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2011年12月26日月曜日

優れ小物

<iPhone Live>
これは何でしょう?

何と iPhone 用の折り畳み式小型キーボード(普通のキーボードより二周りほど小さく、さらに半分に折りたためる)。

Blue Tooth で簡単につながり、どんどん入力できる。旅行(出張)のお供に最高。特に飛行機の中でのメールやブログ書きに威力を発揮すること間違いなし。

久しぶりの優れ小物の紹介でした。因みに、DinoDirect だと、かなり安く買える。

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New York

<iPhone Live>
久しぶりに家族で New York に遊びにやってきた。

朝ボストンを出て、昼過ぎに NY に着き、マンマミーアの昼公演を見て、散歩がてら五番街のユニクロで買物をし、イタリアン・レストランで食事をしてホテルにチェックイン。明日は美術館を回ってボストンに帰る。

今日は長女と次女が交代で NY まで運転、後部座席に座っての家族旅行は初めてかもしれない。

ミュージカルは久しぶり。物語は単純だし、ABBAの音楽には馴染みがあるし、なかなか楽しめる。

五番街のユニクロはとても大きな店舗なのに超満員。日本勢が頑張ってくれるのはうれしい。ヒートテック商品は超人気。自分も来月のパリ旅行のためにタイツを買った。

NY はとにかくすごい人出。M&M チョコレートのビルに入るのにも長い列、MoMA の前の屋台にまで長蛇の列ができていた。経済復活の兆しとすれば、我慢しなければ。

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2011年11月20日日曜日

メーシーズ百貨店

<iPhone Live>
Amtrak は NY の Penn Station (Pennsylvania Station、マディソン・スクエア・ガーデンのあるところ)に着く。目的地の Andaz Hotel(5番街41丁目)までは1キロ強あるが、道も混んでいるようだし歩いていくことにした。

犬も歩けば棒に当たる。ブロードウェイにある百貨店=メーシーズ(Macy's)の本店のショー・ウィンドウのクリスマス用のディスプレーがとてもきれいだった。今年は操り人形がテーマのようだ。

少し時間があったので、紀伊国屋に寄ってパリの旅行ガイドと妻のシステム手帳用の来年のカレンダーを買った。

用事を終えて帰り道も歩いた。

タクシーに乗りたかったが、夕方のNYではタクシーは歩くより遅いことが多い。

お陰で、Macy's のディスプレーをもう一度、ゆっくり見ることができた。

本当に見事だ。

見事なディスプレーの近くの歩道では屋台が出て簡単な食べ物やドリンクを売っていた。

ソーセージが焦げて白い煙を出している。先月の上海の夜(最後から3番目の写真)を思い出す。

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2010年11月17日水曜日

待合せ(Rendezvous)< iPhone Live

友人との待合せは49丁目のウォルドルフ・アストリア・ホテルで。

一階レセプションのロビーにある時計台が目印。天辺には自由の女神像が。

数年前、ブッシュ前大統領のお父さんの講演会に来たことがある。その時はダークスーツ指定だったので、時計台の周りは黒の正装で圧巻だった。

真実(Truth)< iPhone Live

前の記事(雲の上はいつも晴れ)を書いてから飛行機が降下を始め、重要な事実に気がついた。そう、いつまでも雲の上にいるわけにはいかない。飛び立った飛行機はいつか必ず着陸しなければならない、とんでもない土砂降りでも。

幸いNYは風は強いがよく晴れていた。

ボストンからくるとどうしてもビルを見上げてしまう。

お弁当(Bento)< iPhone Live

このお弁当、5ドル99セントはとても良心的。おーいお茶が2ドル35セントはちょっと高い。

「地球の歩き方」は、1600円のが30ドルだった。これは犯罪すれすれでしょう。

紀伊国屋(Kinokuniya)< iPhone Live

ローガン空港に少し早く着いたので、一本早いシャトルでNYに来た。

待合せ時間まで少し余裕があるので、42丁目の紀伊国屋で地球の歩き方(次のターゲット=バルセロナ)を買った。ここの二階にカフェがあって、弁当があったのでここでお昼。

客は日系の顔目立つが、英語で話している人が多い。

快晴(Fair)< iPhone Live

お、快晴じゃん、と思ったらここは雲の上。Utadaの曲にそういう歌詞があったな。

最近会社できついことが多い。地上は土砂降りでも雲の上はいつも晴れ、だね。

シャトル(Shuttle)< iPhone Live

最近よく飛行機に乗るな。今日は会社を休んで日本から来る友人に会いにNYまで行く。

NYまでは飛行機で1時間。車で3時間半なので、時間的には車でもいいのだが、夕食後に車を運転してボストンに帰って翌日会社に出るのはちょっとつらい。

この国では、前を走っている車に金髪を認めた場合、イヌか人間かを見分けるのはかなりむつかしい。飛行機の場合は人間ですね。日本だとイヌの確率が高い。

2008年12月24日水曜日

ニューヨークでクリスマス・イブ(Christmas Eve in New York)

久しぶりに家族全員でクリスマス・イブのニューヨークへ出かけた。ボストンからニューヨークは3~4時間のドライブ<地図>。アメリカのハイウェイは広くて車が少ないし、オート・ドライブも使えるので日本より疲れないような気がする。

タイムズ・スクエアに駐車してロックフェラー・センターRockefeller Center)辺りを探索。例の小さなスケート・リンクのところには恒例のクリスマス・ツリーが(最近は日本の方が立派なように思う)。

右の写真は、タイムズ・スクエアに出現した自由の女神。記念写真で生計を立てているとは知らなかった。

タイムズ・スクエアの最近の人気スポットは、トイレット・ペーパーのメーカーCharminが提供するレストルーム(期間限定)。この辺りには公衆トイレがないので、清潔でしかも無料は貴重。

今夜はバードランド(Birdland)というジャズ・クラブでディナーして、クリスマス・イブの生演奏を満喫しました。

2008年7月15日火曜日

ブルー・ノート(Blue Note)

ニューヨークに出張で出かけた。仕事といっても懇親が主な目的で、妻同伴の出張。初めてアムトラック(鉄道)を使った。

パーティーの後、マンハッタンの南にあるブルー・ノート(Blue Note)に行った。ブルー・ノートは、日本にも支店があるし、NY店も日本人観光客が多くてミーハーな感じはするのだが、やはり出演者がいいので結局ここへ来てしまう。今日はチャック・マンジオーネ(Chuck Mangione)のステージ。老練なプロのトランペット演奏を満喫した。

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Blue Note Jazz Club
131 W. 3rd St
New York, NY 10012
212-475-8592

