....。
さっき、何も考えないで生きてるんじゃないかっておっしゃいましたけど、分かりますよ。何も考えないで生きてた方が楽ですもんね。

buddy in New York - 助けられられる?

◇1:1のAIDSボランティア ❒ 助けられられる?

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
今までの日本の場合、医療にしても、そんなに個々人が努力しなくてもちゃんと政治がつくってきたんですよね。スタイルをきちっと。

みどり:ええ。ええ。

日本の医療保健制度は、行政と医者と製薬会社の関係の中で、非常によく機能してきたし、いまでも一応機能してると思います。そういう意味で、患者や家族ががんばらなくてもよかったんですよ。
 ところが、じゃ自分の親のことをイメージに描いて、もうすぐ老人になるわけでしょ? ボケちゃって動けなくなったときに、本当にフランクにっていうか、普通に応じられるかどうかって、結構疑問なとこありますよね。
 情けないけどその程度だと思うんです。

みどり:日常、身のまわりのことはある程度割り切っちゃっていいと思うんですよ。家族じゃなきゃいけない、家族じゃない人にやってもらったときに罪悪感を感じる必要は全然ないと思うんです。返ってそういうことしてると、もちろん親子だとよけいわがままが出てきますから、歪みは出てくるし、その辺のこと割り切る必要ありますよね。

普段は社会のために何も考えてないのに、自分の親が悪くなったときだけ、そういうときだけ何かしてくれと求めてしまう。そういうことは現実としてあるような気がしますね。
 でもね、うまく求められれば幸いだと思うよ。

みどり:外に?

ええ、外に。
 何もわだかまりなく、人に対してこうしてくれって言える人はそれはそれでいいと思うけど、すごくしんどいのに誰にも助けを求められない人が本当は大勢いるんじゃないかな?

みどり:ええ、そうですよね。

現実にいっぱいいたのがあの地震で分かりましたからね。神戸の街にあれだけ一人暮らしの老人がいるということがあの地震でやっと分かった。

みどり:もうなんか、変な見栄は捨てるしかないんですよね。
 助けを求めることは別に恥ずかしいことでも何でもないし、できないことはできないんですよ。それを素直に自分で受け容れて、っていうところができないと....。

ぼくの個人的な興味の中にはね、バディでもそうですけど、助けを受け容れる側の理論というか、感覚というか、それもあって....。さっきの話にもありましたけど、おとなしいとか、引っ込み思案とか、遠慮とかがあって、医療を含めてこういうサポート・システムをつくっても全然受け容れられないってケースが結構あり得るんじゃないかなあ。その原因ってのは、いったい何がつくるのかなっていう興味があるんですよね。
 そういうことを少しでも分析しておけば、将来役に立つんじゃないかな?

みどり:私もこっちに来て、いろんな面でつっぱってたのが取れるまでにかなり時間かかりましたよね。あちこちつっぱって生きてて、でも自分は自分なんだと自分を 受け容れて....。
 ボランティアやるにしたって、やってもらうにしたって、そういうことは必要なのかもしれませんね。

松本さん自身は、助けを受け容れることは平気だと思いますか?

みどり:基本的に自分だったらどうしてもらいたいかなあっていうことを考えながらやってますから、だからやってもらうと嬉しいんじゃないですか。例えば気にかけて電話してくれる、ああやっぱり一人じゃない、誰かが心配してくれてるなっていうのはとても嬉しいし、自分のささえになりますよね。

ボランティアをするかしないかってことじゃなくて、基本的には人に対して、何だろう?、思いやりでは簡単過ぎるんだけど、想像する?、その人がどういう気持ちかって想像するプロセスがないと、逆に自分が困ったときに、素直に人の助けを受け容れることも難しいのかなあっていう感覚ってあるんですよね。

みどり:そうでしょうねえ。
 今年の1月なんですけど、私、ドキュメンタリーの取材で本当に土日もなく、朝から晩まで働いてたんですよね。そのときにジョニーが入院してしまった。
 電話すると泣いてるんですよ。もう目が見えなくなる不安と寂しさで....。
 でもなかなか物理的な時間がつくれない。本当に行ってそばにいてあげたいんですよね。一緒に、なんていうんですか、こうやってハグ(※1)してあげたいんですよ。こわいでしょう?、不安だよねえ?って....。
 それは辛かったですね。だから、しょうがないから、日本から来てる人を自分のことで引っ張りまわすのは非常に心苦しかったんですけど、でもわがまま言わせてもらっちゃいました。「申し訳ないけどちょっとだけ寄ってもらえないか?」って....。
 言われたこともあるんです。忙しくて、毎週毎週は会いに行けないんですよね。2週間に1回、せいぜい行ってそれくらいになる。自分の友だちは、バディが毎週来てくれる。すごくうらやましいと思った。ジェラシー感じたって言われたときには....。
 ジョニーも分かってるんですよ。それは、彼がそれだけ心を開いてくれてるっていうことだと思うんです。それだけわがまま言えるっていうのは。だから、それはそれで受け容れて....。デューティーだって考える必要はないと思うんです。
 それは多分彼の生い立ちの中でそういうスキンシップがなかった、寂しかったっていうのがあるんでしょうけれども....。それだったらもう、いくらでもハグしてあげようと思いましたもんね。
 ※1 両手で抱きしめること。

面と向かって話したりっていうのは大事なんでしょうね。

みどり:ええ。もちろん電話だけじゃなかなか....。私、電話ってあんまり得意じゃないんで、面と向かってた方がいいですね。
 さっきのジョニーの友だちの話ですけど、電話で死にたいって言われたときには、ほんとどうしていいか分からなかったですよ。

そういうふうに言われたときにね、言われた瞬間にある種の責任のようなものがバディの人にかかるような気がするんですけど....。

みどり:それは、APICHA の資料なんかにも書いてあるんですけど、責任を感じちゃいけないんですよね。

感じちゃいけないんだけれども....。

みどり:でも感じますよね。

どうしようかと悩んでることは悩んでますよね。
 それに対応できるというか、耐えられるというか....。

みどり:全部自分でおっかぶさっちゃいけないんですよ。自分でできる範囲以上のことはやっちゃいけないんです。それはほんと思いますね。そのためにオーガナイゼーションがバックについているわけですし、スペシャリストがいるわけですから、そのときにはそっちに渡した方がいい。
 あと、電話をかけてきてそう言ったっていうことは、まだ死にたくはないんですよね。死にたくはないけれども、不安で不安でもうどうしたらいいか分からない、その気持ちをとにかく訴えたいんだと思ったんで、それは心理学が役に立ったのかもしれませんけど、とにかく明日まで待って、明日お昼休みに会いに行くからって言って....。
 それこそ会社の仕事の時間を私用に使っちゃいましたね。たまたま自動車の制裁の話とか出てきて、ちょっとマズイなあっていうときだったんですけど、これは絶対に行きたいと思って。顔見たいと思ったんで、無理して行っちゃいました。上司がどう思ってたか分からないですけれども、お昼休み1時間で済まなかったですからね....<笑い>。でも、普段、残業でただ働きいっぱいしてるから....。

Buddy in New York - プライオリティ

◇1:1のAIDSボランティア ❒ プライオリティ

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
松本さんって、ボランティアですごい犠牲あるじゃないですか。仕事にしろ、時間にしろ、プライベートにしろ、休日にしろ....。

みどり:でも、犠牲じゃないんですよ。

ええ。犠牲と言わないんでしょうけど、普通の人の基準から見れば犠牲じゃないですか。
 でも、それって、犠牲じゃないんですよね?

みどり:それは、私のプライオリティなんです。人生の中で何をしたいかのプライオリティなんですよ。もちろん私の場合には、当然、仕事。会社ではいろいろあっても、基本的には好きなんですよ、このテレビの仕事っていうのが....。ゆくゆくはもっとドキュメンタリーの方がやりたいんです。私を媒体にしてもらって、私も言いたいことがあるけど、それをほかの人に言ってもらう。ほかの人も私を使ってくれて、いろいろメッセージを出してもらう、っていうことがやりたいなあって思ってるのが、もちろん私のプライオリティの中で一番高いですよね。
 だから仕事は当然やりますし、あとは、いま2番目にくるプライオリティはこれ(バディ)ですね。次は寝ることかな<笑い>。

どうするとそうなっちゃうのかなあ?

みどり:それは、それぞれじゃないですか。
 だから、それこそスキューバ・ダイビングが好きな人は、スキューバ・ダイビングがね1番のプライオリティになって、仕事はそれをするためにお金を稼ぐとか。それはそれでいいんでしょうし、それで本人の気が済むなら....。

ううん。なんだけど....。

みどり:私はすごい単純なんで、他人が嬉しいと自分も嬉しい。

ええ。そうですよね。

みどり:<笑い>

でもね、その、お金があって満足してきちゃって、物質というか、テレビがあるとか、時間がある、自動車がある、いいものが食べられるで満足してきた人は、今おっしゃった「他人が喜べば」っていう部分は、ないわきゃないと思うんですよ、どこかにあると思うんですけど、すごいどこか下の方にあると思うし、なんていうかな、それってどうしたら出てくるのかなあ?
 何がそうさせるのか、そこのあたりがどうしても知りたい。だけど、松本さんは最初から持ってるんだから分からない....?<笑い>

みどり:無理してやることはないと思うんです。無理してできるもんじゃないですし、やりたくなきゃ、やらなくったっていい。やりたくないんだったら、やりたくないって言えるだけのものがあればいいと思うんです。みんながやるからやるっていうんじゃなくって....。

例えば、具体的なボランティア活動ということから外れて、社会の中でお互い助け合って生きていくという、そういう意識付け? まあ、具体的な行動としてボランティアというのも一つ挙げられるんでしょうけど、自分がコミュニティに属しているということ、近所付き合いでも会社でも、そういうものの意識付けが、いま物質的な豊かさがあるが故に分かりにくくなっているところがあるように感じるんです。
 なんで仕事してるかも分からないし、なんか家族もいるし子供もいるんだけど、でもよく分からない。なんで会社かっていうと、それが普通だしとか言ってやってきた。フッと振り返ると....、ま、振り返ることもしないのかもしれない。
 でも、いま随分多くの人がそんな状態だと思うんですよ。

みどり:そうですよね。だから、阪神大震災のときにボランティアがバッと出たのは、そういうところがあるんじゃないかなあと思いますけど。

でね、我々として、一応組織の人間ですから、なんかその辺のメカニズムでもないですけど、キッカケの出し方、ちょっとキッカケがあると分かる人って随分いると思うんです。まあ、阪神大震災もそうですけど。あれも、目に見えるキッカケがあって分かったんですけれども、またすぐ忘れるってのも事実なんですよね。
 そういうことができるっていうか、考えていけるっていうのは何なんだろうなあっていうところ....?

みどり:確かにおっしゃってることよく分かるような気がします。
 分からないですよ、私だって日本に帰れば、感じることも違っちゃうかもしれませんし、いまニューヨークにいると現実の問題としてありますから。
 もしかしたら、根底にすごくあるのは、自分だっていつどうなるか分からないっていうことなのかもしれませんね。
 でも、よく分からないなあ。あんまり突き詰めて考えたこともないし....。

でしょうね、多分。松本さんは自然体でやれてるから....。

みどり:なんでボランティアやるのかな? なんで....?
 APICHA の最初のトレーニングのときにも、なんでボランティアやろうと思ったのかって、もちろんあるんですよね、議論するセッションが。

そうですか。

みどり:でも、あんまり深く自分で解説する必要もないんじゃないかなっていう気もするんですけど。ただ、やりたいからやるでもいいと思うんですよね。

ええ。当然やることは、肉体的に苦痛であっても、精神的に苦痛であっても、どこかでそれが心地よかったりするから、やるんだと思うんです。心地よいっていうと語弊があるかもしれないですけど....。