2006年8月25日金曜日

夏休み大学見学旅行(College-Visiting Trip on Summer Vacation): Columbia

《シリーズ共通記事》
長女と次女が高校生なので、大学の下見を兼ねて8月の20日から25日まで、家族全員で5泊6日の夏休みの大ドライブ旅行に出かけた。まずレキシントンからノースキャロライナ州のDurhamまで一気に700マイル(1120キロ、休憩なしで12時間)を南下し、翌21日から徐々に北上しながらDuke University(Durham, NC)、The College of William & Mary(Williamsburg, VA)、The Johns Hopkins University(Baltimore, MD)、Swarthmore College(Swarthmore, PA)、Princeton University(Princeton, NJ)、Columbia University(New York, NY)を訪問して、大学のツアーなどに参加した<地図>。





<リンク>
2006/8/25 Columbia
2006/8/24 Princeton
2006/8/23 Swarthmore
2006/8/23 Johns Hopkins
2006/8/22 William & Mary
2006/8/21 Duke

2006年8月24日木曜日

夏のニューヨーク(New York in Summer)

夏休み大学見学旅行(College-Visiting Trip on Summer Vacation)の途中、息抜きのためニューヨークで一泊。いつものようにロックフェラー・センター周辺(Rockefeller Center)をぶらぶらした。右の写真は五番街に面した聖パトリック大聖堂(St. Patrick's Cathedral)。

<リンク>
2006/8/25 Columbia
2006/8/24 Princeton
2006/8/23 Swarthmore
2006/8/23 Johns Hopkins
2006/8/22 William & Mary
2006/8/21 Duke

夕食の後ブルー・ノート(Blue Note)へ。タニア・マリア(Tania Maria)というブラジル人アーティストのバンドで、迫力満点。Wikipediaに略歴が載っていた。

ステージが終わってから控え室に押しかけ、しっかりCDにサインをもらいました。Thanks for the "SWING"と書いてあった。

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Blue Note Jazz Club
131 W. 3rd St
New York, NY 10012
212-475-8592

2006年3月23日木曜日

ウォルドルフ・アストリア・ホテル(The Waldorf Astoria)

あるスイスの化学会社の招待でニューヨークのパーク・アベニュー沿いにあるウォルドルフ・アストリア・ホテル(The Waldorf Astoria)で開催されたDCAT(Drug, Chemical & Associated Technologies )という団体の80周年記念大会(夕食会)に出席した。

右の写真はウォルドルフ・アストリア・ホテルのロビー。ウォルドルフ・アストリアはニューヨークでも有数の高級ホテルで、夕食前の待ち合わせは正装の人がほとんどだ。

今日の夕食会のゲストはGeorge W. Bush現大統領のお父さん、第41代大統領George H. W. Bush

現大統領(息子)の物まね(首の振り方)や大物政治家に関する辛口のジョークなどを交えた公演は大変面白かった。こういう場所にいるとアメリカ人の仲間入りをしたような気がする。

1995年6月12日月曜日

Buddy in New York

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
当時私は日本の製薬会社に勤務し、その会社の企業内労働組合(組合員1300人)の非専従(仕事と兼任)の中央執行委員長をしていた。

連合が『ゆとり・ゆたかさ』を目標に掲げる中、医薬品産業に働くものが直接それを追求することには疑問を感じた。コミュニティという概念やお互いに助け合う構図の中で何か新しい切り口は見つけられないものかと考え、1994年7月4日~16日『AIDSボランティア』に焦点を当ててアメリカを訪れた。この記事は、その翌年、1995年6月、今度は『バディ』というAIDSボランティアの日本人女性とAIDS患者に焦点を当ててニューヨークを訪れた。

各記事は右のメニューから選択。

Buddy in New York - はじめに

◇はじめに

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
私たちは、昨年(94年)の夏、HIV/AIDS に関与するボランティア関連施設・組織、医療・研究機関、政府機関、企業・労働組合などアメリカ東部の約20ヶ所を訪問し、『コミュニティ』の存在の重みとその中でのエイズ・サポートの実態を見聞した。その成果は《AIDSボランティア訪米報告》にまとめた通りであり、『バディ』に関する今回の訪米の基盤を成すものであり、阪神・淡路大震災に対する支援活動・募金活動の試行錯誤の中で、その重要性を改めて認識させられた内容でもある。

しかし、ボランティアとコミュニティに関連して、一つ大きな疑問が残った。コミュニティの中での相互扶助の構図は、あくまでもコミュニティに視点をおかなければバランスがとれない。では、一人一人の人間に視点を移したとき、人はどう人をささえ、人はそのささえをどう受け容れることができるのだろうか?

つまり、あるサイズのコミュニティを想定すれば、ギブ・アンド・テイクの主体やその時期は大きな問題ではなくなり、確かにコミュニティ・レベルで常に収支が合うことになる。しかし、コミュニティの合理性だけで人間は行動できるものだろうか? ギブ・アンド・テイクの主体はあくまでも個人なのだから、個人レベルで精神的なバランスをとるためのメカニズムが『ギブ』と『テイク』の双方に何か存在するのではないだろうか?

そんなことを考えていたとき、ニューヨークで『バディ』というエイズのボランティアをされている日本人の女性がいるという話を聞いた。『バディ』は、相棒とか親友という意味の言葉で、HIV 感染者/AIDS 患者との安定した人間関係を基盤として精神的なサポートを行うマン・ツー・マンのボランティアだ。形態としては最もシンプルだが、人と人との関係として、きわめて奥の深いボランティアではないだろうか。

何かキッカケがつかめるかもしれない。彼女とどうしても話がしたくて、再びニューヨークを訪れた。ニューヨークへ向かう飛行機の中、機内放送のチャンネル6、イヤホーンから聞こえてきたのは期せずしてジョン・レノンの『イマジン』だった。偶然にしては奇遇過ぎないか?

SIDE A は、ニューヨークで『バディ』のボランティアをされている松本さんとのインタビューを記録したものであり、SIDE B は、松本さんがサポートしているジョニーの家を訪れたときの記録だ。松本さんとジョニーの話を聞くうちに、『バディ』が、ささえ・ささえられるという単純な構図では理解できないことが次第に明らかになっていった....。

《SIDE A》
◇松本みどりさん(33)、ニューヨークでマスコミ関係に勤務する傍ら、積極的にボランティア活動に参加。
◇1995年6月4日(午後)、ブルックリン、ニューヨーク

《SIDE B》
◇松本みどりさん(33)
◇ジョニー(27)、松本さんのクライアント。中国系アメリカ人。免疫機能の低下によりサイトメガロウイルスに感染、視力が極度に低下している。
◇ジャズミン(18)、ジョニーの姪。ごく自然にジョニーをささえている。
◇1995年6月11日(午後)、◇コニーアイランド、ニューヨーク

Buddy in New York - バディってなに?

◇1:1のAIDSボランティア ❒ バディってなに?

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
今日のお話は、どんな形になるかは分かりませんが、できれば活字にして紹介したいと思ってるんです。
 バディってなに?って話、まとまったものは本当にないですから。

みどり:ええ、でも定義付けって難しいですよね。私もなに?って聞かれると困っちゃう。

バディって「こういうものです」というよりも、読んでいるうちに「あ、こういうことなの」っていうのが捉えられたらいいと思うんです。

みどり:バディの中身は、クライアント(※1)との関係によってそれぞれ違ってくると思うんです。
 でも、基本的には、ま、「友人」なんですよね。
 例えばAPICHA(※2)のような支援団体がありますが、団体として、あるいは仕事としてやる分にはやっぱり限界があるし、越えちゃいけない一線っていうのも当然あるわけです。ソーシャル・ワーカーにしたってそうです。その越えられない、越えたところの部分をバディがサポートする、っていう感じだと思うんです。
 ※1 この場合、バディの相手、つまりサポートの対象であるHIV感染者/AIDS患者のこと。
 ※2 Asian & Pacific Islander Coalition on HIV/AIDS, Inc.。アジア・太平洋諸島系に特化したHIV/AIDS支援団体。アピチャあるいはアパチャと発音されている。

関係としては個人が強いですか? 組織というよりは....。

みどり:ええ、個人の関係だと思います。
 もちろん、個人(ボランティア)と組織があって、クライアントがいて組織があって、そしてバディ・プログラムがあって....。組織は仲介役的なところはあると思います。

現実には、例えば週に何回とか?

みどり:何も決められてないんですけど、確か週に3時間以上はやるなって最初のときに言われました。

やるな?

みどり:ええ、要するに無理があってはいけないっていうことなんです。

それは、例えば松本さん側に無理があっちゃいけないということですか?

みどり:はい。

3時間ね。それは意外だったな。

みどり:越えないようにって。でも、越えてますけど....。

越えちゃいますよね?、結局。

みどり:越えますね。

長期不在するときなんかは、代わりに誰かが行くということですか?

みどり:そういう場合もありますし、クライアントの状態によっては APICHA のクライアント担当の人がそのまま面倒をみるということもあります。でも、もちろんバディのような密接な関係というのはなかなか難しいですよね。
 バディのリクアイアメント(APICHAの要請)は1ヶ月に6時間から8時間。それが最低限です。
 もう一つのリクアイアメントは、1ヶ月に1回、バディのサポート・ミーティングというのがあるんです。それが、だいたい1時間くらい。あとは、1ヶ月に1回、状況をレポートするんですけれども、(サンプルを見せながら)それがこういう感じで....。

随分長いものですね。この方(クライアント)とはいつ頃から?

みどり:ええと、去年の3月。
 まあ、入院してたりすると書くこと多くなりますし、状況が変わったりなんかすると....。最近ちょっと多いですね。先月22時間、4月も22時間、3月23時間。
 ただ、私の場合には、彼、住んでるところが遠いんで、家を出たときからの時間で計算するんですよね。要するに、ボランティアの時間はそういった移動の時間も含めたものっていうことで....。そういうのが含まれるんで、1回往復すると結構な時間になっちゃうんです。
 最近は、向こうの家に行くと(歓待されて)フォアグラ状態にされるんで、食べてる時間も長いんですよ<笑い>。

電話も20回ということですか?

みどり:ほとんど1日おきくらいにはしてますね。
 あと、一応日誌みたいのをつけてるんです。真面目に書くときもありますし、電車の中で書いたりすることもありますけど....。これをベースにして毎月のレポートを書いてます。

普通の話をするんですか?

みどり:そうですね、だいたい「どう?」っていうことから入って、普通の時には「うん別に」って。
 ジョニーはね、あんまり自分から話すタイプじゃないんです。だから、ただ「どう?」って聞くと、「I'm OK.」って、こういう答が返ってくるんですよ。それで、状況を知ってれば、「頭痛はどう?」とか「咳はまだ出てる?」とか、そういうところから始めると少しずつ話してくれるんですけれども....。
 まあ、そういうからだの状態のチェックをして、落ち込んでたりなんかする時には「なんで?」とか、家族のこととかも結構話したりします。もちろん普通の、「私は何をしてたか」とか、仕事の話なんかもしますし、出張のあとだったら、「どこ行ってたの?」とか「どういう会社に行ったの?」とか....。
 彼が最近一番最後に言うのは「Don't work too hard.」って。「あんまり働き過ぎちゃダメだよ」って、いつも言われるんです。

逆に気をつかわれてたりして....。

みどり:私のやり方は、私もオープンにしちゃうんですよ。自分のことも、それから会社の愚痴もたまに言います。例えば、何か悔しいことがあったりすると、そういった話もしますし、どこまで面白いのか分からないですけど、でも私も丸裸になることによって向こうも安心感が出るというか、同じ関係になれる。あくまでも私が上にいて、向こうが下とか、そういう関係じゃないんだっていう....。

バディの関係ができると、それは1対1なんですか?
クライアントを2人持つとか....?

みどり:そういう人もいます。でも、それは、クライアントのからだの状態にもよりますし、バディのスケジュールにもよりますよね。
 私は、APICHA の中でバディを始めた一番最初の人間なんです。最初3人で始まったんですよね。で、一人はわりと若い女の子だったんですけど、彼女にはちょっと荷が重すぎたみたいで、すぐやめちゃったんです。
 もう一人の人は2人クライアント持ってました。彼女は看護婦さんだったんです。もともとプロフェッショナルな人なんですけど、クライアントの一人がわりと状態も安定してて、まだそんなにからだにも症状が出てない....。しかもマンハッタンのずっと上の方に住んでたんで、電話でのやり取りだけっていうのは聞きました。だから二人いてもできたのかもしれませんね。

クライアントから見た場合、バディは一人なんですか?