みどり:本当にいやなことだったらできないですからね、人間。

それは、そうだと思います。
 ただ、これから世界の経済が衰退していったり、特に日本も絶頂期から落ちていくときに、それを心地よいと思えないじゃないですか、今の状態だったら。そこが、どうしたら心地よく....?<笑い>。
 だから、分かち合うとか、ささえ合うとか、当たり前の言葉なんですけど、そういうの本当にしてきてないんですよね、最近。

みどり:そうですよね。

チャンスもなかったって言えば、チャンスもなかったし、必要もなかった。
 それでやってこれたんですよ、日本は、本当に。
 医療だってそうでしょ? 全部病院に任せっきりでしたし....。

みどり:もう自閉症社会ですよね。

ええ。

みどり:なんなのかな。もしかしたら、やっぱりそうですね、さっきおっしゃったように、自分が助けられたい、いざというときに助けられたいっていう気持ちがなければ、他人に手を差し伸べることはできないのかもしれないですね。それって、自分の変なプライドだとか、見栄だとかっていうもの、どこかで捨て去れてないとダメなのかもしれないですね。

最近思うけど、豊かにっていうか、苦労せずに育った人でないと、案外人を助けられないってケースもあるんですよね。
 本当に苦労しちゃった人は、それどころじゃないっていうの....?

みどり:余裕がねえ。それは、余裕がないと無理でしょうしね。
 苦労がなく育った育たないっていうよりも、ボランティアは「余力」だと思いますから、自分がこう(↓)なってるときにはできないですよね。
 それは、やっぱり自分が一番のプライオリティでいいと思いますし....。

あ、リスがいる。

みどり:いますよ....。
 所詮他人のために生きるなんてできないわけですからね。

だから、「ボランティアのすすめ」をやるつもりじゃないんですよ。多分、意識的には、自分一人じゃないよっていう当たり前の話なんですけど、お互いに共存関係の中で、会社もそうだし、町内もそうでしょうけど、その中の一員なんですよってことをやっぱり分かってもらわないと、当然豊かでもないですし....。

みどり:枠をつくるじゃないですけれども、土台をつくっていくってことは、組織じゃないとできないと思うんですよね。
 私も組織があって初めてこういうことができるんで、もちろんそういうささえがなかったらできない。それは、必要なことだと思いますよ。

去年今年と、アメリカ見させてもらって痛感したのは、結局は組織を構成する一人一人の意識の問題なんですよね。日本人は、誰かがしてくれると思ってますから、自分自身が何かしなければならない社会の一員だということにはなかなか気がつかないんですよ。

みどり:ううん。

急いじゃうとできなくなるしね。

みどり:それは、お二人みたいにどこかで始める人がいないとね。「ヨシ」って言って。
 多くの人は、ある枠組み、土台ができてるところがあって、初めて「あ、何かできるかもしれないな」って思うんですよ。スクラップから始めるのは二重に大変なことですもんね。
 でも、土台がないところでも、もちろんできることはありますよね。例えば、駅でお年寄りが重い荷物を持って階段のぼってるのを手伝ってあげるとか。そんなのって自然にできることですよね。そこは、やっぱり勇気はいると思うんですよ。声かけるのだって勇気いるし。でも、そこでちょっとだけ勇気を出すことが、いま個人個人に求められていることですよね。

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◇1:1のAIDSボランティア ❒ Do you like to have some help?

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 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
目の不自由な方に、肘を貸してあげる。あれなんかも、誰もやったことないから、なかなか声かけられないけど、今度一遍やろうって言ってるんですよ。車椅子乗ってみるとかね、あるいはここ(肘)を持ったときとここ(手)を持ったときに、どんなにそれが違うかっていうね。ここ(肘)はからだと一緒に動くでしょう、松本さんはご存じだと思いますけど。全然不安感が違うっていうんですよね。
 そういうの一遍やっとけば勇気もでるかなっていう気がするんです。
 そういうの積み重ねれば多少はね....。

みどり:階段で荷物持ってあげるとか結構やってはいたんですよね。すごいドキドキドキドキしながら....。どうしようかな。でも重そうだよなあとか思いながら。で、まわりに人がいないときだけとか....<笑い>。人がいるとちょっと恥ずかしいなって。
 でも、やっぱり重いよね。自分があれだけ荷物抱えてたら重くて、もう階段しんどいだろうなあと思って。
 電車の中で椅子を譲るのだってそうですよね。辛いだろうなあって思って、ちょっとだけ勇気をね。一瞬恥ずかしいですよね、まわりが。何こいつ偉ぶってるんだみたいなね。でも、そんなのは思わしときゃいいやって....。
 こっちでも、例えば目の見えない人がいたときには、聞きますね。お手伝いしましょうか、「Do you like to have some help?」って。もちろん、いらないっていう人もいるし、ありがとうっていう人もいるし....。
 いま素直に言えるのは、そんな変な見栄も何もなくなったから、まわりをあんまり気にしないでも済むようになったからですね。

その辺、やっぱり分からないんだけど、多分同情ともちょっと違う、思いやりともちょっと違う、それ見たときに、多分重いの大変だろうなあっていう....。
 思いやりっていうとちょっと文学的過ぎてね、多分さっきの話にもあったけど、自分に置き換えてみるんだと思うんですよね。それができるかできないかってことだと思うんです。

みどり:一度ジョニーがかわいそうだったのは、友だちの家に行った帰り、ラッシュ・アワーにぶつかっちゃったんですよ。電車の中混んでて、やっぱり目が見えない中でつかまって立ってるのって不安だし、わりと長いんですよ。本当に誰も譲ってくれなかったですね。

あたたかいそういう社会の方がいいはずなんですよね。自分にしたって、いつか年取って、誰もかわってくれない社会よりもね、かわってくれる方が嬉しいですもんね。
 なんで恥ずかしいんだろうなあ? 分からないなあ?

みどり:結構、日本って、偉ぶってとか、なんかそういうのないですか?