みどり:それはよく分からないですね。でも、今まではバディの数が不足してて....。ただ、こういうケースはあります。
 APICHA では感染者/患者さんたちのミーティングが月に2回あるんですけど、その中でもお友だちできますよね。で、こうこうこういう人がいてどうのこうのっていう話も出てくるんですけど、たまたま私のクライアントが入院しているときにそのうちの一人がお見舞いに来てたんです。で、「みどりでしょ? ジョニーのバディだよね。誰々知ってる?」って言われて、私はたまたま知ってたんで「ええ、知ってる」って言ったら、「彼、ぼくのバディなんだ」って....。そこで初めてお互いのバディの関係がオープンになって、今はお互いにお互いのこと話しますし、「彼はどうしてる?」とか電話がかかってきたり、向こうも私の話とかしてるみたいですし....。
 で、その友だちの方のバディがしばらくインドに帰ってた時期があったんです。そのときに、その子のからだの状態がよくなくなって、すごく落ち込んでるって話をジョニーから、私のクライアントから聞いたんです。で、「APICHAには電話したの?」ってジョニーに聞いたらなんか電話してないみたいだし、「私と話したいようだったら電話くれるように言って」って電話番号あげて....。そしたら「自殺したい」って電話がかかってきたんです。こりゃ困ったなと思って、本当は APICHA 通した方がいいのかなとも思ったんですけど、でもいいや、これはもう個人的な、友人としての関係でやっちゃおって。で、「とにかく明日行くから、それまで待って」って言って、翌日訪ねて....。
 そういうことはしてますね。個人的な判断のもとに友だちとしてたまに電話で話したりとか、それはもう、私は個人ベースだと思います。
 でも、そういう自然な流れ以外のときには、コンフィデンシャリティ、要するに秘守の義務が非常に大事ですから、クライアントのことは話しません。

松本さんのクライアントの方も患者さん方のミーティングには出てらっしゃるんですか?

みどり:ええ、出てます。
 しばらく出てなかったんですけど、最近はわりと出てますね。

ミーティングではどういうことが?

みどり:それこそ自分の気持ちを話したり、症状のことを話したり、あるいは薬のことについても話してるみたいです。こういう薬は効いてるとか、ぼくは、あるいは私は西洋医学には頼らないんだ、漢方でいくんだっていう人もいるみたいです。あと例えば、こういった症状が出たときにはこんな気持ちだった、だけどこういうふうにしてなんとか克服したとか....。

特に議題を設定してという堅苦しいミーティングではなくて....。

みどり:私、出席したことないんです。
 それは、あくまでもクライアント同士のミーティングなんです。一人だけコーディネータがつくんですけど、その人はソーシャル・ワーカーで、プロなんです。

それにはバディは参加しない?

みどり:参加しません。それは、彼らが彼らの間だけで話すことなんで....。
 逆に、バディのサポート・ミーティングにはクライアントは参加しません。

Buddy in New York - 社会の枠組みの隙間

◇1:1のAIDSボランティア ❒ 社会の枠組みの隙間

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
いろんな角度からそういう支援の手というか、つながりがあるわけですね。

みどり:その辺は、昨年もいろいろ見てらしてご存知だと思うんですけど(※1)、例えば APICHA のような支援団体があって、その中にクライアントのサポート・グループやバディ・プログラムがあって、あとこういう団体の他に、病院のソーシャル・ワーカーが入ったり、メディケード(※2)ならメディケードが認められればさらに自宅看護がつくんです。
 それから、私のクライアントの場合には、目が見えなくなったので、目の見えない人用の団体でソーシャル・ワーカーが一人ついてて、精神科医のカウンセラーもついてます。
 ※1 昨年(1994年)アメリカ東部の20箇所を訪問し、HIV/AIDS に関するサポートの実態を調査した(AIDSボランティア訪米報告)。
 ※2 低所得者を保護するための保健制度。

その辺と、バディの違い?
 多分それでは足りないからできてきたんだろうと思うんですけど....。

みどり:あくまでも病院だとか他の支援団体っていうのは社会の枠組みの中ですよね。だから、どっちかっていうと表の部分、オフィシャルな部分になるわけで....。その人たちは仕事ですから、やっぱり越えちゃいけない一線ってのを守らなきゃならないと思うんです。じゃないと、いくつからだがあっても足りないですし....。だから、そういう社会の枠組みの隙間を埋めるのがバディなのかもしれませんね。
 で、じゃ家族との違いは何なんだろう?と思ったときに、こちらは移民の人、アジア系で家族のいない人ももちろん多いんですけれども、例えばジョニーの場合には家族がいるんです。でも、家族では話せないっていうこともあるんですよね。
 それから、じゃ昔からの友人とじゃどう違うのか?って言ったときに、もちろん親しい友人には話せたりするのかもしれませんけど、必ずしもその友人が、エイズという特殊な問題、社会的あるいは医学的な問題に理解があるかっていうと、それは分からないですよね。
 そういったところで、バディはそこに焦点を当てた関係になってる。
 私がこのバディを始めたとき、私のクライアントはあんまり話したがらなかったんです。もちろん、なんらかのサポートがほしいから APICHA に連絡を取って、こうしたプログラムにも入ったわけなんですけど、自分の中で消化しきれないうちに、「こういうサービスがあるけどどうか」、「こういうのもあるけどどうか」って言われて、なんとなく「それじゃ」みたいな感じで....。そして、なんで自分にバディが必要なのかよく分からないまま私がついて、もちろん私も初めての経験ですから、ジョニーが何を求めてるかも分からないし、最初はとにかく話したがらなかった....。
 「友だちでいてほしい」って言われたんです。で、「分かった」って言いつつ、どうしてもからだの状態だとか、あるいは、例えばお医者さんのアポ(予約)、他のサービス関係のアポとかのことに触れないわけにはいかない。でも、触れるとすぐ会話を外らしたがる、ってのがすごく分かったんです。話したくないのかなって思って聞いたことがあるんですけど、「病気のことは考えたくない」って....。
 あまりにも一度にいろんなサービスに入ってしまったもので、みんなから「ああやれ、こうやれ」って言われてるみたいで、すべてが嫌になっちゃった時期があったんですよね。だから、せっかくカウンセラーがついてもカウンセリングに行きたくない、すっぽかしちゃう。お医者さんだけは、月に1回、それは行ってましたけど....。APICHA のミーティングにも、行くって言っておきながら直前になってやめたり、全部シャットアウトしてしまう。で、さらに私に「どうして行かないの?」なんて言われると、もうなんか放っといてくれっていうような、そういう時期があったんです。
 どうしたらいいのかなあって、そのときは随分迷いましたね。本当にただの友人関係でいいのか、それともやっぱり違う関係を築いていかなきゃいけないのか....。

そういうケースに直面して、クライアントがどうしても合わなくて、やめられるケースもあるんでしょうね。

みどり:あるっていうの聞きますね。それは構わないんだと思いますけど....。

合わないと意味ないですよね。

みどり:それはAPICHAからもはっきり....。

コーディネータみたいな人が多少の相性は見るんでしょう?

みどり:当然それは見ます。APICHA のクライアント・サービスの人は、クライアントも知ってますし、バディの候補者も知ってるわけです。一応性格の合いそうな人間を会わせて、でも合わなかったら正直に言ってくれって、そのときは考える....。多分両方に聞いてるはずですよ、クライアントの方にもね。
 でも、少なくとも合わないとき以外は6ヶ月はコミットしてくれって言われました。ころころ変わるとどちらも落ち着かないですし、やっぱりこういう関係というのはとても時間がかかりますから....。

松本さんもそういう時期を経験されて、それを乗り越えてやっていらっしゃるわけですね?

みどり:APICHAのクライアント・サービスの人に相談したこともありますし、ジョニーと一緒に訪ねて行ったこともあるんですよ。「APICHAのサービスは受けたくないの?」って面と向かって聞いたこともあります。

友だちとして話をするということ以外に、例えばジョニーの場合には家族がいますが、それがいなくて生活がしんどくなってきたっていうケースもありますか?

みどり:いわゆる身のまわりの世話ですか?

そうですね。

みどり:身のまわりの世話は基本的に訪問看護制度があるんで、それは市の派遣になります。からだの状態によりますが、普通は1日8時間。そんなに問題のない場合は、2時間くらいの人もいるのかな....。
 ジョニーは1日8時間来てもらってます。洗濯や買い物をしてもらったりとか、出かけるときにちょっとついてきてもらったりとか。彼は目が見えませんから....。

それは....。

みどり:それは、やっぱりプロフェッショナルじゃないとできないと思うんですよ。ボランティアでできることじゃないですね。
 日本の場合には、おそらくそれが家族の肩にすべて降りかかってきちゃうんでしょうけれども....。

入院するんじゃないですか?
 つきっきりの看病というのは、できる家ばかりじゃないですから....。

みどり:家族だと当然わがままも出てきますし、私はそういうプロフェッショナルの制度っていいと思いますよ。

今ちょうど厚生省が始めてますね。
 それが日本でできるのかどうかちょっと分からないですけど....。

みどり:日本の場合には、家族が他人を入れたがらないっていうのがありますよね。

特にエイズだったらね。日本でそういうのが成り立つとはちょっと思えないですね、今の状況だったら....。

みどり:ええ....。

その在宅ケアする人なんかは、エイズということは知りながら....?

みどり:もちろん知ってます。病院にだって一緒に行きますし....。

そういう方のエデュケーションについても十分なことがされているからこそ、ためらいなくできるということなんでしょうね。
 そういう広がりというのはすごいですね。

みどり:本当にすごいと思います。
 ですから、こちらにたまたま来てて感染してしまった人の中には、そういうケアが自分の国では受けられないから帰りたくないって人もいますよね。こちらの方が十分にケアできる。家族に負担をかけなくて済む....。向こうはプロですから、お金もらってやってるわけですから、そりゃやりますよね。
 どんなことしたって、同じ注射針を共用してドラッグ打つとか、あるいは無防備なセックスをするとか、そういうことがない限りは感染しないわけですからね。あるいは、取っ組み合いの、殴り合いの喧嘩して、お互いに血だらけになるとか....。
 ねえ、あり得ないですよね、そんなこと。

Buddy in New York - 笑顔が見たい

◇1:1のAIDSボランティア ❒ 笑顔が見たい

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
バディをやろうっていう一番最初の動機というか、それに類似したことを何かやってこられてた?、それとも急に....?

みどり:考えてみれば、ずっとつながりはあったと思うんです....。例えば、小学校のころは看護婦になりたかったんですけど、絶対人に注射はできないと思ったから諦めたとか。医者も同じ理由で諦めたとか、そういう経緯はあって....。で、心理学を専攻したのも、きっと何かあったんでしょうね。
 エイズのことって私も本当に知らなかったんです。日本にいたとき、ちょうど騒がれ始めたころですけれども、なんでこんなことで騒ぐんだろう?、ただの病気の一つに過ぎないんじゃないか?と思ったくらいで、あんまり差別とかと深く結び付けて考えてなかったんですよね。みんなが面白おかしく、また何か騒いでるなって思ったくらいで....。
 こういったエイズの活動に関わるようになったキッカケは、ニューヨークに来て2年目くらいのときですか、「職場とエイズ」というテーマで取材してくれって頼まれて、それで行ったのが HBO(※1)だったんです。HBO とかワシントンのエイズ・リーダーシップ協議会ですか、それから赤十字、ちょうどビデオを出したところで、その発表会だとか、そういうの取材して、初めて「あ、これって社会問題なんだ」っていうことに気がついたんです。
 HBO で、初めて患者さんにインタビューするかって言われて....。きっとインタビューなんかも応じてくれないだろうと思ってたし、無理してやる必要もないと思ってたんで、申し込みもしなかったんです。でも、向こうから「話聞くか?」って言うから、「じゃあ」って聞いたらば、会社では何も問題ないって、よくそういう話はあるけれど、HBOは環境をうまく作ってくれて、例えば病院に入院すればみんながお見舞いにごはん持ってきてくれるとか....。
 これも話すと長くなっちゃうんですけど、私は日本の国を出たり入ったりしてたんですよ。最初こちらで生まれて、日本に帰って、今から考えるとそれなりに葛藤があって。小学校6年のときから中2までドイツにいて、帰ってきたところでまたいろいろ葛藤があって。今度は、社会に出てから女性として、普通の一個の人間として生きていけると思ってたのに、すごい大きな壁にぶち当たっちゃって、かなり精神的にまいったりなんかした時期があったもんで....。もともと、差別とか敏感に反応する方だったのかもしれませんね。
 その後、こちらの大学院に入って、「マスメディアとマイノリティ/ステレオタイプ」というテーマをやってましたから、おそらくそういうところからも社会問題としてのエイズというものに自然と興味を持つようになったんでしょうね。
 ※1 Home Box Office。会社ぐるみで HIV 感染者/AIDS 患者をサポートしているニューヨークのケーブル・テレビ局。

結果的にバディのボランティアをやる直接のキッカケというのは?