笹川良一あたりが一日一膳って言ってからおかしくなった....?

みどり:<笑い>

基本的に日本人はスタンド・プレイって嫌うところありますから....。

みどり:他人がどう思おうとってところ、大事ですよね。
 もちろん人の迷惑になることはやっちゃいけないんですけど....。

他人がどう思うかってのは大半の人はかなり意識してますよね。

みどり:それ、すっごい足かせになってると思います。

ニューヨークの地下鉄でなかなか席を譲ってくれない。かたやボランティアのそういう活動が発展してますよね。上と下に分けるのはよくないのかも....。

みどり:いや、ニューヨークっていうのは、本当に捨てる神あれば拾う神ありじゃないですけれども....極端ですね。

というか、日本は真ん中に偏ってるのかもしれないですね。

みどり:かもしれないですね。
 どっちがいいのかっていうとよく分からないんですけど....。

いいことする人も少ないけど、そんなに悪いやつもいない。
 さっき家族の話でね、日本なんかそれはいいんじゃないのって話もありましたけど、多分日本って真ん中ちょい下?くらいなんで、これを真ん中ちょい上くらいに持っていくとちょうどいいのかもしれないですね。
 全員がね、聖人みたいになることもないんだし、まあ普通なんだけどちょっと気持ちいいね、くらいがちょうどいいかなあ?

みどり:私、こっちに来て、ウェスト・バージニアで暮らすまでは、ずっと都会で育ってきましたから、あんまり素朴な楽しみ方って知らなかったんですよね。楽しみって、例えばコンサートに行ったりとか、コンパに行ったりとか、なんかそういうことなのかなあとか思ってたんですけど、例えばウェスト・バージニアの先生方の生活なんか見てても、もちろんすごく働くんですよ、例えば20枚くらいのレポートをタイプアップしたの出しても、ものすごい赤が入って返ってくるんですよ。きちっと読んでますし、そういうことはするんですけれども、時間の切り換え、使い方が上手くて、家に帰ると読書を楽しむとか、家族との団らんを楽しむとか、庭のこと楽しむとか、すごく楽しみ方が素朴なんです。で、ああ、これが人間の生活なのかなって思ったんです。走り始めたのもそういうとこですし、そうすると自然を十分満喫できますよね。毎日毎日違うものが見える。それがすごく活力になった。いろんなとこの余計なものを取り払っちゃった....。
 価値観変わりましたね、やっぱり。

多分ね、そのウェスト・バージニアのことでもそうだし、例えば50年前でも100年前でもいいんですけど、日本でもアメリカでも、どこでもいいんですけど、全部揃ってたんですよね、きっと。

みどり:そうそう。
 だから、変な話、返って一端人間社会って、石器時代じゃないですけど、そこまで戻っちゃってもいいんじゃないかっていう....極端な話。

何が加わってるんだろうなって思うときありますよね。時代が変わって、これだけいろんなものが生産できるようになって、それでどうしたんだろうって思っちゃうんです。

みどり:返って、すごい単純なそういう生活って、ヤー、いいんじゃないかなあとかフッと考えちゃうときありますよね。

だから、近所の悪い坊主いたときにさ、昔ならボコーンとか近所のおっさんに頭殴られたりして。今それできないでしょ? 近所の子殴らないでしょ?

みどり:殴らない。問題ですよ。

でも、おこってくれてもいいわけでしょ? 子ども、なんか悪いことしてたら、それこそ道で....。どうしちゃったんだろうなあ?

みどり:うんうん。
 それ、自分と切り離して考えてるからでしょうね。

自分自身に直接キノコが....。キノコが、あ、ヒノコが降りかからない限りは動かない。

みどり:<爆笑>

今のはおもしろかったね....。
 でも、なんかその辺って必要だなあと思うね。

みどり:例えば子どもなら子どもで、子どもは社会全体のものっていう....。

町内の子どもが悪いことしたらオレがみんなやっつてけてやる、みたいなおじさんがいたんだよ、昔は....。

みどり:ドイツでもそうでしたよ。電車で子どもが座ってると、知らないおばさんが乗って来ますよね。で、子どもは立ちなさいって。全然見知らぬ他人がですよ。で、自分が座るんですよ。
 子どもはいいんです、立ってて。そうやって社会が教育していく....。
 その方がずっと効率的なはずなんですよね。
 ドイツもだいぶ変わっちゃったから、今は分からないですけどね。
 私なんか絶対座らせてもらえませんでしたよ。フエーとか言いながら立ってた。

今の日本では逆ですね。ひどいのは子どもに席取らせるんですよ。
 それは論外ですよ。でも、その子なんか普段から訓練されてるからうまいうまい。

みどり:<爆笑>
 でも、そういう子どもたちが結構世の中サバイブしていくんでしょうねえ....。

すごい! 5時半になっちゃった。
 長時間にわたり....。
 今日はどうしますか? 特にご用はない?

みどり:ええ。

それじゃあ、食事でも行きましょうか?

みどり:そうですね!

今日は本当にありがとうございました。

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◇おわりに(追記)
F:バディとか松本さんのことはどう思う?

Johnny:1年になるけど、僕のバディは大好きだよ。

みどり 1年以上よ。1年半かな?

Johnny:そうだね。
 最初のころは、彼女にどうしてほしいのか自分でもよく分からなかったんだ。それまで僕は、シャイで無口で、ざっくばらんに話ができるような人間じゃなかったから、彼女と親しくなって、信頼できるようになるまでには時間が必要だったんだ。でも、結局彼女を受け容れることができたよ。
 彼女はほとんど毎日のように電話をくれて、ドクターがどう言ったとかいろんな話をして....。

みどり:彼らには正直に言っていいのよ。
 私のどういうところが嫌いかとか....。

Johnny:そんなこと思ってないよ。
 彼女には何でも話すことができるし、とても気楽なんだ。

F:そりゃいいね。

Johnny:自分の家族よりも気楽なことだってあるよ。

Jasmine:ねえ、私もここにいるのよ。

みどり:もうジャズミンたら....。

Johnny:怒るなよ。もちろんジャズミンは別さ。赤ん坊のときからずっと知ってるんだから。

F:お父さんもお母さんも松本さんとは随分親しいみたいだけど....。
 まるで本当の家族みたいだね。

Johnny:特に母さんはみどりのことをとても愛してるよ。

みどり:バディを持ちたいって言ったとき、最初 APICHA はどんな質問をした? どんなふうにアプローチした? バディはどういうものだって説明した?