みどり: ACT UP(※1)ってありますよね、あそこのミーティングに行くようになって。エイズのこと、ちょっと知りたいと思ったもんで....。ただ、ACT UP の中ではあんまり馴染めなかったんです。やり方の違いだと思うんですけど、あんまり大声出してっていうのが性に合わなかったのと、あそこは、やっぱり白人ゲイ男性のグループなんですよね。その中で、私はマイノリティの中のマイノリティもいいとこだったんです。まず、ゲイじゃない、いわゆるストレート(※2)。しかも、アジア系。レズビアンの人たちもいましたけれども、女性は少ない。何人か友人はできたんですけど、結局は入って行けませんでした。
 そうこうしているうちに、誰かに APICHA ってグループ知ってるか?って聞かれて、コンタクト取ったのが最初なんです。それが2年くらい前ですか。2年半くらいになるかな。
 で、何回かボランティアのトレーニング受けて、徐々に、どこかでお祭があるときに一緒にブロウシャ(※3)配ったりだとか、ブロウシャ折るの手伝ったりとか、そういうところから始めて、バディのプログラムを確立するからトレーニングに出ないかって言われて、トレーニングに出て、で、やってみるか?って言われて....。
 最初ちょっと迷ったんです、実は。仕事の関係上あまり時間が取れないかな、取れないとあまりにも無責任かなと思って。でも、取りあえずやってみよう、ダメだったらダメでそのとき考えればいいやと思って、やってみたのがバディを始めた直接のキッカケですね。
 ※1 AIDS Coalition To Unleash Power。最もラジカルなエイズ活動家グループの一つ。
 ※2 異性愛。ゲイは同性愛(レズビアンを含む)。バイセクシャルは両性愛。
 ※3 教育や啓蒙に使うパンフレット。1枚の紙を折りたたんで細長い形にしたものが一般的。

なるほど。

みどり:で、なんでバディをやるのかなあ?、なんとなく APICHA から言われてってところはもちろんあるんですけれども、断ることだってできたわけですよね。なんでそれを受け入れたのかなと思って考えると....。
 基本的には「相手の笑顔が見たい」かな。見たいなあ。
 わりとまわりを気にする人間なんですよ、私。だから、相手が落ち込んでると自分も落ち込んじゃうし、相手が嬉しいと自分もわけもなく嬉しくなっちゃう。相手がニコッとしてくれる、電話したときに声がはずむっていうのがとっても嬉しいんです。
 単純なんですよ<笑い>。

最近の日本の風潮だと、そういう自然な興味から入っていくというよりも、ボランティアをするがために何かしたいっていう感じが強く出てますね。

みどり:いま確かに、みなさん何か求めてるんだと思うんです。毎日毎日、いわゆる日本全体が企業社会みたいになっちゃって、時間に追われて、会社のために生きてるみたいな中で、フッと振り返って、自分の人生って一体何なんだろう?、何のために生きてるんだろう?と思ったときに、人間ってやっぱり、お互いに頼って生きていたい動物ですよね。虚しくなって、何かできないかなって....。ちょうどそのころに阪神大震災があって、で、「何かできるかもしれない」って。
 だから、時期的には非常にいい時期なのかもしれない。もう一度見直して....。

なんとか、そうしないと....。エイズのこともあり、阪神大震災も大きな犠牲をともなってますからね。
 しかし、我々の目から見ると、松本さんのお話にはすごく「自然な流れ」があるじゃないですか。そういう流れの中でボランティアができていくっていうのは日本では難しいと思うんですよね、おそらく。

みどり:一番気をつけなきゃいけないのは、押し付けボランティアになってしまう可能性でしょうね。
 例えばエイズの話に限るならば、それがクライアントさがしにつながっちゃう。
 クライアントを持ってるのが、なんか自分の優越感になってしまう、っていうこともあり得ないことではないでしょうね。

先日、あるドクターを訪ねて、我々もこういう活動を始めてるから、何かお手伝いできることないでしょうかって話してたら、やっぱりいま言ってた患者さんさがしでもないですけど、その地域にいくつかある団体がそれぞれのポリシーで患者さんを祭り上げちゃってて、今からとても入れる余地がない。彼らは離さないって言われました。結局、患者さんもボランティアも疲れ果てちゃって、お互いに気をつかって....。
 日本はまだ患者さんも少ないですから、エイズのボランティアやっても直接報われないわけでしょ? そうすると患者さんとコンタクトしているところは、そこでクローズしちゃって、「誰にも教えない」みたいな感じで....。

みどり:ボランティアの中で優劣ができちゃうとよくないですよね。このボランティアの方が「格が上」みたいな....。
 全部同じなんですよね。例えば、こういったブロウシャを折るのだってすごく大事なことなんです。誰かがやらなきゃいけない。それは決して、例えばバディ・プログラムより劣るものでは絶対にないんです。コンドームを包むにしたって(※1)、誰かがやらなきゃならない。
 それぞれ向き不向きがあると思うんですよ。その向き不向きを自分の中でよく吟味しないと、きっとどこかで無理が出てきちゃいますし....。
 ※1 人の集まる街頭などでブロウシャやコンドームを配るストリート・アウトリーチは、HIV/AIDS 支援団体の啓蒙活動として最も一般的なもの。APICHA では、和紙や中国製の紙でコンドームを包んで特色を出そうとしている。

Buddy in New York - 想像力の問題

◇1:1のAIDSボランティア ❒ 想像力の問題

◇はじめに
◇1:1のAIDSボランティア
 ❒ バディってなに?
 ❒ 社会の枠組みの隙間
 ❒ 笑顔が見たい
 ❒ 想像力の問題
 ❒ ギブ・アンド・テイク
 ❒ 助けられられる?
 ❒ プライオリティ
 ❒ Do you like to have some help?
◇やさしさの構図/QoF(Quality of Friendship)
 ❒ あなたのそばには?
 ❒ 関係を断たれないこと
 ❒ お互いに気にかけている人
 ❒ ささえてくれるひとのために
◇おわりに(追記)
心理学を専攻されたっていうのは、やっぱり役に立ってる?

みどり:いやあ、私の心理学は行動心理学でしたから、それこそ実験ばかりで、実際の面ではなかなか....。
 難しいんですよ、バディのトレーニングも APICHA で2回くらいあったんですけど、そんなもの1回や2回じゃとても無理だし、一番難しいのは話の聞き方だと思います。

聞き上手でないとね。

みどり:相手がこうモヤモヤしているものを、どう出させるかっていう、それってすごく難しいんです。下手をすればこっちの押し付けになっちゃうし、ジャッジメントを下すことになっちゃう....。
 そういうの一応「アクティブ・リスニング」っていうんですけれども、ただ聞くだけじゃないんですよね。向こうに、本当に親身になって聞いてるよ、本当に気にかけて聞いてるよっていう意思表示をすると同時に、モヤモヤしているものが、相手が自分で話すことによってだんだんクリアになっていくような聞き方っていうんですか。

そのトレーニングは何時間ぐらい?