Johnny:バディは一緒にいて話をしたり、家まで来てくれたり、街へ出て一緒に買い物をしたりしてくれる人。何かしてもらいたいことがあったらちょっと手伝ってくれたり、時にはカードで遊んだりとか....。
 彼女に慣れるまでに少し時間がかかったけど、今では、バディは友情以上のものだとさえ考えるようになったよ。

K:とても難しい質問なんだけど、みどりさんに、「どうしてバディを始めたの?」、「どうして誰かを助け始めようとしたの?」って聞いたんです。どうして彼女が始めたのか分からなかったんですよ。だって、日本では、人を助けることに慣れてないし、そういう土壌もないんで、そんな質問をしたんです。
 ジョニーはどう思う? どうしてみどりさんは誰かを助けようとするのかな?、あるいはどうしてジョニーとバディになったのかな....?

Johnny:誰かを助けたいと思うことはとてもりっぱな考えだと思うよ。若いころは、僕だっていつも誰かのささえになりたいと思ってたさ。

K:日本では、人を助けることに慣れてないから、多分助けられることにも慣れてないんじゃないかと思ってるんです。日本の平均寿命はどんどん上がっていくから、近い将来、それは大きな問題になる。

Johnny:バディはいいアイデアだと思うよ。
 日本の状況がどれくらいかはよく分からないけど、誰かがとても孤独だったり、誰かと話したいと思ったときに、信頼できる、何でも話せる、助けがほしいときにそばにいてくれるバディがいることは素敵なことだよ。
 僕がどんな助けを必要としているときでも、僕のそばにはみどりがいてくれる。

みどり:家族よりも話しやすいときがあるって言ってたけど、どうして?

Johnny:僕が感じていることを話したくないと思うときがあるんだ。多分彼らには理解できないだろうし....。
 でも、それはつまらない感情だよね。もちろん、必要なときには家族がいてくれることは知ってるんだ。何か必要なときにはいつも姉さんに電話するし....。

みどり:状況によっては、家族でない人の方が遠慮なく話せるってこと?

Johnny:そうそう。
 日本でもバディか何かになろうとか考えてるの?

K:もちろん日本でバディになることもできるけど、多分私のデューティーは、お互いに助け合うことの大切さに気づいてもらうことだと思うんだ。私にとっては、その方がより重要な仕事だと思うんだよ。
 でも、それを説明するのはとっても難しいことなんだ。

みどり:日本人は、家族じゃない人に助けを求めて何かを頼むのは恥ずかしいみたい。アジア人全般に同じような傾向があるんじゃない?
 私たちは、家族の中でなんとか問題を解決しようと努力するけど、時にはそれが家族の負担やストレスになってしまう。

K:バディをすることで、みどりさんは何か得ていると思う?

Johnny:そう思うよ。きっとそうすると思うよ。
 彼女はいつも電話でコンタクトを取ったりして、僕にケアの気持ちを示してくれる。月に1回とかじゃなくて、毎日電話してくれるんだ。
 僕も毎日電話で話すし、医者に行ったら電話してどうだったか話すんだ。彼女はとても頼りになる人で、いろんな情報をくれるし、いつもありがたい情報ばかりなんだ。それから、手紙を読んでくれたり、小切手を書くのを手伝ってくれたり、散歩に連れ出してくれたり、とても助かるよ。
 散歩、大好きなんだ。僕はずっと家にいて、何もせずにテレビを聴き(※1)、音楽を聴き、電話でじゃべって。とても退屈さ。だから来週の火曜日からAPICHAでボランティアを始めようと思ってるんだ。コンドームを包んだり、パンフを印刷したり、人々を教育したり。火曜日から始められると思うとワクワクするよ。
 ※1 ジョニーは目が不自由。

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◇おわりに(追記)
F:みどりさんに会う前は、どういうサポートを受けてたの?

Johnny:大したサポートは受けてなかった。基本的には姉さんと家族。友だちにもほとんど話してないんだ。
 仲のいい友だちが一人いて、他に職場の友だち二人には話したんだけど....。彼らは理解してくれたよ。親友のニックは頼りになるし、信頼できるけど、それ以外はただの友だちだよ。

K:今どういうコミュニティに属していると思う? 合衆国とか、アジア人とか....。

Johnny:地域的な意味で?

みどり:心の問題として。言い換えれば....。

Johnny:アジアかな?
 父さんも義理の母さんも中国人だし....。でも、両親は英語が話せないし、僕は中国語が話せないんだ。

みどり:私は日本人で、中国語は話せないし、中国人でもない....それでも私といて心がやすまる?

Johnny:もちろんさ。
 君は「日本人」じゃなくて僕の友だちなんだ。もちろん、日本人だということは知ってるけどね。

みどり:他のアメリカ人の友だちとはどこか違う?

Johnny:ああ。みどりは実際初めてのアジア人の友だちなんだ。

みどり:じゃ、ニックとはどこが違うの?
 彼もアジア人じゃないの?