みどり:ほぼ丸一日のものが2回ぐらい。それプラス、その前に、一般的なボランティアのトレーニングをやっぱり2回ぐらいやるのかな。

習ったものを使えばできるってもんじゃないですよね?、きっと....。

みどり:例えば、私と彼が苦労したのは、最初私は遠慮し過ぎちゃったみたいで、遠慮し過ぎちゃったから、彼は私を、自分を全てのものからシャットアウトするための「いいわけ」に使ったりなんかしたんです。

もう少し詳しくお願いします。

みどり:いろいろ理由付けするわけですよ。自分の中に閉じこもっちゃって、何もしたくない状態。これもしたくない、あれもしたくない、その理由を直接相手に言わずに私に言うわけです。で、私は何でも聞き入れなきゃいけないと思ってたもんだから、「ああ、そうか。じゃあ、まあ仕方がないかなあ」っていう感じで全部聞き入れちゃった。
 何もしたくない。でも、実は閉じたくない。一種のわがまま、甘えなんですけど....。そこで、ちょっとプッシュする必要がある人もいる。それが、最初私には分からなくて、プッシュすると嫌がるかなと思って....。
 患者さんといえども、子供じゃないわけですから、やっぱり社会の一員であって、例えば APICHA のプログラムに参加するならば参加する、彼にもその理由があるわけだし、参加すればAPICHAに対する責任もある程度果たさなきゃいけないわけですよね、対等な関係を保つ上では。で、その責任を果たさなきゃいけないんだっていうところは、それが分からないんであれば、何らかの形で伝えなきゃいけない。
 いろいろ彼の生い立ちとかもあって、かなり精神的に不安定で、しかも甘えというか、そいう面もあったんですよね。APICHA の人と相談しながら、こう言ってみた方がいいんじゃないかとか、あるいはもっと強く出てもいいんじゃないかとか....。

そうすると、エイズということで気になったことはないわけですね?

みどり:あんまりなかったですね。別にいい顔するわけじゃないですけど....。
 私は父をガンで亡くしてるんですけど、最初にガンになったときに、会社がすぐポジション変えたんですよね。それまでかなりガーっとやってきた人間を横の配陣にパッと変えたわけですよ。父親とはほとんど会わない生活でしたね。戦後のあの世代というのは土日もなく働いてた人たち。そうやって会社のため、あるいは社会のためと思ってやってきたんでしょうけど、やってきた人たちがからだをこわした途端にポイと捨てるっていうのは一体何なんだろう?ってすごく思ったんです。
 その辺のことって、もしかしたら関係してるのかもしれませんね。

普通は松本さんほどしっかり考えてないですよね、別にエイズに限らず....。だから大変なんじゃないかと思いますよ。
 情報を得て、自分で解釈できた上で、ある程度のレベルに行ける人と、それでも全然ダメな人と、そこは別れると思うんですよ。でも、その情報を如何にうまく伝え、知ってもらうか、その辺の役割をぼくらがどう果たすか、っていうところは大きいと思いますね。

みどり:必ずしも最初から正しい情報が入ってたかというと、返って何も知らなかったのがよかったのかもしれません。変に頭でっかちになってなかったというか、耳でっかちになってなかった。
 だから、エイズは同性愛の病気で、ゲイの人たちはどうのこうのとかいう、そういう偏見から入ったわけでもないですし、ゲイの人たちのことにしても、ふうんと思うだけで、全然嫌う感覚もなかったと思います。でも病気は病気じゃないっていう....。

日本で話題になったときに、そういう捉え方ができた人は少なかったと思いますよ。
 神戸で初の女性エイズ患者が「出た」とか、ああいうニュースが広まったときに、ほとんど魔女狩り的な行動をして、一部実名報道、写真入り....。

みどり:それこそ週刊誌読んでなかったのがよかったのかもしれませんね。うち週刊誌禁止家庭だったもんで....<笑い>。
 もちろん耳にはしましたけど。でも、なんでこういうふうに騒がないといけないのかが分からなかった。だって、それまでだっていっぱい「うつる病気」ってあったわけですよね。
 例えば、こっちの、特に日本人の駐在員の人たちから聞かれるんですけど、「うつるっていうことは事実なんだから、それを避ける権利だってあるだろう?」って。でも、一歩も家から出ないで一生を終わらさない限り、他にいろんな病気だってあるわけだし、それこそ交通事故で死ぬ確率の方がよっぽど大きいわけですよね。
 唾液のことにしたって、「うつらないっていうけど、確率的にはないとは言えないだろう?」とか言うわけですよ。 だけど、じゃあ、交通事故はどうなんですか?っていう、本当にそういう問題だと思うんです。

日本人のそういう類の差別は、患者さんが身のまわりにいないっていうか、数の問題があるかもしれませんね。

みどり:あるでしょうね。
 あと、やっぱり「違うもの」を受け容れない。だから、もしエイズがですね、例えばインフルエンザのようにしてうつる病気だったら、もうちょっと違ってたかもしれませんね。

ええ、違ってたでしょうね。

みどり:だって、それが、ま、性病ですよね。性病であり、しかも一番最初にゲイの人たちの間から広まった。これはアメリカでもそうだったわけですけど、だからこそ、差別と偏見を生み出す。社会の醜い部分をえぐり出したような、膿をバッと一気に出さしたような、そういう病気だなってすごく思うんですよ。人間の汚い面を、醜い面を....。

最初の報道のされ方というか、情報というか....。
 でも、それは、いま言われたようにアメリカでもいっしょだったわけですよね。ところが、アメリカは、それをなんとか克服してきてますよね....。

みどり:まだまだありますけどね。

私たちの目から見れば、はるかに高いレベルにあると思うんですけど....。

みどり:田舎に行くとまた違いますよ。ニューヨークはアメリカじゃないですから。
 私がウェスト・バージニアにいたときに、大学院がすごく田舎にあったんですけど、日常会話の中にはエイズの「エ」の字も出てきませんでしたね。ただ、一回だけ憶えてるのは、大学病院にエイズの患者さんが入院してるって噂がパッと広まったことがあるんです。噂が広まるってことは、偏見があるということですよね。
 もう4年以上も前の話になりますから今は変わってるかもしれませんけど....。

内心自分はなりっこないと思ってるから、日本人なんかの場合ね、「なったらしょうがないね」とか「自業自得」だとかで済ましてますけど、まわりで知ってる人が2、3人とか出てきたらもう冗談効かなくなると思いますよ。
 いいことなんでしょうけどね、少ないっていうことは....。

みどり:まだまだ面白おかしく話すレベルですよね。それは、うちの会社の中だってそうですもん。うちの日本人社員の人たちは、別世界の生活してますから、ほんとに。
 別にふいちょうしてまわるわけでもなく、「週末何してんの?」、「ボランティア行く....」とか、そういう話からバディのボランティアしてるって話になりましたし、エイズの取材に関してはこちらにリクエストが来たりとかするんですけど、そういうのって結構みんな面白おかしく話しますよね。だから、自分の方からは、あんまり話さなくなっちゃいました。
 いろいろ一所懸命こっちが言っても、結局面白おかしくのレベルでしか捉えられない。本当は言ってかないといけないんだろうと思うんですけど、なんか疲れちゃうんですよ。別に仕事に直接関係あるわけじゃないし、私が好きでやってることだし、それを押し付けるつもりもないし....、最近はほとんど話しませんね。

我々の周囲でも発言の中って偏見だらけなんですよ。
 でも、それは当たり前っていえば当たり前で、だって偏見を乗り越えるだけの情報もなければ環境もないわけじゃないですか。で、普通のおじさんとかだし....。ね、現在はどうか知らないけど、それこそさんざん遊んできたような人たちでしょ。それが急にエイズったって、できっこないですよ。

みどり:根本的なところの考え方変えない限り無理ですよね。だって、よく「自業自得」って言うでしょ。ま、セックス感染にしても、麻薬感染にしても自業自得、血友病の患者さん以外は自業自得だという。それは、エイズ患者さんの間でもあるんです。あっちは自業自得、こっちは被害者なんだっていう。でも、それって、おかしいですよね。病気は人を差別しないんです。人を差別するのは人なんですよね。
 ドラッグにしたって、個人個人に背景があるわけじゃないですか。そりゃからだによくないですよ。からだにはよくないけど、育ってきた環境によってどうしてもそこにはまり込んでしまう人たちというのはいるんです。その人たちを一概に責めることって、やっぱりできないんですよ。
 よく思うんですけど、こっちに来て、もちろん何もないところから始めたんですけど、それでもなんとか食べていけるのはやっぱり日本人だからなんです。偶然の賜物である日本人というだけで特典があって、それから親が教育にお金をつぎ込んでくれたからっていうのがあって、それで食べていけるわけですよ。
 でも、そういう土台のない人たちが大勢いるわけですよ。その中で、この資本主義の中で、どうにもならない人たち、社会の流れの中で生きていけない人たちが逃げたくなるのは当然ですよね、現実から....。それをどうして責められるんだろう....?

労働組合なんかも、最近ではいろんなことやってますけど、結局は企業があって、そのメンバーとしての自分の利益をきちっと守ろうというのが基本ですから、そうするとその辺のところにいる人を救おうなんて発想ありませんでしたよね、組織として。当然その中で、言われてきたようなお金以外のことをどれだけ考えたかっていうと考えてなかった....。
 会社というのは冷たいところだけれども、労働組合は人と人がささえ合ういいところがあるって以前言われたんですけど、それはその中にいる人と人のことなんですよ。

みどり:うん、うん。

外側の人はどうかというと、これ眼中に入ってないんです。そういう意味で、もっとそれを日本というところ、あるいは世界というところに広げようとしたときに、そりゃ関係ないよって発想なんて平気で成り立つと思うんです。
 でも、むしろそうじゃないよっていう考え方。要するにそう考えられる人の方が絶対リッチじゃないですか。ところが、そういうことに気づかされるチャンスは、本当に少ないですねえ。

みどり:いま考え直さなければもうダメでしょうね。
 特に、それこそ外国人労働者問題じゃないですけれども、いまさら拒否できる立場にないんですよね、日本は。これだけ一人でお金稼いじゃって。みんながある程度の生活レベルを維持している中で、まわりの国でそのレベルを維持できない人たちを受け入れないわけにはいかないんですよ。

そんな状況の人たちがいるなんてことを、おそらく実感として分かってないと思いますよ。

みどり:だんだんアメリカやヨーロッパと同じ状況になっていかざるを得ないんです。それを拒否してると絶対に歪みが出てきて、それこそ日本は世界の孤立者になっちゃいますよね。

だけど、それってね、日本の中にいると本当に分からないんですよ。
 ぼくらも、結構いろんな人に言うんです。今の状態ってのはそんなに長続きしないんだから、うちなんかで言えば、例えば能力もそんなにない人たちでもいい賃金もらってる。それは、もちろん幸せなことですよ。でも、今はそうだけれども、状況が厳しくなれば、それなりの能力を持ってる人は残るかもしれないけど、そうじゃない人たちって分からないわけですよ、どうなるか。
 でも、自分たちの問題だとまだ思ってない。それくらい「自分の幸せ」ってのは確固たるもんだと信じてるんです。

みどり:想像力の問題だと思うんですけどねえ....。

たまたまエイズを一つのキッカケに、まだできてないですけれども、そういった我々自身の問題、それから今の国際的な圧力の問題、これをやっぱりこの1年とか2年とかの間にね、少し考慮しておかないと本当に世界からおいてきぼりくって、文化的に劣等な国になっちゃう。

みどり:戦後50年で、謝らなくちゃダメですよね。そこから出発しないとほんとダメだと思いますけどね。

言葉には一応出してるわけですから、あとは文章にするかどうかということだけなんですけどね。

みどり:くだらないですねえ。
 やっぱり今の政治を握ってる戦中派の人たちが悪いと思ってないからでしょうね。

内心思ってないんでしょうね。

みどり:絶対思ってないですよ。
 でも、そこからいろんな問題って発してるような....。

今回は今回ので謝らなきゃいけないんでしょうけれども、ほかの問題でもそうしてこなかった人たちじゃないですか、この50年。そうしてこなかったし、今の70とかの人たちもそうだし、60代の人も、じゃそうじゃない社会をつくり上げようって言ったかっていうと、そうでもないですし....。
 そういう意味で、違う価値観というか、転換するんだったら、今の40から30くらいの人たちが新しい考え方をつくって、またやるしかないのかなって気はしますよ。
 神戸のことがあったきに55とか60の人が、体力はまだありますよね、行ったかっていうと行ってない。昔は助け合いがあってよかったとか聞くけど、じゃ行ったかっていうとやっぱり行ってないですよね。
 行ったのは30前後ぐらいの人、あと学生、そこが主体として行ったというのは一つの象徴じゃないかなって気がするんです。