Johnny:彼は高校時代からの知り合いだし....彼は女性じゃない<笑い>。

みどり:それは大きな違いね。
 トイレに行くときが大変なのよ。ニックなら大丈夫だけど....。

Johnny:どんなことでも、話したくなったときに、君に電話できて、安らぎを感じることができると分かっていることはいいことだね。

みどり:ジョニーも私もアジア人だから、いろんな点でよく分かるところがあると思うの。
 例えば、直接ドクターとかに質問するのが恥ずかしかったり....。私も同じなんだけど、ジョニーのためだったら自分をプッシュして質問することができる。不思議なのよね、自分の....。

Johnny:自分のことになるとできない、だろ?
 もう一つ大切なことは、支援してくれる、支持してくれる友だちがいること。そして、この HIV/AIDS という病気のためにその関係を断たれないこと。それは、僕にとってとても重要なことなんだ。

K:日本人は、大抵のことはお金で解決できると思ってるから、お金が一番大切だと思ってる人が多いんです。僕はそうは思わないけど....。多分、こういうお互いに助け合って生きている状況そのものがとても大切なんだと思うな....。
 ううん、難しくて質問ができないよ。

みどり:<笑い>
 彼は、何質問しようかと一所懸命考えてるところよ。

K:あんまりベーシックな質問ばかりで....。

みどり:随分哲学的な質問ばかりするから、私、よく分からなくて。

Johnny:僕に答えられるといいけどね....。

K:日本で質問リストは用意してきたんだけど、ほとんど役に立たないよ。

Johnny:どうして?

K:日本で考えていたときとはまるで様子が違うから....。

みどり:ジャズミン、あなたはずっとジョニーのそばにいて、私と彼が友だちになってから、何か変化があったと思う?

Jasmine:彼に?

みどり:そう。

Jasmine:そうね、以前だったら自分の中に閉じ込もって知らない振りをしていたようなことをいろいろ話すようになったと思うわ。最近は随分オープンになったと思う。随分変わったと思うわ。

Johnny:気の許せる人には随分オープンになったよ。気の許せない人にはまだシャイで無口だけどね。
 気楽にならなきゃいけないんだけど、居心地が悪いとなかなかオープンになれないんだ。

みどり:ヘレンは好きでしょ?

Johnny:ああ、とてもいい人だよ。
 時計のことで恥ずかしかったんだけど(※1)、彼女がどんどん話しかけてくるもんだから、それで親しくなって....。
 ※1 ジョニーは目が不自由なため、時刻を音声で知らせる腕時計をプレゼントされた。静かなミーティングの最中、突然コケコッコーという目覚ましが鳴り始めたが、ジョニーはもらったばかりで止め方が分からず、大慌て。

みどり:彼女は正直だし、オープンだと思わない?
 彼女は....。

K:昨日 APICHA で会った年配のボランティアの中国人女性のことでしょ?

Johnny:ちょっと知り合いになりたかっただけなんだけどなあ。

みどり:彼女はあなたに話させるものね。
 私、もっと話させたいわ。

Johnny:彼女とは随分話したよ!

みどり:本当よく話したわよね。
 最後になんて言ってたか憶えてる?
 「随分話せて楽しかったわ」だって<笑い>。

Johnny:ヘレンはとてもいい人だよ。僕の電話番号教えて、彼女も教えてくれて、話したくなったらいつでも電話しなさいって。
 彼女と話してるととても楽しいよ。
 気にかけてくれる人たち、必要なものを整えてくれる人たちがいてくれて本当にうれしいと思うよ。いつも気にかけてくれたり、助けになってくれる人たちが大勢いてくれるから本当に心強い....。
 少しずつだけど、彼らが僕の心を和らげてくれていることが分かってきたんだ。

みどり:ジョニーのサポート・グループの年配の人たちはとても素敵で、私たちが部屋に入っていくとすぐに立ち上がって握手して、昨日なんかジョニーのまわりに一度に4つも5つも手があって....。

Johnny:そうだったね。

みどり:みんなあなたを助けようとしてるのよ。私はもう必要ないんじゃないかと思ったわ。
 私たち(APICHA)は、いまフレンドシップの輪を広げようとしてるんです。

K:難しいな。簡単っていえば簡単なんだけど。

みどり:Kさんは、友だちでいるとか、あなたのために側にいるとか、とてもシンプルに聞こえるけど、すごく難しいって言ってるのよ。

Johnny:ああ、簡単じゃないさ。

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 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
K:バディと友情との違いは何か?ってみどりさんに聞いたんです。
 でも、彼女と話したあと、私たち日本人は本当の友情なんて理解してないんじゃないか?ってことに気がついたんです。だとすると、ばかげた質問だったよね。

Johnny:バディは、HIV や AIDS を持っている人と友だちになるボランティアにオーガナイゼーションが与えた名前だけど、僕はみどりのことをバディだと考えたことはないよ。彼女は僕の親友なんだ。

K:だから、多分日本では、何がバディかを学ぶ前に、何が友情かとか、何が愛情かとかを真面目に考え始めた方がよさそうだね。
 おそらくそれが答なんだろうな....。

Jasmine:彼らがバディって言うのは、ここにあなたのためのボランティアがいますよって言うよりも、バディって言ったほうが親しい感じがするし、いい言葉だからだと思うわ。
 ボランティアと言うと仰々しい感じがするし、バディは感じのいいピッタリの言葉だわ。

K:問題は、どうやって説明するかなんだ、多分。どうやったら説明できるのかわからないな。

Johnny:お互いに気にかけている人? 助けが必要な人を助ける人? それだけだよ。

K:ああ、とてもシンプルだね。
 1月に日本で大きな地震があったのは知ってる?

Johnny:もちろん。

K:その時は、確かに助け合うことができたんです。何故なら、誰もが神戸で何が起こっているか、テレビで見て知ってたから。ところが、他のことになると、何が起こっているのかよく理解できない。だから、お互いに助け合うために立ち上がることができないんだ、大抵は....。

Johnny:何かおそれてるからなのかな? 偏見とか何か....。

みどり:PWAs(People with AIDS)に対して?

K:多分 HIV 特有のことではないと思う。
 日本ではあらゆることが均一だから、違うものは何でも除外しようとしがちなんだ。

みどり:日本人は何か大切なものをなくしちゃったんじゃないかしら。昔は助け合って生きていたはずなのよ。

K:私もそう思う。

みどり:歴史を遡ればね。

Johnny:何でもそうだけど、HIV で困っているような人を助けるのはとても大切なことなんだ。ケアと理解を示して....。

みどり:どうして他人を助けられるんだと思う?

Johnny:え?

K:<笑い>。

Johnny:どうして他人を助けられるんだと思うかって?
 ジャズミン、答えられる?<笑い>

みどり:誰かを助けたいと思うとき、じゃあ、どうして助けたいと思うの?

Johnny:だって、助けの必要な人を見たとき、助けずにはいられないだろう? 目の見えない人が道を渡ろうとしていたら....。

Jasmine:道を渡るのお手伝いしましょうか?とか言っちゃうわよね。

Johnny:目の見えない人の中には、そういうの嫌いな人もいるんだ。自力でやりたいと思ってる人が....。
 僕は誰か来て助けてくれないかな?と思うんだけど(※1)、自分で頼むのは苦手なんだ。
 ※1 ジョニーはサイトメガロウイルス感染によりほとんど視力を失っている。

みどり:聞かれるのは構わないんでしょ?

Johnny:ああ、僕はね。でも、それは一人一人違うんだと思うよ。ものによってはあれは嫌いだとかこれは嫌いだとか、それは人によると思うよ。
 でも、誰かが本当に僕を助けようとしてくれるなら、僕はいつだって嬉しいよ。僕が困っているのを見て、誰かが助けを申し出てくれると、僕はとっても嬉しくなるんだ。

K:ジョニーがどうしてほしいか分かるから助けられるんだろうね。
 うーん、難しいな。

みどり:単純だから難しいのよ。
 ジャズミンはどうして他人を助けたいと思うの?

タバコある? Johnny

大丈夫? K

大丈夫だよ<笑い>。 Johnny

Jasmine:学校でもやってるし、コミュニティ・サービスでもやってるわ。

みどり:どうして助けたい思うの?

Jasmine:どうして?
 どうしてか?って言うと、助けを必要としている人が大勢いることは分かってるし、他にいい方法もないし、何もしないなんてできないわよ。誰かが助けなきゃ。
 助けるのは、その人たちの喜ぶ顔が見たいからよ。悲しそうな顔なんて見たくないもの。私だって悲しくなるし。だから助けるのよ。
 私は、そのコミュニティ・サービスで年に2回食べ物の配給を手伝ってるんだけど、英語をしゃべれない人でも嬉しそうな顔を見ることができるし、みんな笑顔で「ありがとう」って言ってるわ。彼らが幸せそうなのを見ていると、心の中がとてもゆたかになるの。

Johnny:ジャズミンはエイズ・ウォーク(※1)にも出てるし、僕の自慢の姪だよ。とても自慢なんだ。
 ※1 HIV/AIDS をサポートする世界最大の NGO である GMHC(Gay Men's Health Crisis, New York)が主催するファンド・レイジングのイベント。参加者(ボランティア)がニューヨーク市内を練り歩き、人数や距離に応じて企業や個人が寄付をする。寄付金は数億円に達する。

Jasmine:みんな時間を無駄に使ってるでしょ? 私は何か役に立ちたいわ。妹なんか一日中家にいてテレビ見てるだけ....。

Johnny:有意義な時間にしないとね。

メンソールのタバコだけど? K

僕、メンソール好きなんだよ。 Johnny

K:いいんですか、みどりさん? ジョニー、タバコ吸ってますよ。

みどり:それは、彼が決めることです<笑い>。
 彼、タバコはとめられてないんです。

Johnny:そうそう<笑い>。

みどり:稲田先生(※1)もOKって。あら、先生寝てるわ。
 ※1 稲田先生は、ニューヨークにあるセント・ルークス・ルーズベルト病院の内科・リウマチ学研究室の部長でありコロンビア大学の主任研究員。80年代初期からエイズの研究に関わっている。また、イナダ・ラング・エイズ研究財団を設立し、同病院を中心に日本人医師・医療関係者のための HIV/AIDS 医療研修プログラムを推進している。
 稲田先生は、ファンド・レイジングのためにキャノン・ボールに出走を予定していたが、この日の早朝、スタート地点のデトロイトへ向かう途中で車が故障。これを引き取りに行き、肉体的な疲労と精神的な落胆の中、我々のインタビューにご同行下さった。
 ちなみに、先生はヘビースモーカーでカンピー愛好家。

K:先生、疲れてるんだよ。

Johnny:だから静かだったんだね。

みどり:先生、随分疲れてるのね。

Johnny:もっと多くの人たちがこの病気のことを理解するようになれば、こわがるどころか、カジュアル・コンタクトではうつらないんだということが分かるはずだよ。セクシャル・コンタクトや静脈内に注射する麻薬使用以外ではうつらないんだということが....。
 僕は、いまでも感染していることを知らない人に話すのは不安だよ。それを聞いた人がどう反応するか分からないから....。もっと多くの人たちが理解してくれたら、随分居心地がいいんだろうけどな。それが、僕があまり外出しない理由なんだ。それは、この近所でも起こり得ることだし....。でも、エイズなんて全然気にしないっていう人もいて、時には勇気付けられることもあるよ。理解さえすれば、彼らも差別しないんだろうけどね。

ポケット灰皿だよ。 K

ニューヨークのスモーカーの必需品だね(※1)<笑い>。 Johnny

 ※1 ニューヨークでは禁煙運動が盛んで、ビル内や一定規模以上のレストランではタバコを吸うことができない。しかし、その反動で、戸外での喫煙は日常的な風景であり、路上には吸殻が目立つ。

Buddy in New York - ささえてくれる人のために

◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship) ❒ ささえてくれる人のために

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
F:今日、ジョニーのごく自然な姿勢を見て、ちょっと驚いてるんだけど....。

Johnny:以前はそうじゃなかったから、みんな随分驚くよ。
 僕は目が見えないんだ。左目の視力がなくなったときはとても辛かったけど、今では右目もボンヤリ影が分かる程度になってしまった。でも、僕にとって重要なのは、強く生きることなんだ。強く生きて、ギブ・アップしない。そのことが、僕を助けてくれる家族や友だちのささえになる。僕を背後からささえてくれる家族や友だちを悲しませることはできないよ。

K:それは、HIV 検査で陽性と分かる前から同じ姿勢なの?

Johnny:全然違うよ。

K:変わったということ?

Johnny:そう。随分変わったよ。だって、あまり時間が、生きている時間がないから。
 何がしたい?とか聞かれるんだけど....。例えばバケーションにしたって、僕は目が見えないからエンジョイできないし、映画も好きなんだけど....。だから、僕は自分にできる他のやりかた、他のことを見つけなきゃならないんだ。

みどり:徐々に見つけてきてるじゃない。

Johnny:そう思う?

みどり:今あなたは他の人にメッセージを伝えてるし....。

Johnny:ギブ・アップしたくないんだ。何か役に立つ仕事がしたいんだ。何もできないほどからだが弱っているとは思わないし、HIV ポジティブというだけで何かしてもらってばかりいるように感じるんだ。助けてもらってることは分かってるよ。でも、僕もボランティアとして他の人のために働きたいんだ。

Jasmine:これはできない、あれもできないと言って何もしない消極的な人がいたら、ちょっとプッシュしてあげて、何かをするように仕向けるのはいいことだと思うわ。 「やってみようよ」って元気付けてあげるのよ。そうすれば、その人は強くなるし、強くなったと感じると思うの。 「ああ、この人は、私ができると信じてるんだ」って。

みどり:勇気付けてあげるのね?

Jasmine:そう。そういう勇気付けがあれば、随分大勢の人たちが、自分にはいろいろなことができると思うようになるわ。だから、「あなたならできるわよ、やってごらんなさいよ」って言ってくれる人が必要よ。そして、実際にやってそれができれば、気持ちがいいし、自信もつくと思うの。
 そういう意味でも、バディは大切だと思うわ。

Johnny:ネガティブに考えちゃダメなんだよ、ポジティブに考えなきゃ。ネガティブにとらえるとからだもまいっちゃうし....。自分自身を信じなきゃ。

F:みどりさんはジョニーから何を受け取ってると思う?

みどり:友情。特に、ここには家族がいないし、あなたは私の弟のようなものだし、あなたの家族は私の家族のようなものなの。

Johnny:僕の両親は彼女をとても愛してるよ。

みどり:いつでも歓待してくれるし、彼らといることがとても楽しいし....。
 それから、私もジョニーから生きる活力を得ていると思うの。
 彼はいつも私のことを気にかけてくれて、「ちゃんと寝なきゃダメだよ」、「働き過ぎちゃダメだよ」って言ってくれるの。

Johnny:彼女はいつも仕事ばかりしてて、忙しくて忙しくて、彼女の時間なんて全然ないんだ。それに、いつもやたら重いカバンを持ち歩いているんだ。

K:それは知ってるよ。何でも入ってるだろ?

Johnny:まったく驚きだよ。

K:日本ではボランティアは「何かを与えること」だと思われてるんだ。

みどり:絶対に得てるものがあるはずなのよ。
 ジャズミン、言ってること分かる?

Jasmine:ええ。

みどり:基本的に私もさっきジャズミンが言ったのと同じように考えてるの。
 ジョニーが悲しいと私も悲しいし、彼が幸せなら私も幸せなの。あなたの笑顔が見たいだけなのよ。あなたの笑顔が私を幸せにするし、それが私の心のささえにもなる....。
 私、日本人ってもう少し「素朴」にならなきゃいけないんじゃないかと思う。
 楽しんでいることを心から楽しまなきゃ。

F:中国の人はどうなのかな?

Jasmine:年配の中国人は、本国ではほとんどの人が貧乏でお金もなくて、アメリカへ移民してきて、子供には楽をさせたくて猛烈に働いて....。
 私の両親も、同じように私や妹が楽できるように一所懸命働いて....。それは、自分たちのためにやるんじゃなくて、子供のためにやってるのよ。自分の子供を幸せにするために....。本国でもそうじゃないかと思うんだけど、節約して、子供のためにお金を残して....。

Johnny:ジャズミンの両親はとてもハードなんだ。彼らはアイスクリーム店のオーナーで、一日11時間、一週間休みなしで働くんだ。家族を養い、子供を学校に、大学に行かせるために。子供のためには惜しみなく使う。姉さん(ジャズミンの母親)は、いつも感謝の気持ちを忘れるなって言ってるよ。
 毎日働いて、休みは一日もなし。仕事、仕事、仕事。

みどり:お父さんは、あなたのこととても気にかけてるわ。
 あなたが入院してたとき、言われるまで毎日毎日お見舞いに来られてたじゃない? 病院まで1時間以上かかるでしょ?

Jasmine:お祖父さんは、ジョニーのためにできることは何でもするわ。

Johnny:十分にコミュニケートできなくてもね....。

みどり:でも、あなたのお父さんがとても心配してることはよく分かるでしょ?

Jasmine:一族みんなが気にかけてるのよ。誰かが傷つけば、他の誰かが助ける。お祖父さんだけじゃなくて、私だって放課後とかにお見舞いに行くし....。

みどり:だからあなたの家族は大好きなのよ。うらやましいと思うわ。本当にいい家族よ。

Johnny:みどりとかがそう言ってくれても、最初はよく分からなかったんだ。
 父さんがお見舞いに来たとき、僕の友だち(HIV感染者)はとてもびっくりして、彼の父親はそうしてくれないってとてもうらやましがってたよ。
 以前はそういうことがよく理解できなかったんだ。

みどり:本当すごいと思うわ。ジャズミンもあなたを助けてる。お姉さんもあなたを助けてる。

K:もしかしたら、僕たち日本人は、お互いに助け合うことの大切さを理解する、あるいは思い出すスタート・ラインにいるのかもしれないね。理解するために、彼らをちょっとプッシュしなきゃ。
 そろそろ行きましょうか?

F:あまり長いと....。

みどり:ジョニー、帰る?

K:どうもありがとう。

Johnny:どういたしまして。また、いつでも。